見出し画像

【感想】ロード・エルメロイⅡ世の冒険 「フェムの船宴(上)」 (前編)

記事一発目は2023年の夏コミで頒布された「ロード・エルメロイⅡ世の冒険    フェムの船宴(上)」の感想記事です。
感想記事と謳ってはいますが、作品を読んだ中で設定的に気になるところピックアップして自分の中で整理した内容となっています。
本記事を書いてる途中で、内容が当初よりも膨大になってしまったので前後編に分けようと思います。今回は前編となります。後編は次週更新予定です。


前置き『フェムの船宴(カーサ)』とは

奈須きのこ先生がTYPE-MOONで展開する伝奇作品は、世界観を共有することを特徴としている。各作品内では主題ではないため、大きく取り上げることはないが、設定としては古くから存在しているものなども珍しくない。
ロード・エルメロイⅡ世を主人公とした前作「ロード・エルメロイⅡ世の事件簿」(以下「事件簿」)、そして本作「ロード・エルメロイⅡ世の冒険」はそんな作品の背景として存在する型月伝奇世界観をより深く踏み込んで解析、解体していく物語だと言えるだろう。「魔法使いの夜」が型月伝奇世界の入門書なら、「事件簿」「冒険」は専門書とも言えるかもしれない。

「フェムの船宴(カーサ)」もそういった設定のみは古くから開示されていたモノの一つだ。過去に「フェムの船宴」について触れられた最初の作品は2005年発売の「Fate/hollow ataraxia」作中での以下の文である。

画像出典:Fate/hollow ataraxia

詳細は省くが、とある魔法使いが作り出した宝箱にちょっとしたアクシデントで閉じ込められた士郎と凛。携帯電話でなんとか外部に連絡を取って救出してもらおうと色んなところに電話をするもどうも電話の向こうの様子がおかしい。それもそのはず。この宝箱は第二魔法「並行世界の運営」を応用して作り上げられた由緒正しいマジックアイテム。この宝箱で携帯電話を利用して外部に連絡を取ると、並行世界の……それも数年前後時間軸がズレた場所に繋がってしまうのだ。
この時の電話相手の一人が数年後の並行世界のルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトであり、どういう経緯かは不明だが士郎を代理人としてモナコの「フェムの船宴」なるギャンブルに参加させているのであったと。
この時点では「フェムの船宴」そのものの情報はほぼ皆無ではあった。「Fate」と世界観の一部を共有する「月姫」には死徒二十七祖の一角にヴァン=フェムという吸血鬼が存在していることが既に開示されていたことから、そのヴァン=フェムと何か関わりがあるのではと推測されていた程度である。実際に、「hollow」の翌年、2006年に発売された「Character material」中のヴァン=フェムの説明に「この頃はセレブの町・モナコにビルを構え、週に一度はカジノ船で人々の挑戦を受けているのだとか」という一文があったことから、「フェムの船宴」の主催者は死徒二十七祖の一人(後年、「Fate」世界には死徒二十七祖という枠組みは存在しない扱いとなったが)であるヴァン=フェムであることがほぼ確定したと言える。
そこからしばらく「フェムの船宴」についての目新しい情報開示は無かったが、成田良悟先生作の「Fate/strange Fake」(以下「Fake」)にはモナコ出身の魔術師、フラット・エスカルドスが登場することから、いくらかヴァン=フェム本人についての言及がされ、ビジュアルこそ出なかったが「冒険」に先駆けて登場するに至った。
そういった長い経緯、積み重ねを経て本作ではついにヴァン=フェム本人のビジュアルの開示、そして彼が取り仕切る「フェムの船宴」が主題となる時が来たのであったと……実のところ大まかなビジュアルについてはその前にとある作品に出ていたのだが……

記憶飽和

エルメロイⅡ世たちが世界を巡る本作。シンガポール(1巻)から始まった旅路(冒険)は日本(2・3巻)、エジプト(4・5巻)を経てついに「フェムの船宴」があるモナコにまで到着する。

