対戦ゲームは勝ちの喜びと負けの不快さが等価ではない

タイトル通りのことを結構前から思ってます。要するに1勝1敗であれば勝率的にはトントンのはずなのに精神的にはなんか負けの不快さがやや勝つ気がする。あくまで気がするというだけの個人的な体験に基づいた話です。

これは自分の中では理由が大体分かっていて、対戦ゲームは基本的に勝ち越すことを目的にラダーシステムやレーティングシステムが作られており、勝率50%では何も得られないことが多いので徒労感が不快さに繋がっているのだろうと考えられます。

ただこれはあくまで勝ち越しを目標としている人の話であり、例えば初心者が最初は全然勝てなくて負けまくってその中で価値ある1勝を手にした時の喜びは間違いなく負けの不快さを上回ると思います。

要するに「自分はもっと上手いはずだ」という思いが心のどこかにあるからこそ勝ちと負けが等価ではなくなるのであって、一種の勘違い・驕りと考えることもできます。

でもそうなると対戦ゲームって救いがないなぁとも思う。勝ち越しを続けることには限界がありますしどこかで必ず勝ちと負けの価値が逆転する瞬間が訪れるということになります。

もちろんすべての人間がこの現象に陥ってるとは思いませんが、たくさんあるゲームから好き好んで対戦ゲーをやっている人間ほどこの状態になりやすいのではないかと予想できます。

極端な話そういう人間からすると究極的には「不快になるためにゲームをやっている」状態になっているわけです。心当たりないですか?

正直「自分の実力ではこの辺が適正だろう」なんて冷静に客観視できる人間なんてそんなに多くないと思っているのでこの逆転現象は割と根深い問題なんじゃないかなぁと思っています。

その証拠と言えるかは分かりませんが、最近のゲームのランクマのシステムは勝率50%でも上に上がっていけるようなサポートがされているものが増えてきているような気がします。

これってつまり勝ちと負けの価値を外部からサポートしてあげることで無理やり等価、もしくは勝ちの方が価値が高い状態にしてあげているわけです。(勝ちと価値が何回も出てきてややこしいですね)

もしくは対戦することで勝敗に関わらずポイントが増えていき順番に報酬が獲得できるシーズンパスのようなものを採用してるゲームはかなり多いです。

負けの不快感の原因がすべて「徒労感」にあるわけでは当然ないですが、その一部を担っている可能性が高いのであれば勝つこと、あるいは対戦すること自体に付加価値を付けてあげることでその不快感を緩和することは十分可能ですよね。

本来であればこういう外的補助がなくとも「自分自身のプレイスキルの向上」という根底にある目標をモチベーションにさえすれば負けは乗り越えられるはずです。しかしそんなストイックな考えは前時代的なのかもしれません。

「上手くなることが面白い」から「上手くなくてもいいから勝ちたい」、もしくは「上手くなくても楽しさを味わえる」ゲームに時代が移り変わっているのかもしれないですね。


そんなことを考えながら今日もポケモンユナイトをするのですが味方が弱すぎてマジでクソゲーすぎるわ。死ね死ね死ね死ね死ね




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