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【感想】FGO関連Ⅵ「雪原のメリー・クリスマス2023 ~7days / 8years Snow Carol~」case.2:魔術王はなぜ魔術を残した?

魔術王ソロモンはどうして魔術を残した?

・人間の魔術の開祖ソロモン

 魔術王ソロモンは現代まで残る魔術の開祖の一人として知られている。といってもそれは『人間の魔術』に限定した場合での話。魔術そのものの歴史はソロモン王の時代よりも更に古い。
 神代において魔術とは当時の霊長である神と契約する形式が主流であった。神とは『根源』と直接繋がる存在。その神の権能の欠片を借り受けることで神代の魔術は当然の権利のように世界を書き換えている。

 神代の魔術が真なる魔術であるとしたら、ソロモン王の流れを汲んだ西暦以降の魔術はかりそめに過ぎない。どうして真なる魔術が失われたのか。その主な要因は『神の消失』と『真エーテルの消失』であるとされる。
 神代の魔術を人間が扱うためには基本的に神との契約が必要となる。この契約は神代が終わった西暦以降であっても有効であり、西暦以降の地球環境でも(威力こそ落ちるが)神代の魔術自体は行使可能である。神代から生き続けている魔術師、神代に在った魔術師の再現体であれば西暦の世でも神代の魔術を扱うことが出来る。前者なら彷徨海の魔術師たち、後者なら「SN」のキャスターや「事件簿」のフェイカーが該当する。しかし、人間が霊長の座についたことで神は神霊へと零落し、神霊は地上から姿を消した。結果、現代の西欧の魔術世界で神と契約を結び、神代の魔術形式を復活させることは不可能に近い。
 魔力源である大気の魔力の質の変化も魔術の在り方に大きく影響を与えた。神代の星の大気に満ちる魔力『大源』は第五真説要素、あるいは『真エーテル』と呼ばれるものであった。この神代の魔力こそが神を成立させる根源であったと一部の魔術師は考えている。
 神代の魔力はソロモン王の時代にも大気に満ちていた。だが、ソロモン王の死を境に真エーテルは加速度的に消失し始め、最終的に西暦が始まる時点でゼロとなってしまった。だが、何らかの要因によって第五真説要素と入れ替わりに地球の大気には第五架空要素『エーテル』と呼ばれる人工の魔力が満ち、魔術、神秘は在り方を変えながらも継続する事になった。
 神の消失による神代の魔術形式の事実上の失伝。神を成立させる根源にして、魔術を起動するための真エーテルの消失。これら二つの要因によって本来なら魔術は西暦の開始と共に終わりを迎える筈だった。ソロモンが人間独力で扱える『魔術』を確立していなかったらそこで魔術は途絶えていただろう。

・ソロモン王と冠位指定

 ソロモン王がどうして魔術を確立させたのかについて考える前に「Fate/
Grand Order」やソロモン王にも馴染み深い言葉、『冠位指定』について今一度整理しておこう。

 冠位指定は二つに大別出来ると考えられる。つまり『人理の継続』と『人理の焼却』である。どちらも魔術世界における最初の魔術師、人間の魔術の祖である『魔術王ソロモン』が作り上げたと思われるルール。もちろんここでの『魔術王ソロモン』とは二つの意味、あるいは二つの存在を指す言葉だ。一つは人間の魔術師であるソロモン。もう一つは、ソロモンの死後にソロモンの名を騙り活動を開始した七十二柱の魔神たちの集合体『ゲーティア』である。