前作にて明らかになったエルゴの正体。かの征服王イスカンダル(アレクサンドロス3世)の息子であるアレクサンドロス4世の亡骸と三柱の神を利用した神を喰らう実験から生まれたモノがこのエルゴなる少年の正体であった。
「Fate/Grand Order」(以下「FGO」)等でたびたび描かれていた通り、神とは膨大な情報量を持つ存在である。人が持つ情報量と神が持つ情報量、その差は比べるまでもない。結果、三柱もの神を宿すエルゴという器は絶えず内に宿す神から侵食を受け、最終的に記憶飽和を引き起こすと予想されている。
過去作品での類似例を挙げるなら、「Fate/stay night」(以下「SN」)における小聖杯がこれに近い事例かもしれない。

戦いに敗れ、サーヴァントという形態を失い、純粋な魔力へと還元された英霊の魂を座に帰る前に回収する役割を持つ小聖杯。第五次聖杯戦争において用意された小聖杯は聖杯に人格を与えた高次生命、ようはホムンクルスと人間のハーフであるイリヤことイリヤスフィール・フォン・アインツベルンだ。イリヤのキャパシティは膨大だが、それでも「SN」作中で描かれた通り限界はある。イリヤのキャパシティでも問題なく回収可能な英霊の魂は4人が限界。それを超えると容量を空けるために人間としての機能が不要なモノとしてカットされていってしまうのである。

またミクロとマクロの関係の違いがあるが、この神という膨大な情報量による記憶飽和は、並行世界による宇宙の情報飽和に近いと言えるだろう。
型月伝奇世界観において、宇宙に存在するあらゆるモノは有限である。人間の寿命が有限であるように、世界や空間にも寿命(限界)はある。並行世界は人間に認識出来ないほど存在しても、その総数は決して無限ではない。何故なら、仮に無制限に並行世界が増え続けた場合、それによって発生する情報量は次元の容量を容易く超えてしまうからだ。現在の地球レベルの文明から発生する情報量であれば百年程度で太陽系が情報飽和してしまう。それを避け、宇宙の寿命を延ばすための方式が「編纂事象」と「剪定事象」による並行世界の運用であると型月伝奇世界の魔術師たちは推測している。

このエルゴの記憶飽和を回避するため、神を還す手段を知る旅路が「冒険」という物語の主軸である。神を還すためにはその正体を識る必要がある。三柱の中で既に二柱の神の名が紐解かれている。今回の物語では残す一柱の名が明かされるのか。それとも先にこの実験を始めた古き魔術師たちとの決着がなされるのが先になるのか。アトラス院、彷徨海、山嶺法廷等の神代から活動していた魔術師たちは神喰実験の先にそれぞれ何を求めたのか。それらが明かされる日はもう遠くないだろう。

吸血鬼と人狼。怪異の王

フェムの船宴。本作に登場するそれは死徒ヴァン=フェムが取り仕切る、モナコに存在するカジノ船である。「事件簿」「冒険」において死徒が物語に関わって来たのはこれが初めてではない。「事件簿」に登場した魔眼蒐集列車(レール・ツェッペリン)も死徒が取り仕切る特異な舞台であった。だが魔眼蒐集列車は魔術世界にのみ知られる存在だったが、ヴァン=フェムのカジノ船を堂々とモナコ国内に存在しているであった。

既に周知の事実であるが、「Fate」の世界では「月姫」の世界ほど死徒は大きな力を持たない。この理由やそれによる二つの世界の差異は様々だが、一番顕著な違いは「死徒二十七祖」という死徒たちの頂点たる枠組みが存在しないことだろう。その結果、「Fate」の世界では既に退場した死徒が「月姫」の世界では未だに健在だったり、「Fate」の世界では現代でもアトラス院の院長を務めているモノが、「月姫」の世界ではアトラス院から出奔して「現象」へと成り果てていたりと。だが、二つの世界が分岐する前段階ではいくつか共通する点もある。
本作でエルメロイⅡ世が指摘しているが、魔術世界でも最古の存在である死徒が現代の創作における吸血鬼のイメージ、最新の解釈と多くの部分で一致するのは少し不可解である。そして、この指摘は本作が初めてではない。「魔法使いの夜」や「月姫」等でもこれに近い指摘は何度かされていた。


