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真実は常にひとつ…?そんなバカな

プロ雑用です!
「真実は常に一つ!」はよくある探偵ものに出てくる台詞ですが、実際のところ、世の中にたった一つの真実などというものは存在しません。
では、真実とは何なのか。今日はそんな話。


真実は何でできているか?

探偵ものの主人公が言う「真実は常に一つ」は、犯人にとっての真実という意味なのだと思います。知らんけどw

真実というのは、二つの要素で成り立っています。
それは「事実(fact)」と「解釈(interpretation)」の二つです。

事実とは、辞書には「 実際に起こった事柄。現実に存在する事柄」と記されています。例えば「コップがテーブルから落ちた。コップの中のジュースがこぼれてしまった。落ちたコップが割れてしまった」という内容はすべて事実です。コップが落ちる、割れる、ジュースがこぼれるは、目の前に起きた現象であれば、疑いの余地無く事実です。際の柄で事実。

解釈とは、辞書では「文章や物事の意味を、受け手の側から理解すること。また、その理解したところを説明すること。その内容。」というような意味が記されています。
先ほどのコップの例に解釈をつけるとすれば「コップが落ちて驚いた」「コップが割れて悲しい」「こぼれたジュースを掃除するのがめんどくさい」など、その事実に対して人がどう思ったか/感じたか/考えたか。
また、解釈の意味は上記の他に「物事、特に表現されたものを、自分の経験や判断力などによって理解すること」とも辞書によっては記されています。
いずれにしても「人」の内面的な動きがキーワードです。

事実と解釈のうち、人間の内面が影響する解釈は、人によってその内容が異なります。コップを割れて必ずしもすべての人が悲しいと思うわけでは無い以上、解釈は人の数だけある(自然数)と考えられます。
そして事実は、原則として一つです。時空間がずれているようなSF的な状況にでもならないかぎり、「コップが割れている」という結果は、万人から見て同様の現象が観察できるので、事実は1つとなります。

真実は「その人にとって真実」ということ

つまり、事実と解釈の関係は1:Nの関係で表すことができます。
Nは1以上の自然数。自分しか知り得ない事実であれば、その関係は1:1。ですが、自分しか知り得ない事実だとしても、客観的な状況証拠を積み重ねれば高い確率で他者からみても事実であろう、という予測は成り立ちます。

事実に対する解釈は、一致する場合もあれば一致しない場合もある。日々体験、耳目に触れる出来事は不特定多数が目にしている場合も多いため、決してNが1に収束することはないのです。

そのため、ひとつの事実と無数の解釈=人の数だけ真実がある、ということになります。言い換えれば、すべては「その人にとっての真実」であり「私の真実」でしかないのです。

多くの人は事実と解釈の区別がつかない

ニュースというものは、事実をありのまま、解釈を付け加えられずに流されることはありません。記事や番組を作る人の解釈が加わっています。速報で流れてくる情報以外は、すでに解釈によって加工されます。ニュースバラエティはそれを際立たせることで成立しており、わざわざ解釈に解釈を加える演出をします。そういうものに慣れてしまうと、他人の真実を容易に受け入れるようになりますから、事実がどうであるかよりも、共感しやすい誰かの解釈こそを信じるようになります。

ビジネスにおいても、特にトラブルなどのインシデントが発生したとき、報告や相談をする/受ける際には、事象や話の内容の、どれが事実で、どれが解釈かを整理するのはとても重要なことです。
解釈と事実を取り違えると、その後の対策や活動があさっての結果をもたらす場合、インデントがより重大なインシデントになってしまうこともあります。真実に惑わされず、事実なのか、解釈なのかをきちんと整理することが必要ですね。

というわけで今日はここまで。
それでは、また次回👋

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