引用元:Fate/Grand Order materialⅣ ゲーティア

 ソロモン王の影、守護霊体として在り続け、同じ光景を見続けていた七十二の魔神たち。そんな彼らにとって『魔術王ソロモン』とは自分たちこそをを指す言葉なのだった。冠位指定が魔術王ソロモンによって敷かれたルールであるなら、同じく魔術王ソロモンである彼らが敷いたルールも冠位指定として扱われても不思議はないだろう。結果、本来なら人理の継続のために敷かれた冠位指定と、それを隠れ蓑とした『人理の焼却』を目指す冠位指定が人知れず成立してしまったのだと推測される。
 先に人間の魔術師であるソロモンが敷いた冠位指定は人理の継続であると述べたが、当然「それはカルデアやアニムスフィア独自の冠位指定であり、他の家系も同じとは限らないのでは?」と疑問に思う人も当然いるだろう。
蒼崎橙子が語るように、冠位指定は各魔術師の家系の開祖が神から授かった責務であり、それを受けて開祖たちはそれぞれの信念、理論を方針として定め子孫たちに残している。つまり家系ごとに非常に独自性が強いことは想像しやすい。それでも、全ては「人理の継続」という大きな枠組みでくくることが出来る、とここでは考える。
 時計塔の降霊家の開祖であるユリフィスの冠位指定が代表例であるように、冠位指定は試練としての性質も有する。実現するにはそれこそ根源に到達するか、それに近い奇蹟が必要とされる類の無理難題。そのために不可能と理解しながらも、魔術師たちは脈々と魔術刻印と継承し、魔術回路の量と質を高め、魔術の研鑽を重ねていく。だが、それら無駄な努力も全ては魔術世界という環境があってこそ行えることだ。神秘の漏洩、魔力の枯渇等で魔術世界の骨組みが崩壊してしまえば、無駄な研鑽すらできなくなってしまう。故に多くの魔術師たちにとって魔術世界の延命ないしは永続は共通の目的となり得る。
 「科学が未来に向かって疾走しているのなら、魔術師は過去にむかって疾走しているようなもの」とは魔道元帥ゼルレッチの言葉だ。その言葉を借りるのならば、魔術世界の延命・永続もまた人理の継続としての性質を帯びると言える。なぜなら、人理とは文字通り人の理だからだ。
 魔術と科学の関係は表裏一体であり、それが目指す方向性は真逆だ。だがどちらも人の理を解明するための技術という点で共通している。科学が発展するほど神秘は神秘ではなく常識へと堕ちていく。だが、科学で魔術と同じ事象を引き起こすことが出来ても、そこに宿る神秘性までは観測、再現出来ない。過去の時代に確かに在った神秘という人の理を解明し、現代にまで残すことは人理継続の上で必要な要素であることは「FGO」をプレイしたユーザーなら理解し易いだろう。レイシフトを代表とする魔術的な技術がなければゲーティアの人理焼却を破却することは出来なかったのだから。したがって、理由・目的を問わず魔術を残すために魔術世界を延命・永続させることは『人理の継続』として大きく括ることが出来る。

引用元:Fate/Grand Order 公式HPより

・魔術王ソロモンの願い

 冠位指定とは魔術世界を少しでも長く維持し、魔術を残し続けることで人理を継続させることを狙って敷かれたルールだと仮定する。人間の最初の魔術師であるソロモンの冠位指定は、おそらく最もその思想に沿ったモノなのだろう。だからこそ、ソロモンの弟子の一人である時計塔の院長ブリシサンは、西暦開始に前後して神秘(魔術)を「過去を識る学問」という形で残そうと考えた。
 過去を識る学問とはつまり忘却との戦いと言い換えることが出来る。歴史の積み重ねは多くのロスを伴うものだ。どうしても取りこぼしが出てしまう。その中には意図的に忘却される記憶、知識も含まれる。人は不必要な記憶だから忘却するのではない。罪、禁忌、後悔という人が善い行いをする時に持っていては都合の悪い記憶。そのような悪性情報を意図的に忘れ、自己の健全性を保つ機能ために人は忘却するのだ。
 一方で忘却とは永遠を定義する概念でもある。仮に過去にあった出来事、記録、記憶等の情報を永遠に残すことが出来たとしてもそれは意味がない。物事は観測者がいてはじめて意味が与えられる。つまり観測者が観測対象に抱く印象が不変でなければ、情報は容易く変化する。英霊とサーヴァントが良い例だ。英霊は座に登録された時点で不変の存在だが、サーヴァントという形態で召喚される際にはクラス、土地、信仰、マスター等の様々な影響を受けて変化する揺らぎを持つ。したがって、永遠を定義するならば情報を観測する観測者の印象すら固定化してしまうか、あるいはその情報を誰にも観測できなくしてしまう……忘却してしまうしかない。忘却されてしまえば、その情報はそれ以上に歪むことはない。仮に思い出すモノが誰一人いなくなったとしても、それが有ったという事だけは不変なのだから。
 過去にあった神秘を忘れずに、現代まで継承し続けてきた魔術師たち。悲願のために魔術世界の永続を願う魔術師たちが、他の誰よりも忘却という永遠を否定する立場にあるのは、なんと皮肉な構図なのだろうか。
 極端な言い方になるが、現代の魔術師とは旧時代からの生存者である。本来なら西暦の開始と共に滅亡を迎える筈であった魔術師たち。神々、精霊、妖精等の上位存在はおろか、地球創世記から存在していただろう純血の竜すら乗り越えることが出来なかった『終わり』を、彼らは乗り越えて生き延びてしまった。 
 ソロモン王がこれら全てを予見し、魔術を確立させたのかについては定かではない。ソロモン王が魔術を、冠位指定をどうして後世に残したのか……もしかしたらそれは『願い』だったのかもしれない。
 『白衣の男性』は語る。ヒト同士の生存競争に正があるとしたら、それは「生き残ったことについて考えること」だと。そして、それは『そういう人たちであってほしい』という彼の願いでもある。

