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心を引き戻し嵐の中心に突入する

 ここ数カ月ぐらい、安定していた母の状況が、昨日は突如、大荒れになりました。

 まあ、もともと昨日は、週イチのルーティンで顔を出すつもりでしたが、前日の火曜日に行くことを予告していたにもかかわらず、行く直前に電話をすると、そのこと自体はよく覚えていない様子。

 今の住まいに転居する際、周囲に知り合いもおらず、一日少しでも人と話す機会があった方が良いからと思い、自治体に週3日の安否確認サービス(電話)を申し込み、同じく週3日、民間の宅配弁当サービスもお願いしたのですが、母にとっては、そうした電話や、宅配の受け取りがストレスになるそうで、今年の1月にすべて打ち切ってしまいました。

 テレビ番組が平日と土日で異なるため、そこで、多少の変化は感じるものの、基本的には毎日が日曜日であり、大海の真ん中にいるような状況、目印となるものが見当たらないことで、曜日の感覚が鈍り、出来事の時間軸も失わせているようです。

 週イチで行くと、近所のコンビニに買い物に出かけ、食事はきちんと取り、ごみの片付けや部屋の中の整頓はできているので、自立した生活はできている様子ですが、
人と会わない、話さない期間が続くことは、メンタルにとって良いはずがなく、昨日、行く前に電話したときには、誰にも会いたくないと、電話を途中で切られてしまいました。

 まあ、昨日は仕事の方もいろいろトラブルが発生していたので、会いたくないというなら、今週は行くのを見送ろうかなあ、とも考えましたが、
ここで自分の心に負けて、嵐を避けていると、さらに発達して、収拾がつかなくなる可能性もあり、これは母のメンタルにとっても良くないですし、僕も年度末で仕事が綱渡り状態の中、完全に動きの取れないタイミングでヘルプを求められたりすると、それこそ板挟みになってしまう、
なれば、コントロールを取り戻すために、あえて嵐の中に突入しようと、覚悟を決めました。

 大荒れの時は、どんな言葉をぶつけられるかわからないため、さすがに家のドアを開けるときは躊躇しましたが、とにかく考えずに突入。

 最初は、買い物してきた食材などを置いて、すぐに帰るようなそぶりをしていましたが、二言三言、会話をするうちに、母も少し心がほぐれ、とりあえず食材で料理を作ることまでは受け入れてもらえるようになり、料理を開始、その間、会話を重ねることで、何となく状況は落ち着き、いつものように、食事を共にして、僕はその後昼寝。
(昨日は本当に疲れ果てていたので、行きのバスさえ停留所を乗り過ごす有様であり、昼寝も1時間しっかり、完落ちしていました)

 最後に青い鳥探しを一緒にして、母の希望をつなぐような雰囲気にしつつ、母の気持ちが落ち着いたことを確認し、夕方戦場(仕事)に戻りました。

 何事も、嵐が発達してきたら、覚悟を持ってその中心に突入して、相手の懐に飛び込む。嵐を抜けるときは痛みを感じても、見た目ほど、嵐の層は厚くないので、そこを耐えれば、平静な空間が広がっています。

 もちろん、こちらも武器も食料を持たずに体一つで飛び込んでいるため、長居はできませんし、小難しい細工もできませんが、空間の場の力を利用して、相手の思いに直接寄り添い、心をほぐすことはできます。

 こうした嵐の中心への突入は、何度やっても、覚悟はいるものですが、自分が当事者である以上、当事者が目を背けることで問題が解決するわけがありません。とはいえ、初動で覚悟を固めるのは、そうそうできるものではなく、一旦、事態から目を背けても、すぐさま心を引き戻し、覚悟を決めて突入することが、大事なように思います。

 自分の中に嵐に突入する物語を多く持ち、本や先達の言動から得る教訓や事例といったものを、多く持てば持つほど、この、二度目の覚悟はできるようになるので、覚悟力を高めるための学びは、時間のない中でも怠らず、深めていきたいと思います。
 

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