見出し画像

村人はクソなのか考

前回の記事の続きも書いてないのに、突然スピンオフで別のコラムを書きます。今回のタイトル絵は、自分でかきました!

この記事の中で私が村人が苦手な理由を述べていて、その話の流れで「村人はクソ」というフレーズを使いました。これに「その考え方は勿体ないよ」という主旨の意見を、愛すべき人狼友達からもらったんですね。

ツイッターでなんぼかレスしあったのですが消化不良なので、思うところをつらつらと書きます。迷い傷つきながら人狼というゲームを愛してきた歴史をふまえて、あくまで自分の心に誠実な文章を書いたつもり。

人狼が向いてるヤツって

人狼は言葉のスポーツだ。言葉でドンパチやるのが好きな、戦闘民族に向いている。なんで私は言葉でドンパチやるのが好きなんだろうって思うと、私の場合はリアルでは言葉を飲み込むからだった。

あんまり空気が読めない。みんながやってることに、「それ、おかしくない?」って思う。それをそのまま言って、変な顔をされたこともある。多くの人にとって、疑問を持たれないルールが自分にとっては居心地がよくない。そんなことがよくあった。

だけどリアルのルールを変えるには、ちょっといろいろ足りなかった。私にとって居心地のいいルールを提案しても、今度は別の誰かが困ってしまう。そんなことのないようにするための視野の広さが必要だ。それに「この人の言うことなら聞いてみよう」って思ってもらうには、その場限りの正しさ以外にも、そのほかの場面でも継続した立派さが必要だ。信頼とか、カリスマってやつだ。

普段だったら飲み込んで使わない方がいい「言葉の剣」を、人狼というゲームは正当化してくれる。リアルだったら色々足りなくて100%負ける気しかしない多数決でも、フィフティーフィフティーの勝負ができるんだったら御の字である。

そんな感覚でいるものだから「人狼ゲームに向いてるやつは、リアル向いてない」みたいな自虐(?)ディスみたいなのを見かけると、「いやそんなヤツばっかじゃないっしょ……」と言いつつも、「わからんでもない」と心の何処かで思ったりもしてしまうのだ。

いやでも、私の好きなあの人もこの人も、ちゃんとリアルも充実してるし、私だけの話なんだと思う。思うよ、きっと! でもわざわざ、これ書いてるのは伏線だから! 許して!

(あっちの文章で、村人はクソみたいなの書いたのも伏線だから! ね!)

強さを求めていた人狼の青春時代

学ぶ意欲が凄まじかった時代ってのが、人狼に対してもあって。今思えばあれは青春だった。村が終わるごとに反省文かいたり、もらったアドバイスをメモして分類したり。自分の掴んだと思ったコツを文章にしたり。

人狼をやってるときに、村人に見事な推理で追い詰められてかいた冷や汗。金田一少年とかに出てくる犯人の気持ちが分かった。頑張って隠れてる人狼を、ちゃんと推理で見つけられるんだ! って見つけられる方の立場から感動したし、村人をやったらそうありたいと思った。

実際に、狼を一生懸命探して、人間と信じられる相手と手をとって、うまく狼を一網打尽にできたときは「村人って楽しい!」って思えたし、確実にこのゲームがうまくなりつつあるのだと思えていた。判断を間違えて負けてしまっても、敵が強かったのだと素直に称えることができた。

人狼はダーティーなゲームだと言われることもあるけれど、スポーツマンシップってあると思う。本当に気持ちのいい人たちと沢山であったし、成長するためのアドバイスも沢山もらったし、自分の良いところとも悪いところとも向き合えた。人狼の青春時代、とっても楽しかった。どの役職も全部面白いと思っていた。もちろん、村人も、だ。

一方で、「どうしても吊れなかった、あの強かった村人のように、狼でなりたい!」って気持ちも、めちゃめちゃ強く持っていた。私が演劇をやってたせいもあるかもしれないけど、演じる方向のモチベが異様に高かったんだよね。(KQ村でもRPをガチ利用するって方針でキャラを立ててしまったから原点は一緒なのかも)

結果。私は華麗に推理で狼を追い詰める、強くて吊れない安定した理想の村人になる前に、そんな村人のふりをする狼の方である程度の到達点を迎えることができた。たぶん。きっと。自己評価では。

まぁ狼は、襲撃って武器もあるので、強く成長してもなお自分に目をつけてくるような相性の悪い相手は殺せますしね。(全員を騙せたとは言いません)(あと仲間に恵まれてたのでね…)

下り坂を駆け下りて、さよならを

そんな最盛期──いくつか快勝・圧勝の後には、急に勝てなくなりました。

理由はざっくり三つかなぁ。

①中身警戒

違ったら恥ずかしいんだけど、たぶんあったと思う。あったんじゃないかな?(多少は直接言われたこともあるし)