 これを霊長の座を巡る生存競争に当てはめることが出来るなら、ソロモン王は新たな霊長たる人間たちに旧き霊長たちのことを忘れずに、どうして人間が霊長となったのか、つまり『生き残った事について考えて欲しい』と願ったのではないだろうか。それが正しいなら、その願いのためにソロモン王は過去を忘れず、忘却を否定する学問『魔術』を残したのだ。人理の継続という、永遠を目指す冠位指定は、同時に忘却という永遠の否定という二律背反な命題を帯びていたのだ。

・衛宮士郎の魔術師としての素質の高さ

 最後に衛宮士郎の話で本題を締めくくろう。「Fate/stay night」の主人公である衛宮士郎は決して魔術師として才能に優れる訳ではない。将来、魔術使いとしては大成するが、魔術師としては半人前の域を出ることはない。だが、才能と素質は必ずしもイコールではない。
 遠坂凛は魔術師の素質について次のように語っている。

「自分以外の為に先を目指すもの。自己よりも他者を顧みるもの。……そして、誰よりも自分を嫌いなもの。これが魔術師としての素質ってヤツよ」

 魔術師とは大なり小なり違いはあっても基本的に自己のために魔術を収める生き物だ。優れた魔術師ほどその傾向が強い。魔術師が弟子や身内に親身になるのも、結局のところそれらが『自己の分身』だからに過ぎない。
 一方で魔術師の素質の条件を照らし合わせると、衛宮士郎はまさに魔術師の素質に優れていると言えるだろう。そして、これはソロモン王が理想的とする魔術師の在り方と一致しているように思えてくる。
 第四次聖杯戦争を原因とした大火災から生き延びた衛宮士郎もまた『生存者』だ。どうして彼が『正義の味方』を目指すのか。自分を地獄から救ってくれた衛宮切嗣への憧れは確かにあっただろう。だが、その根底はこの地獄を覆し、誰かの力になりたいという『願い』であった。

 霊長の交代劇。編纂事象と剪定事象(異聞帯)の争い。そして、聖杯戦争。これらは規模こそ違うが、生存競争と言い換えることが出来る。とある世界の救世主の欠片は『生存競争こそが生命の根底。真の意味で生き残る手段である』と結論付けた。それがただ一つの道なのかどうかは、道半ばの人類史の存在では結論づけることは出来ない。だが、そうであったとしても、生き残った者は「どうして生き残ったのか」について考え続けて欲しいとソロモン王/白衣の男性は願った。多くの死に縛られながらも誰かのために魔術を使う衛宮士郎は、まさしくそんなソロモン王/白衣の男性が願う理想的な魔術師の在り方と言えるだろう。
 「Fate/stay night」から「Fate/Grand Order」へ発展するにしたがい、物語や世界観の規模は拡張したが、「Fate」という物語の根底にある『願い』は今も昔も変化していないのかもしれない。


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