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無責任な権威

 よく、識者の意見とかで、その分野の大学教授のコメントが、新聞やニュースに出ることがあります。国家財政とか、教育とか、人口問題とか、何となくうまくいっておらず、政治や行政の打つ手立ても功を奏さず、ズルスルとここまで来ているトピックには、それこそ同じような識者が、同じようなコメントを出しています。
 それらのコメントは、それだけを切り取れば、至極もっともなわけですが、ではどうすれば解決できるのかという点は、誰もが「そうだよね」と思うような汎用性の高いもので、汎用性が高いゆえに、耳障りは良くても、個別の課題の解決につながるようなものではありません。個別の課題解決には、様々な意見を持つ人の間で調整が必要であり、その役回りは双方から憎まれる、外形的にみると損な立場になります。
 また、人材確保とか地域へ人を呼び込めるよう、職種や地域の魅力を高める努力をすべきだという識者の意見はもっともなんですが、それにはお金により処遇を改善するだけでなく、リアルに羨望の職種、地域となるような社会全体のパラダイム・シフトが求められ、革命が起きて価値観がひっくり返るとか、海面上昇が続き都市部の交通ネットワークが分断されて、標高の高い地域の価値が際限なく高まるとか、気温が東京で夏は50度を超えて北海道に皆が移住するとか、そういうことがないと、小手先の対策は砂漠に水を撒くようなものだと思います。そういう課題に対して、識者の力は無力で、無責任な権威と言えなくもありません。
 社会システムを回すための必要な人的リソースが不足しつつある中では、無用に現場に負荷をかけ、課題解決に貢献しない無責任な権威はなるべく減らし、それにより行政のコストと人員を減らし、より必要とされる分野の処遇を改善し、合理的な社会をつくるべきだと思いますが、多くの人は、世の中のややこしい仕組みを積極的に理解し、自分に痛みを伴う環境変化を進めようとは思わないでしょうから、耳当たりの良いコメントを出して、何となくそんなもんなのかと思わせる無責任な権威は、ネット社会の情報過多を養分にして、生き残り続けるのだろうなと思います。

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