見出し画像

才能を目覚めるにはどうしたらいいのか

プロ雑用です!
センス・オブ・ワンダー(ダバダバ


そもそも才能なんかない

タイトルをいきなり全否定ですが、一般的に才能っていうと、なにかある日突然開花する能力、みたいな感じのイメージ持ってる人って多いんじゃないかなって思うんです。でもね、昨日できなかったことや、そもそもやったことがないことが、ある日突然できることは、まぁないんですよ。

やったことないけどできる人がたまにいるよ!っていう意見もあるかと思うんですけどね、それって必ず共通項があることなんですよ。
共通する根幹の能力、スポーツなら例えば強い体幹、筋力、動体視力だとか「体をどう動かすか」という意味では近しいスポーツなら共通して使える能力があるってだけなんですよね。
野球ばかりで学業を一切してなかった人が、ある日突然数学の才能が目覚めて方程式とかバンバン使えるようになるとかは無いわけです。例えば事故で脳に障害をおった人が突然なにか才能に目覚めるとかはありますが、そういうのは例外中の例外。再現性はありません。

好きや得意は才能か

自分が好きだと思っていることは、もしかしたら才能があると思っている人も多いと思うのですが、それもまた勘違いであることが多い。では、得意なことが才能か、といえばそれもまた違う。では、好きや得意がなぜ=才能ではないのは何故でしょうか。

好き嫌いは、過去の感情的経験から判断されるものです。よって、例えばそのことをしたことで、人からひどく怒られた/嫌われた/叱責された、などの経験がある場合、たとえ好きだったことでも嫌いになってしまうことはよくあります。また、好きなことだと思ってたくさんの時間を使ってやってみた結果、飽きてしまって二度とやりたくなくなった、ということもあるでしょう。このことから、好き嫌いは一時的な感情に過ぎない可能性も高い。

得意苦手は、自分の保有スキルによって様々に変化します。また経験によっても変化しうることです。不得意なことでもスキルを学習したことによって得意に変化したり、あるいは学習をやめたことで不得意に変化したりすることもあります。
また、得意苦手は、他者との比較によって著しく認識が変わる可能性もあります。地方の進学校で数学物理No1だったものが、都市部へ進学したら凡人でしかないと気づいた、なども比較によって起こることです。

好き嫌いと得意苦手のマトリックス。主な仕事が左側だとただただ不幸

このように状況により好きや得意は変化しうるものです。ですから、好きだから、得意だからといってそれが才能によるものかどうかは全くわかりません。たまたまそういう環境だからかもしれないのです。

才能とは強迫的な思い込みである

しかし、好きと得意が重なったことには、人は夢中になれます。没頭できるということが、もしかしたら才能と言えるかもしれません。それを考えれば、まずは「好き」という感情が、才能の萌芽と言えるかもしれません。

しかし、この「好き」という感情にも、大別すると2つあると考えます。
一つは、それをすることで人から褒められたりご褒美をもらえることを期待している好き。もう一つは他人からどう思われようがどうでもいいと思えるほどの好き

前者は外的要因による好き、後者は内的要因によるものという違いです。

内的要因からくる感情は、他人と比較しません。人から褒められようが貶されようが「これが好きだ」と断言でき、その挑戦を挑戦と思わずしつこく繰り返せることは、たとえ最初苦手でうまくいかなかあったとしても、多大な経験を得ることで得意に転じていることもある。苦手なことでも挑戦し続ければ経験値がたまってレベルが当たるものです。ステータスの上昇値が微々たるものでも、人よりも多く経験を積めば得意といってもいいぐらいには出来るようになるでしょう。

一方で外的要因からの好きは、比較が重要な要素になります。得られる報酬(褒められる、ご褒美など)が、前回から上がるか/下がるか、また同じような報酬を貰える他者と比べてどれくらいか。外的要因だから、外的要因によって好きの度合いが変化しやすいと言えるでしょう。競争的のなかで勝つことが目的に変化することもありえます。

そう考えれば、後者の好きは才能としての好きではないのかもしれません。圧倒的な内的要因による好き、それはすなわち強い思い込み、つまり才能とは自信のことではないでしょうか。
好きだと言える、得意だと言える、しかしそれすらどうでもよく、ただ夢中に没頭してしまうこと。ただ「できる」という自信が、才能なのかもしれません。

才能なんか気にしない

だから、自分に才能があるかどうかなんて、どうでもいいのです。ただひたすらに夢中に没頭できること、あるいはできないことを探すために、まず行動してみること。やったこともないのに、才能があるかどうかなんてわかりません。

異世界転生で突如与えられるスキルは才能と言えないでしょう。それと同じ用に、突然できることなど何もありません。続けること。ただ続けられることが大切で、続けられたことを結果的に才能と呼んでいるだけなのかも。
やりもせず、できもせず、才能があるかどうかわかりません。だから、才能があるかどうかなど気にする必要がないのです。才能は、目覚めた後にしかわからないのです。

ということで今日は才能の話でした。
それじゃ、また👋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?