 金の狼。
 人語を解するアレは、人狼と呼ばれる魔獣に違いない。
 捏造され流布された怪物の王、“吸血鬼”より遥かに古い起源を持つ、西欧の“森の人”。

引用元:魔法使いの夜


※ただし「吸血鬼」というクリーチャーは1900年代から語られ始めたもの。現実の伝承としては実はもっとも日の浅いモンスター。反面、吸血鬼の手下であるとされる狼男は古くから伝わる怪物で、そもそも吸血鬼のモデルの一端には人狼の特性が加えられている。

引用元:型月稿本

現実のそれと同様に型月伝奇世界でも吸血鬼よりも人狼の方が遥かに古い怪異として扱われている。死徒がいつどの時期に発生したかは不明だが、「月姫」における死徒二十七祖の歴史が三千年近いことからも、「Fate」「月姫」のどちらの世界でもその発生起源は紀元前1000年より過去であると推測される。
一方で型月伝奇世界における人狼の具体的な発生起源は定かではない。「魔法使いの夜」に登場した最後の人狼(金狼)は形を持った時期こそ西暦18世紀頃だが、発生そのものは奇しくも「月姫」における死徒二十七祖の成立とほぼ同時期の紀元前1000年頃である。また、紀元前1000年頃に終了したとされる北欧世界の神代末期において既に金狼は古き種として扱われていたことから、その起源、彼らの活動した最盛期はそれよりも遥か過去であると推測出来る。
死徒がどうして創作における最新の吸血鬼の解釈と多くの一致をみせるのか。捏造され流布されたという言葉が正しいのならば、意図的に吸血鬼を怪物の王として祭り上げたモノがいるのだろうか。いかに数々の神秘を扱っていた「冒険」でも死徒が主題とならない「Fate」の世界を舞台としている以上はそれらが明らかになる可能性は低いかもしれない。だが、死徒が主題として扱われる「月姫」の世界でならば……

英霊の在り方と聖槍の能力


ああ、あれだ。 境界記録帯となることで、英霊の鋳型が、集合的無意識の認知に引っ張られるのに近い現象だ。まさか、現代であんなことが起きるとは思ってもいなかったんだが

引用元:ロード・エルメロイⅡ世の冒険「フェムの船宴(上)」

グレイの「最果てにて礎なる夢の塔」についての彷徨海の魔術師ジズの見解。聖槍の影としての機能と言うよりも、それは人々に語り継がれていた聖槍の伝承に近いとジズは判断している。そして、現象としては英霊の鋳型が集合無意識の認知に引っ張られるのに近いと。これはおそらくサーヴァントの強さに関する三要素の一つ、いわゆる知名度補正に関係していると推測される。
英霊を使い魔として確立したサーヴァントの強さは主に「土地」「知名度」「マスターの魔力」の3つの要素によって上下する。この場合の強さとは伝説通りの能力、装備に近づくことを意味する。これにはサーヴァントの現界とその在り方に大きく関係している。
サーヴァントの現界とその在り方は大きく二つに分類出来る。一つはサーヴァントというクラスの鋳型に当てはめられることで力が減退している者。神話、伝説、伝承に由来する英霊の大部分は神秘が神秘ではなく常識として在った神代に活躍したモノたちがこれに該当する。もう一つは伝説、伝承と共に在ることで強化されているモノ。歴史上の実在が記録として確認出来ている英霊は主にこちらに分類される。生前から魔術回路を持っていたモノなどは例外的だがそうではないモノの生来の能力は現実の範疇に収まる。特に近代以降の英霊は何かしら存在が誇張化されているのは珍しくない。
生前から超人的な能力を持っていたモノは知名度や土地の補正はその生前の能力をどれだけ再現できるかという形で作用するが、生前に超人的な能力を持たなかったモノには知名度や土地の補正は伝説、伝承がどれだけ誇張されるのかという形で作用すると言えるだろう。
そういう意味でグレイの「最果てにて礎なる夢の塔」は後者に近いケースだとジズは判断したのだろう。もともと聖槍になかった機能、あるいはそれに近い機能はあったがそこまでの力を有さなかったモノが人々の伝承に引っ張られる形で後天的に付与された、あるいは誇張化されたモノであると。

