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つれづれ通信(仮)No.19 いつも心に新聞を

いつもお世話になっております。 コジコジです。
今日は、雨が一日降り続いております。
一昨日は晴天だったんですが…
晴天だったので久し振りに自転車で街中を回りました。
今日は、宮崎県の新聞の歴史について書いてみました。


なぜ、新聞の歴史?

宮崎県の地方紙である宮崎日日新聞で、来年度から購読料の値上げされる旨の記載がありました。
燃料費など価格の高騰に耐えられないとのこと、致し方ないのかな~っと
それに関して宮崎県の新聞の歴史を書こうと思いました。

日本の新聞の始まり

日本における日刊新聞の始まりは、明治3年(1871年)に横浜で創刊された
「横浜毎日新聞」が最初です。
当時の神奈川県令(いまでいう知事)が横浜の貿易商たちに新聞の必要性を説き発行にいたりました。当初の横浜毎日新聞は貿易に関する情報が紙面の中心だったようです。
当時の政府は、新聞の普及が国民の啓蒙に役立ことから、優遇する政策を取りました。また、政府は日本各地に無料の新聞縦覧所や新聞を人々に読み聞かせる新聞解話会を設置したほか、郵便で新聞のない地方へ届けるために優遇するなど各新聞社を支援していました。

宮崎県初の新聞は?

宮崎県では、明治21年(1888年)3月に創刊された「宮崎新報」が最初です。
明治 29 年(1896)6 月 15 日に発災した明治三陸地震を伝えています。
テレビ、ラジオ、携帯もない時代で

大海 嘯 15 日宮城県、岩手県、青森県東岸海嘯あり。宮城県は家屋流れ 500 戸、溺死あり。其 その 上 うえ 釜 石過半流れ 頗 すこぶ る惨状を呈し、人畜の死傷多し

(宮崎新報1896年6月18日付け)歴史資料に見る宮崎の 災害・防災No.6より

上記の内容は17 日午後 6 時 3 分東京発信の電報情報を掲載したものでした。宮崎新報は、その後も連日、電報で入手した被害状況などを伝えました。義援金の掲載もしていたそうです。

宮崎新報創刊号(平成26年10月宮崎県立図書館情報誌緑陰通信)

宮崎県の新聞社の歴史

宮崎新報が創立後、「日州新聞」明治23年3月創刊(その年の12月廃刊)、「日州日日新聞」明治24年1月創刊、「日向日報」明治27年5月と新聞社ができましたが、明治34年8月に「日州独立新聞」が登場しました。こちらは「宮崎新報」を吸収し、「日州新聞」に名称を変更しました。
その後大正時代になると「宮崎毎日新聞」などの地元紙が創刊され、さらに、鉄道の開通を機に県外に資本を持つ「延岡新聞」や「都城新聞」などが入り、新聞の数も増えました。昭和戦前期には新聞統制が行われ、昭和15
年(1940)には政府の思想統制の一環である「一県一紙」政策により、宮崎県内にあった多くの新聞が「日向日日新聞」一紙に統合されました。
そして昭和36年1月に現在の「宮崎日日新聞」に名称が変更されました。
参考までに


おわりに

今回は、宮崎の新聞史について簡単に書きました。
多くの人に今も情報を送り続ける新聞、時代は進んでいつでも情報を得ることができますが、新聞でしか伝えることができないこともあると思います。時間があれば宮崎の新聞史についてもっと調べてみようと思います。
話はかわりますが、金曜日に仮面ライダー555を見に行こうと思っています。それでは!!

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