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【与太雑記】冬コミ原稿素案Ⅳ『第四章:魔術組織(前編)』(メンバーシップ)


第四章 魔術組織

魔術協会(時計塔)

・序文

 魔術協会とは西欧を中心とした魔術世界に大きな影響力を持つ一大組織である。名目上は、国籍・ジャンルを問わずに魔術を学ぶ者たちによって作られた自衛団体。
 本部はイギリスのロンドンに存在し、魔術世界では「時計塔」の名で知られている。協会は時計塔を含んだ三つの学院に分かれている。ロンドンの時計塔、北大西洋の彷徨海、エジプトのアトラス院。始まりこそは、この三大部門に分かれてある程度の交友を保っていた協会であったが、時計塔が本部となってからは交流は廃れる一方だとか。日本、中東、大陸(中華)の魔術組織とも思想の違いから、表立った交流はなされていない。
 現代において魔術協会とは「時計塔」そのものを指すことが多い。学院の規模なら彷徨海、アトラス院も時計塔と同規模であるが、この二つに所属することは時代の流れに置いていかれることを意味する。結果、西欧圏の魔術師の九割が時計塔に籍を置いている。西欧を中心に活動する組織であるため、東洋人の魔術師は多くはない。だが、蒼崎橙子をはじめとして、時計塔で名を残している東洋系の魔術師は誰も彼もが一線級の魔術師である。

・魔術協会(時計塔)の歴史と『三つの』始まり

 魔術協会、あるいは時計塔の歴史を語る上で『始まり』、『創設時』、『設立時』等と表現される時代はいくつか存在する。これらは大きく『協会の基礎の始まり』、『校舎としての時計塔としての始まり』、『時計塔こそが魔術協会そのものとなった時の始まり』に分けられる。
 時計塔の始まりを西暦元年と記述する資料がいくつか存在する。だが、これは西暦元年の頃から時計塔がブリテン島を拠点として活動していた訳ではない。正確にいえば「西暦元年」とは現代において時計塔とほぼ同一視される『魔術協会』の基礎となったある運動が展開された時期を指す。
 西暦の開始に前後して神代は完全に終了した。本来であればこの時点で魔術も終わりを迎える筈であった。その終わりを前にして魔術王ソロモンの弟子の一人が師の教えを過去を識るための学問として神秘を残す運動を展開し、ひとつの学院を立ち上げた。この魔術師こそがブリシサン。現代の時計塔の伝承科の君主にして、二千年以上に渡って時計塔の学院長の座に在任し続けている魔術師である。だが、西暦20年頃に第五架空要素(エーテル)なる人工的な魔力が証明されたことで、魔術は形式を変えて西暦以降も存続し続けることになった。
 エーテルの証明以降、神代から残り続けた魔術師たちは二つの道に分かれた。一つはブリシサンの運動に賛同したモノたち。もう一つは彷徨海やアトラス院に引きこもったモノたちだ。後者はブリシサンの運動にこそ賛同しなかったが、同じ神秘学の徒として認知しあい、交友関係を維持する。この関係こそが後の魔術協会の三大部門の先駆けとなっている。また協会創始者の中には彷徨海やアトラス院から追放され、行き場を失った魔術師も数多くいたと言及する資料も存在する。もしかしたら、彷徨海やアトラス院の魔術師の中にはブリシサンの運動に賛同したモノたちが存在し、追放という形で移籍したことを意味しているのではないだろうか。
 ブリシサンとその仲間たちは精力的に活動したことで、魔術を学ぶ者たちは着実に増えていき、各地に多くの魔術都市が造り上げられた。西暦二世紀頃にもなると魔術世界は神代の頃の活気さを取り戻しつつあった。魔術協会が正式に発足したのもこの時期だと記録されている。魔道元帥ゼルレッチ、魔城のヴァン=フェムなど、西暦開始前後から数世紀の間に活動した魔術師たちの集まりのようなものがあったらしいがこの集団がブリシサンとその仲間たちと同一であるかは定かではない。
 大陸の西欧諸国において一大勢力を築き上げた魔術協会であったが、その最盛期は長くは続かなかった。西暦300~500年の間に魔術協会は大きく衰退していくことになる。衰退の要因は二つ存在する。一つは朱い月との戦争。もう一つは聖堂教会との対立である。
 西暦二世紀頃から魔術世界には死徒が頻繁に出現するようになり、魔術師を敵視して襲いかかるようになった。この諍いは最終的に西暦300年頃の朱い月と呼ばれる吸血鬼の王と魔術協会との全面戦争へと発展していく。戦争は最終的に協会の勝利に終わったが、協会側の被害も決して小さくなく、協会も衰退することになる。一方で西欧諸国において聖堂教会は着実に勢力を増していた。大陸での協会と教会の対立は教会の勝利に終わる。各地の魔術都市は次々と閉鎖されていった。この二百年は魔術にとって冬の時代だったといえるだろう。
 西暦500年頃にブリテン島から神代の神秘(真エーテル)が消失した直後、一部の魔術師たちはブリテン島に移住し、新しい学院を立ち上げる。この学院こそが魔術協会の本部たる『時計塔』であった。これが学び舎、校舎としての意味での時計塔の『始まり』である。大陸の魔術都市が閉鎖された結果、新しく作られた学院である時計塔には機能が集約されることになった。
 教会に敗れ、大陸を追われるようにブリテン島に移住した魔術師たちだったが、居住地であるブリテン島の地下で思いがけないモノを発掘してしまう。それこそが霊墓アルビオン。神代が終わった後も地上に残り続けたが、最終的に人理に屈し、星の内海に帰還する途中で地下で没した巨大な竜の亡骸である。この亡骸を魔力資産として利用するために、時計塔本部は亡骸の上に建築された。
 霊墓アルビオンなる膨大な魔力資産を手に入れた時計塔は魔術世界における希望の灯となり、多くの魔術師や資産家が時計塔に集まり始めた。そして、霊墓アルビオン発見から数百年後、天才児バルトメロイの登場によって時計塔はその組織体制を大きく変化させることになる。組織規模が大きくなったことに伴う施設の増加、貴族階級の魔術師であるロードの下地、君主制度と十二学科の確立。これらは西暦1000年から西暦1200年までの間に成されたことで、これによって時計塔は名実ともに魔術世界の中心となる。これこそが時計塔が魔術世界の中心、魔術協会そのものとなった『始まり』。これに大きく貢献したバルトメロイ、トランベリオ、バリュエレータの三家は後に三大貴族と呼ばれることになる。
 協会発足後に建造されたロンドン本部であるが、『協会発祥の地』とたびたび表現されることがある。これは、この『発祥』が意味するものが三大部門によって成立していた古き体制としての「協会」ではなく、君主制度完成後の現体制としての「協会」を指す言葉として用いられているからだと考えられる。

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