神代と現代の違い


神代と現代とは、それほどに異なってしまっている。
(……でも)  
一瞬、疑問が脳裏をよぎった。
(どうして、神代と現代で、そんなに違ってしまったんだろ)

引用元:ロード・エルメロイⅡ世の冒険「フェムの船宴(上)」

神代と現代の魔術形式が異なるのは「FGO」「事件簿」でたびたび触れらている内容である。神代の魔術とは神との契約によってその力の一部を借り受けて世界を上書きする力。その力とはいわゆる神が扱う「権能」と呼ばれる奇跡の御業である。その神に連なるモノしか扱えない神秘を、人間でも扱える形式としたのが現代まで残る魔術であり、その基盤を構築したのがソロモン王であるとされている。この辺は西欧の魔術世界での話であり、既に「冒険」で語られた通り日本や大陸ではこの辺の事情は少々異なっている。だが、神代と現代における魔術の違いはこれだけではない。神代と現代ではそもそも地球環境そのものが大きく異なっているの理由の一つである。

この星は霊長となった種族の認識、知性の方向性に従う形で星の理を変化させる。神代とは文字通り神が在った時代。星の理は神にとって最適化された形で運用されており、大気には神を成立させる要素たる真エーテル(第五真説要素)が満ち溢れていた。現代では魔法ですら叶えられない奇跡である「死者の蘇生」が現代にまで残る神話に記録されているのも、そもそも神が霊長として在った世界において死の概念、死後の概念が現代のソレと大きく異なっているからだ。これは「FGO」第一部第七章が例として分かりやすいだろう。神代末期とはいえメソポタミア世界では死後の世界である冥界は物理的に地上と地続きの形で地下に存在し、何らかの要因で魂が肉体から抜け落ちても肉体が無事な状態にあれば魂を戻すだけで蘇生させることが出来る。

このように神代とは神にとって最適化された星の理で運用されていた。神代において神秘が神秘としてではなく常識として在ったと言われるのもその所以であろう。だが、いくつかの段階を経て神が消失し、神代が終わりを迎えたことで星の理は神ではなく人間にとって最適化された形に変化していった。結果、大気から真エーテルは消失し始め、自然現象から発生した神は自然に溶けて霧散した。この神代の神秘、真エーテルの減少はソロモン王の死を境に加速化し、西暦が始まる頃には「ゼロ」になると予想されていた。真エーテルは神を成立させるだけではなく、魔術を動かすために必要な要素である。これが大気から失われることは魔術の実践が不可能になることを意味する。いかに神に頼らずとも神秘を成す術であってもその動力に魔力を利用していることには変わりない。故に、ソロモン王が確立した魔術であっても本来ならば西暦が始まった時点で神秘を成す術としては機能しなくなる筈であった。もちろん魔力には大気に満ちる魔力以外に魔術師個人が持つ魔力(小源)が存在するため、それを利用すれば西暦以降であっても魔術は機能しただろう。だが、魔術の基本は等価交換。大自然に干渉出来る規模の魔術は大自然に満ちるほどの魔力なしでは成立し得ない。いかに魔術師個人の魔力が在ろうと、大気に満ちる魔力なしでは一部の例外を除いて魔術の実践と探求は大きく制限されてしまっていただろう。しかし、実際にはそうならなかった。一部の島国を除いて大気から真エーテルは失われたが、西暦が開始してしばらくしてから人工の魔力であるエーテル(第五架空要素)が証明されたことで西暦以降も魔術は残り続けることとなったのであった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?