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【宮古島帰省日記】Vol.6 | "知らない"を見られる。

ビジネスをしていると、神は細部に宿るという言葉をよく耳にする。

その言葉は深い。深く深く刺さる。
ただ、どうしても抽象的に解釈をしてしまう。

細かな小さなところこそ誰かが見ていなくても細かいことに手を抜かずやりなさいなのか、こだわりを持つことで神業的な所業が成せるのか、小さなことを積み重ねれば、、、などなど、いろんな解釈ができるが、どれもどうも抽象的でモヤモヤする。

一挙手一投足を見られるホテルマンや営業マンによくある話だが、どちらも細部にこだわりを持つから売れたり評価が上がっているのではなく、評価が上がっている人は細部にこだわりがあると言うのが正しい気がする。

だから神は細部に宿る理論は、後付け論に感じる。


その後付け感を感じると言うことは、自分はこの言葉を浅く表面的な理解しかないのだろう。

だから、思考を止めて「細かいことに拘れば良いんだ」などと思慮浅い結論に至るのだろう。

ただやはり、1ビジネスマン、1営業マン、1人間として、自分の中の「知らない」を特に見られている気がする。

その知らないが細部であり、自分が見落としているところ。

知らず知らずのうちに手を抜いていたり、妥協がある自分の狭い世界で生きている人を見ていると共感性羞恥を感じる。
それは相手の知らない見えない世界を見ていて、自分の中の世界とリンクする部分で正しさを押し付けているのだろう。

しかし、自分も誰かにそう言う見られ方をしていることを忘れては、ビジネスマンとして二流三流に成り下がると言うものだ。

その自分の「知らない」世界を認知して、360度隙のない人間こそがプロフェッショナルであると言う自論で僕は落ち着いている。


プロたれと自分に言い聞かせる度に、プロフェッショナルと言われる人間と自分のギャップの言語化に迷う時があるが、自分の知らない世界が狭く、隙のないところが自分とその人たちとのギャップなのだろう。僕はまだまだ隙だらけだ。

ビジネスマンとしても人としても。

それは自分の弱さたるものか、それともポテンシャルを残しているが故なのか。
それもまた、自分の「知らない」世界で、隙で、可能性なのでしょう。

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