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精神論

おしなべて精神論は好きではありません。

精神論において語られる「気持ち」というものが実に曖昧な場合がほとんどだからです。

前にもnoteに書きましたが、私は巷に溢れる
「強い気持ち」という言葉が大嫌いで、その言葉が使われた瞬間、飲み会における説教のような、全てを保留したまま納得を強いられる空気が流れるのを感じます。
「強い気持ちで臨んでほしかった」という苦言に至っては、単に周囲の人間に対してそれらしい態度を示せと言ってるだけの場合がほとんどだと思います。

スポーツ選手もミュージシャンも強い気持ちが大好きなので、ベテランから駆け出しまでみんな使ってますが、その中身が語られることは実に稀です。
「強い気持ちでいきました」
というコメントより、同じ曖昧でも
「今日は集中できた」
と言った方がどれだけ伝わるか。
「今日はバッチリ寝てきました」
となると尚良いです。


精神論でよくあるもう一つの言葉
「自分の弱さ」

以前とある後輩に
「自分の弱さに負けてしまう」と相談を受けた事があります。
そこで「やらなかったの?」と訊くと黙ってしまう。

「やりたくないわけではないんだ、だけど自分には弱さがあってそれが私の邪魔をしたんだ(心の声)。」
お前は妖怪ウォッチか。「怠けてしまった」と言えばいいのに。怠惰を認めれば、怠惰には充分身に覚えのある相手(私)も共感できて対策を講じることができるのに。

「自分の弱さ」が、ひとつの使いやすい言葉としてその人の中で定着しているから、結果的に中身を語る事を拒否できる。これはけっこう怖い事です。


似たような話で
私は演奏中にりきむクセがあり「演奏中リラックスしろ」という指導を受け続けて悩み、どうしても変わらなかったのが
「その足台高すぎじゃない?」という一言で解決した事もあります。
気持ちの持ちようで解決しようとすると、おのずと間違った状態のまま固まるという、実に良い経験をしました。


つまり、何か大事な場面に突入するときは、強い気持ちなどよりも睡眠の方がはるかに大事です!

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