「まぁ普通の水準からしたら白いんだろうけど、こいつ狼のときクソ白いからわかんねぇ。わかんねぇから保険で吊っとこう」みたいな。

これがあると、何の役職やってても勝てない。村人やって順当に白くても、警戒されて吊られてしまうんだから。

対策として誰も自分を知らないところに行くってのもあるんだけど、この頃にはそこそこ顔も広くなってたし、そもそも身内がいると勝てないから野良に行こう~みたいなのも、何か違う気がしていた。

だって、中身警戒されてますから! って意識してるのも超恥ずかしい気がしたし、そいういう空気は感じてたけど、きっと違うんじゃないかな?! いや本当に強いなら、それすら跳ね返せるはず! 結論、自分が弱い! って、中身警戒されてるのを認めないようにしてる部分もあった。

そもそも人狼を通して仲良くなった人と遊ぶのが楽しかったし、それを否定するのは嫌だった。

②自分の中の基準の崩壊

「自分ならできる」の基準が高くなったことで、推理のバランスも悪くなった。何を見ても疑心暗鬼になってしまう。

「自分しかできない」ってならまだ誇らしいかもしれないけど、そんなわけはない。一緒に切磋琢磨していた友達もハチャメチャに強くて騙された。

(今回の話のきっかけになった「村人はクソとか、その考え方は勿体ないよ」って、私に言ってくれたささこ氏のやった狼をブッチギリで白く見て負けたこともある! 悔しかった!)

※ご本人から「あの村は、私は吊られて負けてるよ! 事実上誤認だ!」というご指摘をうけました! すいません。悔しい記憶しかなくてこっちが負けたもんかと…。このような記憶の混濁が他にもある恐れがあります。あくまで心情を綴った記事ということで。

「どこどこの村の〇〇の狼が強いよ」と聞き及んでログを読んでみれば、本当にどうやったら吊れるか分からない狼がいたりする。

あんなにやりこんだのに、完全に分からなくなっていた。

……あれ? このゲーム、どうやって勝てばいいんだっけ?

③単純に時間がなくなった

実生活の状況も変わった。転職とか結婚とか。それから子供がうまれたりとか。

青春時代には喉がいっぱいある(1000ポイントとか、1500ポイントとか)多弁村が大好きだったし、短期村で徹夜したし、一日が一時間の中期村なんて建てたりもしたし、リアルで会ってカード人狼も楽しかった。

けれど、そのすべてが出来なくなる。リセットだ。そして私は初心者に戻っていった。次に人狼をやるときは、もう自分のことを初心者だって思おう。

さようなら青春。

寂しくないと言ったら嘘になるよ。

自罰内省主義の奈落

ここまでの長い自分語りでも、私の性格がちゃんと伝わっていたらいいなぁって思うんだけど…

私は何かあると「自分が悪いんじゃないか」ってとこから反省するタチだ。

それがいい風に働くこともある。「責任感が強くていいね」って思われたりとか、自分の悪いところをはやめに改善できるところだ。青春時代には、それがいい方に働いていた。お互いに尊敬しあえる仲間が出来たし、実際に技術がついていくのは楽しかった。

だけど、さっぱり勝てない、人狼が分からない……そう思っていた下り坂の時代、自罰は自己嫌悪を駆り立てた。

「本当はもっとできたんじゃないか」「自分はこんなもんなのか」

伊達にそれなりに人狼が出来るようになったって自負を持ってしまっていたから、失敗のひとつひとつが悔やまれたし、とてもしんどかった。成長できるような見込みもなかったのが追い打ちだ。

村で議論の中心になって、勝敗の分岐点に責任を持つ……。勝てばハイタッチ、負ければ拍手。あの楽しさがどこか遠くに行ってしまった。判断基準に自信がないから、言葉に覇気がないから、自分を責めてばかりいるから……

どうやったらもう一度、心から人狼が楽しいと思えるんだろう?

そんな頃、人狼のキャリアとしては自分と同じくらいに長く、私が人狼を休んでる間も活発に活動していた人たち──そして、どちらかというとカード人狼で華を咲かせていたプレイヤーの面々が、軽口的に言っていた言葉が耳に入った。それが「村人かクソ」という言葉だった。

「村人はクソ」の背景に見えていたもの

私の長期人狼人生において、村人こそすべての基本であり、強い村人はライバルであり教師だった。そんな私にとって、その言葉は衝撃だった。

私は彼らがそういう理由に耳を傾けてみた。村人は状況を作れないから。理不尽に負けるから。正しいことを言っていても、浸透しなければ吊れないから。ひとつひとつは、村人を価値ある役職とみる立場から、反論が出来そうなことばかりである。

でも私が、この言葉に屈服し、そして救われた理由は他にある。

彼らカード人狼を主戦場にしていた。カード人狼は、フルメンバー(15人)でやると一戦1時間以上かかる遊びである。はやめに死ぬと残りの1時間弱、勝敗がつくのを黙って見ていないといけない。(楽しみにきた遊びの場で、あまり楽しくない時間を過ごす羽目になる)

