いい〇〇と悪い〇〇があります

 皆さんの自宅にも一冊は常備されていると思うが、「毛主席語録」の「愛国主義と国際主義」の項はこのようにはじまる。

国際主義者である共産党員が、同時にまた愛国主義者でもありうるか。われわれは、ありうるばかりでなく、またそうであるべきだと思う。愛国主義の具体的内容は、それがどのような歴史的条件のもとにあるかによって決まる。日本侵略者やヒトラーの「愛国主義」もあれば、われわれの愛国主義もある。……
(毛主席語録 一八、愛国主義と国際主義)

 ここからまだ文章はつづくが、この文章の運びはすごい。これはよく読むと「いい愛国主義と悪い愛国主義があります」と言っている。そんなことは当たり前である。いい犬がいれば悪い犬もいて、いいバナナがあれば悪いバナナもあるだろう。

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 これは論理的には自明のことを言う文章だが、同時に、毛沢東の書く文章が人類史上まれに見る力を発揮したこともまた事実だ。一時期以降に見せた暴君ぶりや文化大革命の失敗により、批判は山ほど抱えている毛沢東だが、中華人民共和国を建国した功績はたしかにある。そして、建国闘争の最中にもさまざまな著作を発表して人々の心をうごかしてきた。マルクス主義の根本原理を「造反有理」のたった4文字に凝縮してみせた筆力は並大抵のものではない。失脚ののちに紅衛兵を扇動して権力を回復できたことも、彼の言葉の力を物語っている。

 何がいいたいかというと、「いい〇〇があれば悪い〇〇もあります」というフレームは、完全にロジカルな議論には役立たないにせよ、実戦的には役に立つということだ。こういうフレームをいくつか貯めておくのはなんとなく気持ちがいい。
 これのいいところは攻めにも受けにも使えることとで、毛沢東のように適切に放てば攻めに使えるし、相手が不用意なタイミングでこのような論法を使ってくれば「それは論理的に自明のことを言っているだけではないか」と切り返せる。万能である。
 もっともこういう技は「バイブス」「背中で語る」みたいなところがあって、生き様が乗っていないと重いパンチにはならないことが多い。結局、人の心をつかむには気合の入った人生を歩むのが近道なのか。

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