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怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる

■今朝、知り合いの方のフェイスブックの投稿を見ていたら、ご自身の以下のようなエピソードが紹介されていました。私なりに要約させていただくと、
・福岡空港に地下鉄で向かう際に、空港方面とは別方向の列車に乗ってしまったことから時間をロスしてしまい、ギリギリの時間に搭乗口に到着
・空港のスタッフに事情を説明して至急の対応をお願いしたところ、調整するからと言われて列に並ばされ、結果的に搭乗できず、調整すると言ったスタッフに怒りをぶつけた
・後で搭乗券を確認したら、フライト時間が自分が思っていた時間より15分早く、到着した時点で既に間に合っていなかったことが判明
・正当な怒りであったはずが、自分が悪いのに八つ当たりをする輩になり、なんともいたたまれない感情になった
といった内容でしょうか。

■この話は、最近自分の身の回りで起きた出来事と、舞台背景や登場人物は全く異なるものの、構造は酷似しており、ある意味、身につまされる内容でした。

■この方の場合は、ある意味、一期一会の相手に対する言動であり、自分に全面的な非があることを自ら反省し、今後の糧にすることで、ある意味、手打ちにすることができます。

■しかし、こうしたことを、職場とか友人・知人、家族との間で起こしてしまった場合、つまり、自分が事実関係を正確に把握せず、誤認に基づき一方的に怒ってしまったことを認めてしまうと、相手に全面的に謝罪するしか道はありません。

■ただ、現実には自分は何らかの悪い結果を受けており、しかもそれは自分のせいであるという、非常に辛い状況にあるため、そのうえ、誰かに全面的に謝罪するという気持ちまでは、なかなかいかないと思います。

■むしろ、そういう時は、この空港の搭乗口での出来事を例にとると、
「なぜ、事情を話した時点で、すでに間に合わないことを言ってくれなかったのだろう」
→「その時点で間に合わないと分かれば、行動を早く切り替えられたはず」→「ここまで怒りを増幅させずに済んだ」
→「あのスタッフも不親切であり、自分がスタッフのせいで余計な認知を使ってしまった」
という感じで、誰かに責任を転嫁したくなる気持ちに、少なくとも私なら、なるような気がします。

■とはいえ、こうした怒りをぶつけている時点で、相手の立場は自分より弱いことが多く、すでに事実認識がズレている時点で、相手は意図を図りかねるはずで、焦っていて、さらに怒っている状態の相手に、抗弁をすることは、震える手で針に糸を通すぐらい、難しいでしょう。

■結局、「怒りは無謀にはじまり、後悔に終わるものだ」という諺のとおり、怒りの発動の前には、その場をいったん離れる、物理的に離れなければ目を閉じて思いを外に出す、閉じられない場合は頭の中を一旦よそへ飛ばすといったトレーニングを、積んでおくことが、取り返しのつかない事態に余計な認知を割かずに済むことにつながります。

■逆に、こうした無謀な怒りの被害者になることもあります。この場合、仮に相手が誤解を解いても、不利益を受けた負のエネルギーは出口を見出せずにたまっており、被害者であるにもかかわらず、別なかたちでとばっちりを受ける可能性もあるため、できれば冷却期間をおくことが、大事ではないでしょうか。

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