Autechre "SIGN"

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イギリス・マンチェスター出身のテクノデュオによる、2年半ぶり14作目。

もう30年にも及ぶ長いキャリアがあるだけに、どの地点で彼らの音楽に触れたかについては、人によって様々なパターンがあることだろう。かく言う自分は Radiohead "Kid A" の日本盤ライナーノーツで彼らの名前を知ったクチである。基本的にルーツを掘り進めるのは好きなので、"Kid A" をきっかけとして Autechre なり Aphex Twin なりに食指が動いていったわけだが、そもそも自分の頭には日本のメインストリームにあるロック、すなわちメロディが歌いやすくて起伏が派手で展開がわかりやすくて…といったフォーマットが音楽を聴くときの大前提としてインプットされていたので、そんな自分にとって "Kid A" はなかなか厄介な代物だった。今でこそ普通に楽しんで聴ける状態になっているが、当時はなぜこんなアバンギャルドな音楽が持て囃されているのか理解に苦しんだ。何度も繰り返し繰り返し聴くことでようやく自分の中に消化することができた。"Kid A" ですらそんな調子なのだから、その影響元ともなればさらに厳ついヤツが出てくるのだろうなと、戦々恐々としながら Autechre のアルバムを買ったのを覚えている。

初めて買ったアルバムは "Draft 7.30" だった。リリースからさほど間もない時期だったと思う。嫌な予感は的中した。再生ボタンを押してからの20秒はほとんど音がしない。この時点でああ、これはヤバいなと悟る。そして20秒経ってから突如始まる不定形ビートの連打。それぞれの音がやけにソリッドで威圧感があり、軟体動物がグネグネと体を引きずっているような生々しい感触もあったりで、とにかく気色悪い、というのが第一印象だった。果たしてどこからどこまでが彼らの意思で制御されたものなのか、一聴しただけでは判別がつかない…いやもちろん全て制御しているのだろうが、即興かとも思うくらい音の配置がランダムで予測不能だし、とにかく無機質さが強すぎて人の手を介しているとはにわかに信じ難かったのである。しかもネット上の論評を検索してみると、以前と比べて今作はファンキーで取っつきやすくなった…みたいなことを書いていたりする。頭がクラクラした。

あれからおよそ20年弱の時間が過ぎ、その間に自分もそれなりの量の音楽を聴いてきたので、エレクトロニック・ミュージックを聴く際のハブを脳内に増やすことができたと思う。だが Autechre はそれ以上に、自分の想像を遥かに超える勢いで創作意欲を大爆発させていた。2013年作 "Exai" が2枚組2時間、2016年作 "elseq" が5枚組4時間、そして2018年作 "NTS Sessions" に至っては8枚組8時間と、もはやウケを狙っているとしか思えないレベルまで作品の規格を拡張しており、さすがにおいそれと手を出すのが憚られた。それでしばらくは Autechre から遠ざかる期間が続いていたのだが、このたび65分という何ともフレンドリーな尺に回帰した今作で、久方ぶりに彼らの音楽に触れることになったわけである。

実際に聴いて驚かされた。尺だけではなく曲調までフレンドリーになっていたのである。まあ相変わらずビートは不規則で、冷たく不穏な空気が作品全体を取り囲んではいるのだが、今作では個々の音の存在感を際立たせるよりも、音像が一体となったときの空間的な広がりに重点が置かれており、アンビエント由来の浮遊感が強く、以前よりも柔和な印象となっている。この作風は彼らの初期作品("Amber" など)の路線に立ち返っているとも受け取れるだろう。また上モノのシンセには、彼らにしてはやけにメロディアスな色味があるのも今作の特徴である。ただメロディアスとは言っても、彼らの場合は一定の旋律をなぞるようなことはせず、いくつかのレイヤーが変調しながら重なり合うことでうっすらとメロディ的なものが浮かび上がるという手法なのだが、それにしても上に貼り付けた "F7" を筆頭に、いったいどうしたのかと思うくらいポップで、ノスタルジックで、ともすれば感傷的ですらある楽曲が多い。

しかしそれでも彼らは相変わらず異形である。なぜか。楽曲タイトルがまるで家電の商品番号のような英数字ばかりであることからもわかる通り、実際に鳴っている音以外の意味、メッセージ性、文脈などを徹底的に剥ぎ取っているからだ。感傷的に響いてくるメロディは、単純にそういう響きをしているだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。そのメロディを発端として聴き手がどういう気持ちになり、どういう情景を思い浮かべるかは自由だが、彼らはそんな聴き手のことなどお構いなしに、ストイックにプログラムを組み、モノリスのごとき無表情で空気を揺らしているのみである。音楽とは突き詰めればとどのつまりは数学/物理学であり、こういう響きを作ればこういう反応が得られるという理論の力の前では人間などあやつり人形にすぎない…ということを身をもって思い知らされている気分にもなり、それが彼らの持つ不気味な魅力を際立たせているようにも感じる。

それにしても彼らの持つセンスの鋭敏さに改めて唸らされるのは、上記の通り明確なメロディラインはない、明確なリズムパターンもない、にもかかわらず、メロディの質感やリズムの躍動が聴き手にうっすらと伝わってくる点である。デタラメに音を配列しているようで、決してデタラメではなく、そこにはひとつの流れ、薄皮一枚分の秩序が確かに存在している。と言うよりも、崩れ切ってしまうギリギリのところまで秩序を崩していく、ある種チキンレースのような、攻め際と引き際を見極める反射神経に異様なほど長けているのである。彼らはデビュー時からずっとその感覚を研磨してきたのだろうし、この新作ではそれが鋭敏さを保ったままで円熟味すらも帯びてきている。アルバム表題をどういう意図で決めているのは定かではない(そこにも意図は一切ないのかもしれない)が、"記名" ということであるならば、これほど名が体を表している例も他にないだろう。これぞ Autechre 印と言える重鎮の凄みが、ここに凝縮されている。

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