それから、強い人は、ネットの人狼とは比べモノにならない「中身警戒」をうける。地力が強いのが知られてることでうける恩恵もあるだろうけど、それ以上に理不尽な死を招いているようだった。

人狼最高! と、人狼もう意味わかんねぇ、どうやって楽しんだらいいの?! を両方味わいつつも、出口の方向性を見失っていた私は、彼らの感じる苦しさに「わかる」を感じてしまったのだ。正直言って、彼らの苦しみの方が強烈に見えた。にもかかわらず、私より強い苦痛を感じつつも、人狼を楽しもうとする姿勢が好ましかった。

そして私には言えない「村人はクソ」なんてパワーワードを吐き出す背景には、冷徹な勝因・敗因の分析があるようだった。

狩人の護衛、真占い師の占い先、騙り役の言動・判定、人狼の襲撃、占霊判定と襲撃を村側がどう分析したか、日々の投票先……そうした行動の一つ一つを評価して、誰が〇%、誰が〇%で悪かった……なんていう分析をしている。自分も負けた陣営にいながら、自分に割り当てている敗因分析の数字が5%にも満たないってこともあるようだ。というか村人を引いただけで、この数字が高配当になることはほぼない。そういう数字的なところからも「村人はクソ」と断言しているようだった。

これは自罰内省主義の私からは衝撃だった。そもそも、スポーツマンシップを前提にやってたのもあり、私は負けても自分以外の誰かを責めるって発想はなかったのだ。(敗因の持ち分として大きな数字を割り当てることが、責めるにあたらないって指摘もあるかもしれないが。私としてはその感覚でやってはいけないことだった)

ただ彼らは、野球ファンが選手や監督を批判するようなそんなノリで、自分も仲良しの友人も初同村の知らん人も、全員を盤上の駒にして、平等に冷静に批評しあってるように見えた。そういう切磋琢磨をしていた。

そこで青春している若者たちがいるのも見えた。

なんだか眩しかった。

リアルの私は村人だよな

冒頭の、「人狼向いてるやつはリアルに向いてない」に戻るんですけど。

私はリアルでも自罰内省型で、仕事でなんかあると非常にへこむし、優しい友達としか付き合っていけない柔らかメンタルだ。失敗と共に生きていくみたいなタチなのに、必ずしでかす失敗ごとに自分で自分を責めるのでとてもよくない。

リアルの多数決に勝てない。場の空気を読めないし、ましてや変えられない。居心地悪くても平和に過ごそうと猫背になって目立たないようにする。PTA関連のあれこれはすべて気が重い。今年はコロナで激減してよかった。あと夫に行ってもらったりもした。ありがとう。

もしリアルを人狼に例えてみたとしても、占い師みたいに堂々とみんなの前でしゃべらないし、確定霊みたいにまとめたりもしないし、人狼みたいに誰かを欺いたりもしないし、ファミレスで狩人臭出したりできない。

そうか、私は村人だ。

そして、盤上の駒のようにとらえるなら、私が仕事で失敗した自分を自分でガンガンに責めたとしても、本当のところはチョットしか悪くないのだ。いろんな要因がからみあってて、他の人たちの方がなんならもっと悪いかもしれない。そうはいっても、身に沁みついた思考の癖はそうそう抜けないんだけど……

これから鍛えたいトコロ

少なくとも人狼に関してはもう少し冷静に、自分ばかりを責めるのをやめてみてもいいんじゃないだろうか? 積み重ねた人狼歴は、人狼における自分の敗因の比率をまぁまぁの分析できるくらいの経験値になってたらいいなぁ……どうかなぁ……苦手かもなぁ……と、そんなことを思っている。

かっこよく勝てる強さへの憧れ。頂きから転げ落ちる苦痛。気付けば失っていた、自信と矜恃。

できないことを当たり前にすることからはじめよう。自分のせいじゃないことでまで苦しむのはやめよう。自分ができてないのに、他人の責任にするなんて…って思う部分もあるけど、別に声に出して言わなくてもいいわけだし。

ゆーて私は、主観が強いタイプなので、人を盤上の駒のようにとらえるのはあまり向いていない。せいぜい、「なるべく客観的に盤面を絵にかいてみたよ! 私の画風でね!」ってなモンですが、それでもなるべくそういう事をやっていこうと思ってる。つまり、技術を極めて結果を出すということより、過程を冷静に見つめて理解するって部分に力を入れたい。

俯瞰は自罰へのブレーキ。「村人はクソ」ってのは、無能力者の責任範囲が豆粒大ってことを思い出させてくれる言葉だと思っている。村の自分どころか、リアルの自分だってとっても無能力だ。まずその無力さを自覚して、今度は山道を登らない。ウォーキングするように第二の人狼人生を、まったり歩いて行きたいな。

その上でさ、また「村人って最高に楽しいよ」って言えるようになったら最高だなって思ってるんだ。

それから、こうして自罰をやめる訓練をしたらさ、少しはリアルも生きやすくなってるといいなぁ、なんて。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?