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【感想】FGO関連Ⅲ(サバフェス2023)

 本記事は「サバフェス2023」に関する記事の「後編」にあたります。「前編」がまだ読まれてない方は下記からお読みください。

サーヴァント・サマー・フェスティバル2023!(後編)


■■による宇宙からの侵略

 長い間、オーストラリアを見守っていた大精霊ワンジナ。大気を担う性質から人々と真っ当な交流こそ無かったが、当時の先住民たちには「不思議な感覚」によって、それがこの惑星の生命にとって善いものだと信じていた。だが、時が流れ海の彼方から流れ着いた人々によって、その不思議な感覚は遮断され、ワンジナと人々の交流は完全に絶たれることとなった。

画像引用元:Fate/Grand Order

 海の彼方から流れ着いた人々は故郷での経験から、ソレ(ワンジナ)がなんであるのかを知っていた。この海の彼方から流れ着いた人々とはイギリス人であり、イギリスによるオーストラリアへの本格的な入植が始まったことを意味していると考えられる。
 当時のイギリスは既に人の世であったが、西暦以降も神代の神秘が残り続けた影響なのか、現代においても妖精による現象が報告されている。神代や妖精の時代、妖精國ブリテンという異聞史という例外を除けば、西暦以降の妖精は人間に知覚出来ない程度の霊的存在が主と考えられる。姿が知覚出来ずとも、妖精による現象については未だ信じられていた時代において、姿形は見えずとも「確かにある」という大精霊ワンジナの存在は妖精の一種であると当時のイギリス人たちは考えたのかもしれない。ならば彼らが言う「アレは、■■だ」とは『妖精』あるいは『精霊』を指す言葉だったと考えるのが筋だ。だが、ここは少し捻くれて別の言葉だったのではと考えてみたいと思う。ずばり、イギリス人たちはそれを『悪魔』と捉えたのではなかろうか。

 型月伝奇世界において悪魔と呼ばれる存在はいくつか確認されている。妖精に純正とそうでないものがあるように、悪魔にも本物(真性)とそうではない偽物が存在する。悪魔といえばソロモン王の使い魔を連想するが、悪魔の概念はソロモン王よりも後の時代に成立したため、ソロモン王が使役した使い魔は悪魔とは別のカテゴリー(魔神)の扱いとなる。だが、悪魔の概念が成立する前、人間が名付ける前から存在した悪魔はたしかに存在した。それを聖堂教会では『受肉した魔』あるいは『真性悪魔』と呼ぶ。
 『真性悪魔』は生物である以前に『魔』として創造された存在だ。人間の魔術師は魔術回路という疑似神経、後付の能力を用いて魔術を成す。だが、最初から『魔』として創造された真性悪魔に疑似神経は存在しない、否、必要ない。生体機能全てが『魔』を成すことを前提に創造されたこれらは、当然のように人間より優れた魔術(神秘)を成すのだ。現代の魔術世界で『固有結界』と呼ばれる異界創造法も、元々は悪魔と呼ばれるモノがもつ『異界常識』(アストラリティ)だったと言われている。
 このような真性の悪魔以外にも悪魔というカテゴリーに属するモノは存在する。モノの想念が集まりカタチを成す実像幻想。人間の想念を被り、『個体名』となるモノ。これらは真性ではなく偽物の悪魔として扱われる。このような悪魔は、人々の想念や土地の性質によって指向性を得たエネルギーが仮初めのカタチ(名)を得たものに過ぎない。そのカタチは文化圏の影響を受けるため、西洋の文化圏でなら条件次第では『悪魔』以外に『聖霊』や『天使』のカタチを得ることもあるが、東洋なら『魑魅』としてカタチを得ることもある。中には自らの業で人間でなくなってしまい、結果として悪魔のカテゴリーに含まれるモノも存在する。これは魔人化と呼ばれる現象であり、これによって人間から変生した魔人も真性の悪魔ではない。
 真性にしろ偽物にしろ悪魔は人の苦悩を理解し、取り除こうとする第六架空要素だ。ある意味では人間の味方とも言える。悪魔はあくまで人間の願いによって生み出され、願いによって呼び出される受動的な存在だ。つまり、彼らは『人間が創造したカタチ』に即した方法でしか実体化できないのだ。これは、英霊という存在をクラスという『役割』に落とし込むことでサーヴァントとして成立させている関係に近いと言える。
 たいていの悪魔は憑くモノであり、人間の身体を利用して受肉しようと試みる。いわゆる西洋の悪魔憑きがこれだ。日本の犬神憑きや狐憑きに近いが、日本の憑き物は『呪う側』の意志に基づく行いなのに対して、西洋の悪魔憑きには意志はない。善良で肉体が健全な人間なら誰もが悪魔の苗床になりえるのだ。だが、苗床になった人間の精神あるいは肉体が変化に耐えきれずに自壊するのが常である。稀に魂という存在の設計図を悪魔に食われながらも、その食らいついた『モノ』を逆に利用して生き延びてしまう異端も存在する(※受肉した悪魔に人間は太刀打ちできないが、退散させた例は一例のみ記録されている)。
 「Fate/stay night」のアンリ・マユは偽物の悪魔だが、「Fate/EXTRA CCC」のとあるルートで変生した神の域に達した殺生院キアラはEXTRA世界で唯一、真性悪魔の受肉が成功した例として扱われる。
 
