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真摯さが強いと時に狂う?

政治社会関連は以前ほど見ないようになっている。集中していた時は毎日延々と見ていた。昨今は週1とかで重要点のみ。

キリが無いのと2020年くらいに想像していた最悪の仮定より、10分の1くらいの程度で大丈夫である事が理解出来たから。僕は僕にとっての最善を生き続けるだけですね。生物の基本だと思います。


見る気持ちがなくてフォロー0でもイーロン・マスクがツイッターを買収してからタイムラインで他の人のツイートが流れるようにもなった。

不正が一部改善されたり、理不尽にアカ停された人が復活されたりもする一方で、コミュニティノートが登場したり、botが廃止されたりもした。
その影響で考案していた「ウンコbot、ウンコボットン」を作る予定が無に帰した 笑。

流れてくるタイムラインで時たま衝撃的に感じるものもあったり。終わりが見えないような言い争いを見掛けたり。

政治社会問題は熱が入りやすいところがあると思うし、それが時に煽り合いになったりもして、活動している人も最初の動機は真摯であっても段々と狂ったりする事も多々あるのでは?と以前に思った事があった。


ツイッターは現在メインのものは2011年4月からだけど、一番最初は2010年1月からのもので現在は放置している。

ツイッターって登場したばかりは、つぶやき利用で論争はあまり見掛けなかったように思う。当時は認知行動療法中やらリハビリ中やらで、似たような人達と少し交流していたけど、自分のリハビリなどの変化に合わせて段々と疎遠になっていきもした。

2016年に結婚した事も相まって、そんなに人との交流の必要性を感じられず、ツイッターはつぶやき利用が主なままになっている。
コロナ禍真っ最中の頃は、フォロワー3しかいなかったのに過去投稿もたくさん見て、いいねを何十としてフォローしてきて暫くしてフォロー外して去っていった人や、Facebookの古典注釈ページが10名いるかいないかくらいだったのに、立て続けに増えて70名近くになっていって、中には地方議員の人もいた。
あの頃は本当に様々な意味合いで異常な状況であったから、不安を感じる人が多々いたのだと思う。


政治社会問題って重要度は高いけど、政治社会関連に積極的に関わり続けたくはないなという気持ちも強い。

また、どんな政治体制でも民意次第であるのと、人心を集めるのは禍でもあるよね。


政治社会関連って、
ヘドロ!ヘドロラ!ヘドロガ!みたい。
にょ~ん、にゅ~ん、にゃ~ん


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