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「謙遜」とはなにか? (説教メモ)

持っている人が持っていないかのようにふるまうのが、日本人の好む謙遜。例えば、日本人は「つまらないものですが(^。^)」とプレゼントを渡すが、本当に「つまらないもの」だと思っていれば渡さないはずだ。
また、絶大な権力を持っているのに腰が低いと、「あの人は謙遜だ」ということになる。

しかし聖書の説く謙遜は違う。聖書の示す謙遜とは、「持っていない人」が「持っていないこと」を「神の前で」自覚することだ。

このへりくだりは、キリストの内にも見られる。十字架の上のキリストは、何も持っていなかった。「自分は無である。あなた(父なる神)に従います。正しく裁かれる方にお任せします」という姿勢を貫いた。
聖書の説く「柔和」とは、自分を無にして敵対をのりこえ、和解を受け入れることだ。

そして、「謙遜」も「柔和」も人間は自力で獲得できない。幼子のような純真な信頼を持って、神に祈り求めることによって与えられる、神からのプレゼントなのだ。

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