 どうしてイギリス人たちは精霊であるワンジナを悪魔だと考えたのか。それは真性の悪魔とは精霊・妖精が転じて生まれてしまったモノだからではないだろうか。
 先に話した通り、悪魔は非常に優れた魔術を扱う。一部の人間の魔術師が扱う固有結界も、元々は悪魔が持つ異界常識を長い年月をかけて個人の心象世界をカタチにする魔術が完成したことで人間でも可能になったという経緯がある。この固有結界(異界常識)こそ悪魔と精霊(妖精)の関係を繋ぐ要素であると考える。
 固有結界は空想具現化と呼ばれる精霊のみが扱える異界創造法の亜種という位置づけだ。そして、固有結界は本来なら悪魔だけではなく精霊が持つ能力だったとされている。その一方で自然の延長線である精霊以外の存在が異界を造りあげると世界そのものがそれを修正しようと潰しにかかる。この関係を整理するとこうなるのでないのだろうか。
 元々、真性の悪魔も精霊だった。通常、肉なき精霊は我欲を持たず、善意も悪意も持たない超自然的な存在だ。その精霊が何かの間違いで我欲を獲得し、主体を得て、自然から独立したモノが真性の悪魔なのではなかろうか。我欲とは自分の世界観、心象世界と言い換えることが出来る。自然から独立したことで自然への影響力は低下したが、確固たる自我を獲得したことを利用し、空想具現化を応用して心象世界によって世界を侵食する異界常識(後の固有結界)を編み出すことに成功した。このように編み出された異界常識はそれ以降、受肉によって仮初の自我を獲得した精霊たちによる模倣、純正の妖精たちの妖精領域、人間の魔術師による魔術への落とし込み、という様々な変化・発展・応用を経て多くのモノが持つに至った独自の結界『固有結界』として成立したのではないだろうか。
 悪魔が元が精霊だったことを示す一例として、呪腕のハサンが扱う呪腕の本来の持ち主たるシャイターンが存在する。シャイターンは悪性の精霊であり、人界に染まる形で受肉してしまった。これは堕落の末の受肉であるため、元々有していた権能をほぼ失ってしまった。悪性の精霊と言い濁しているが、様々な事情を無視すれば『悪魔』と呼ぶに相応しい存在のようだ。

 当時の西欧諸国において悪魔を原因とする現象、被害がどれだけ存在し、魔術世界の事情を預かり知らぬただの民衆たちにそれらがどの程度正しく伝わっていたのかは不明である。だが、かつて悪魔と呼ばれる災厄の一端を伝承等の形で伝え聞いていたモノたちは、遠く離れた彼らが信奉する神の教えが根付いていない大地にそれらがまだ存在したと思いこんでも不思議ではないだろう。

