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だから、多数決って嫌い

これ、ツイッターで流れていたんですけど。
いま、国会では色々とごたついているようですけど。

別に国会前で活動している人を批判したいわけではありません。しかし、どんどんどんどん、本来問題にしなければいけないことから乖離していくような気がします。

そもそも、集団的自衛権によって何が問題なのか。

それって「日本が戦争に巻き込まれる」ことですか?

徴兵制になることですか?

アメリカの言いなりになることですか?

この問題で根深いのは、憲法における前例を無視して法律を成立させようとしていること。あとは、今の議員が役に立っていないこと。それら重要な問題があるにもかかわらず、シュプレヒコールされるのは「戦争止めろ」という言葉だけ。

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そもそも、集団的自衛権が無くなれば誰が国を守るんですか?
アメリカだって、他国だって集団的自衛権のことを白紙にすれば日本を守ることへ消極的になるでしょう。むしろ、集団的自衛権が無くなると徴兵制が濃厚になる気がします。
たとえば、スイスは永世中立国です。しかし、スイスは誰とも戦争をしないわけではありません。自国の兵が守っているだけ。そのため、スイスは誰もが兵隊になります。徴兵制です。ずっと「戦争止めろ」と言っている人たちに何か引っ掛かっていたんだけど、この事実を知って腑に落ちた。

あと、世界的には徴兵制という制度を採用しない方向性に動いているとか。
アメリカでも軍隊は作っているけど徴兵制は取っていません。ならば、なぜ日本で集団的自衛権が通っただけで徴兵制となるのでしょうか。論理が破綻しているとしか言いようがない。

このnoteでも日本の文化は植木的という発言を何度かしました。西洋文化を取り入れては切って、取り入れては切ってを繰り返しています。まだまだ民主化という言葉から離れている国です。個人とかプライバシーとか、ヘタすれば資本主義も理解していない可能性があります。

そんな国で、デモとか正義とか悪とか言われても、僕にはよくわからない。

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僕は多数決が嫌いです。なんでかって、数が多いとそれが正しいと錯覚するから。それは、この記事の冒頭で挙げた写真が物語っているでしょう。

特に、多数決が日本ではぜったい。多数決なら法律もへったくれもない。そりゃ法律が役に立たないこともある。多々ある。でも、法律は平等に働くことだってある。

もし、多数が絶対なのであれば、社会に交じって活動する障害を持った人は悪となります。人口比を見れば健常者のほうが多いでしょう。

だったら、車に乗って横断歩道の上に停車する健常者って正義なんですかね?
もし、目が見えない人が横断歩道の点字ブロックに沿って車を棒で叩いたら、車に乗っている人は怒るんですかね?
しかも、周りの人も目が不自由な人を攻撃するんですかね?

たとえがたとえですが、多数が絶対の世界って潜在的な差別を生んでいる気がします。そして、差別だけじゃなくて多数決思想や道徳絶対論に拍車を掛けている気もします。

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いま、この日本でも「安保法案」にかんする法律ばかりがフィーチャーされています。ですが、日本が抱えている問題ってそれだけですかね。

これだけ国会に人が集まったのって、漠然とする不安と政治に対する怒りが根幹にあると思います。ですけど、感情に任せて、自分のやるべき仕事を放り出して「戦争反対」だけ叫んで解決するんでしょうか。

もっともっと考えるべきなのは、僕たちの生活基盤だと思うんです。まずは、自分たちの生活を豊かにすること。それが大事だと思います。
だって、安保法案が決まる中で、派遣・労働にかんする新たな法案が通っています。僕たちが安保法案に目がくらんでいる中、経済や生活にかんする法律が滞っていたり、変な方向性に向かっているのに誰も見ない。そっちのほうが大問題な気がするんですよね。

たしかに、ダメなことに No というのは大事。だけど、何も知らずに No と言ったり、ただ怒りにまかせて国会に行くのも大問題。尚且つ、声がする方や同じ内容のニュースばかりみるのも問題。同じ立場から見ていては、何も本質は見えてこない。だから僕は、洋画が好きなのかもしれません。

今回の騒動を一通り見ていて、僕はそう感じました。

おわり

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