魔力の指向性と高次生命体が扱う神秘

 純正の妖精と精霊はどちらも星の触覚から派生した種族である。同じく星の触覚から派生した種族には神霊もいるが、神霊が人間の信仰によって生まれ、人間に対して法を敷く高次存在であるのに対して、妖精や精霊や人間の信仰と無関係に存在する超存在であると考えられている。
 妖精も精霊も非常に近い存在だ。かつて古い設定では、その違いは存在規模の大きさの違いにあるとされていた。どちらも自然、星の触覚だが、人間に知覚出来るモノを精霊、知覚出来ないモノを妖精と分けていた。だが、この設定を現在の最新設定にそのまま応用出来るか不明な点が多々ある。もしも適用できたとしても、西暦500年の妖精の時代の終わり以降、地上に現存する妖精や精霊にのみ当てはまる設定なのではないだろうか。
 最新の設定に則るなら妖精と精霊の違いはその知性の在り方にある。妖精は良くも悪くも人間的な知性があるのに対して、精霊は超自然的な存在でただそこにあるだけのもの。妖精はその知性の方向性によって魔力の残り香に一定の指向性が与えられる。魔力に指向性が与えられるとは容易に魔術、神秘の形になりやすいことを意味する。妖精はただ生存するだけで魔術めいた『神秘』をなすのだ。汎人類史にしろ、妖精國にしろ一部の例外を除いて妖精に魔術師が存在しないのは、彼らが魔術なしでも神秘を成せるからだ。一方で精霊は悪意も善意もないため、どれだけ膨大な魔力を持とうとその魔力が勝手に指向性を持つようなことはない。第三者がそれを利己的に悪用しない限り、あるいは本来は肉を持たない精霊が何らかの要因で受肉して主観を獲得しない限りは。
 現代の魔術世界での人間の魔術師にとって魔力とは魔術を起動させるための動力源であり、魔力単体では神秘たり得ない。だが、現代においても妖精のような例外、特例は存在する。魔力そのものが魔術に近い特性を持つ場合に限り、カタチとなることがあるのだ。その一例がアインツベルンの聖杯、つまり人間とホムンクルスのハーフであるイリヤスフィール・フォン・アインツベルンである。
 イリヤは魔術的には聖杯に人格を与えた高次生命に位置づけられる。生まれながら『願いを叶える』という魔術特性を持ち、生命活動と聖杯の機能が直結しているため、イリヤは魔力を放出するだけで何の魔術式も介さずに魔術めいた奇跡をなすのだ。もう一つ、真性悪魔もこのケースに当てはまる。先の項目で言及した通り真性悪魔は生物である以前に『魔』として創造されたモノだ。故に、生体機能全てが『魔』という神秘をなす機能として働く。悪魔が精霊・妖精が転じた存在なのでは、と自分が考える理由もこのように近い特性を有する点からきている。
 かつて神代に生息していた幻想種も魔術に非常に等質な生得領域という超自然的なルールを纏っていたとされる。神代の幻想種の大部分は世界の裏側に去り、西暦以降の地上の幻想種はあくまで独自の進化を経ただけの、自然の生物として成立する存在に過ぎないため、そのような魔術めいた生体機能を持たない。だが、現代でも時計塔地下に存在する霊墓アルビオンに生息する幻想種などは、現実ではありえない形質をいまなお有し続けている。

一番目の神秘の在り方

※以下、ケット・クー・ミコケルの絆礼装のネタバレ情報あり

 妖精にとって神秘とは魔術式等を用いずとも生体機能として成立するモノ。それでも一部の妖精の中には魔術を使用する変わり種が存在する。汎人類史における第一魔法の具現者たるユミナを代表とする原初の魔女の一族、妖精國ブリテンにおけるモルガン、アルトリア・キャスター、妖精騎士トリスタンがこれに該当する。その中でもユミナと異聞帯のモルガンにはよく似た点がいくつか存在する。
 異聞帯のモルガン、かつての救世主トネリコが魔術を用いるのはその正体を隠すため。当時のトネリコは妖精たちに「楽園の妖精」という素性を隠す必要があったため、自身の妖精としての特性に頼らない魔術を編み出す必要があった。それこそが童話魔術。起きた事を一冊の本とし、その物語の内容を凝縮して、現象として再現する、というものだ。これは彼女独自の魔術だが、同時に妖精騎士トリスタン曰く『汎人類史の魔術師たちは忘れてしまった、一番目の神秘の在り方』でもある。一番目の神秘、つまりは魔女ユミナが成立させたという第一魔法に非常に近いものではなかろうか。
 異聞帯のモルガンはかつて妖精歴に起きた数々の童話を魔術として再現する。これは彼女が『楽園の妖精』としての役割を応用した神秘であると考えられる。楽園の妖精とは星の聖剣を鋳造するために必要な地上の情報集積する装置だ。この特性を利用して過去の出来事を物語として記録し、それを再現する魔術を編み出した。ユミナの魔術もそれに近いのだとしたら、それは神代や妖精の時代における神話・伝説を再現する神秘なのではなかろうか。つまり、西暦が始まる前に起きた様々な奇跡とそれに纏わる物語を本のような形で残し、再現する。これは時計塔の院長であるブリシサンが、師であるソロモン王の魔術を神秘としではなく、「過去を識る学問」として残そうとしたことと近い思想といえるだろう。
 世界を剪定する偉業でも、世界の全てを収納するシステムを以てしても、一度生まれたモノ、物語は消え去らない。その物語を読むものがいなくなっても、その価値を理解出来るモノが消え去っても、この宇宙に残り続ける。あらゆるモノが失われても残るモノがある。それこそが一番目の神秘。魔術協会において『無の否定』と呼ばれる奇蹟なのではないだろうか。そして、これこそが西暦以降も魔術が残り、人類史が存続するキッカケとなった最初の奇蹟なのだと考える。
 
 ※第一魔法やそれ以前の魔法がどうして生まれたのかについては過去のメンバーシップ記事(有料記事)で語っているので興味がある方は下記の記事をご参照ください。


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