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人の時間単価の差を考える

 時間は誰もが一日24時間与えられていますが、社会的な時間単価は人によって大きく異なります。

 弁護士や医師といった高度な専門性を有する職業は、希少性が高くニーズも多いことから、時間単価は高くなります。

 こうした職業の人は、専門性を必要としない領域はなるべく他人に任せる方が、スキルを高め、対価としての報酬を得て、多くの人の役に立つという点で重要ですし、限りある人的資源を有効活用するという、社会全体の要請にも応えることになります。

 メンタルクリニックなどは、再診の場合は、1カ月に一度の診療時間の目安として、一人につき1回あたり5分でないと、精神科医の需給がひっ迫するそうです。

 僕自身は、そうした事情を心得て、時に問題ないときは手短に、かつ、医師にとっても気づきになるような話題を仕込んで受診にのぞみますが、一般には、医者はさんざん待たせた挙句、医師との面談時間は短すぎると思っている人が多いようであり、だいたい口コミの評価が低い原因は、そうした時間の短さを「冷たい」と受け止めての反応のような気がします。

 弁護士や会計士などは、安定した顧客を確保できるようになると、素性のわからない新規顧客は原則お断り、という人も少なくないようですが、医師はなかなか人を選べないので、面倒な患者の対応は大変なのだと思います。

 企業や役所でも、クレームを延々と電話してくる人というのは必ずいます。大企業であれば、ネット受付に極力誘導し、それが無理ならカスタマーセンターに集約し、電話がなかなかつながらないであきらめさせて、残った「濃い」電話に対応するという、特定の部門にしわ寄せを集中させる方策を取っているようですが、各部門が受けざるを得ないところも多く、役所などは住民サービスの観点から、いつもの住民からの電話だからといって、ドライな対応をすることは難しいという事情もあるようです。

 ここも、時間単価の差の典型ですね。長時間、同じ内容が繰り返しされる電話というのは、受ける側にとっては、忍耐力の向上ぐらいしか意義を見出せない、業務妨害に近いものがあり、失われる時間単価は大きいですが、電話してくる方は、だいたいがご自身の時間単価は低いので、社会全体でみると、リソースを奪っていることになります。

 顧客や住民との関係では、こうした対応も含めて報酬に入っていると考えるしかないのでしょうが、自分の人生における人間関係では、自分と対比して、時間単価が低い相手とは、接点が少ない方が良いわけですし、逆に時間単価の高い相手に時間を使わせるには、自分の持つ時間単価にプラスして、相手にお渡しできるものを用意する必要があります。

 ただ、これは時間を現在に固定して、フローベースで見た場合の対応であり、時間軸で見ると、親子関係のように、時間単価が途中で逆転する場合や、それ以外にも、先輩後輩の関係、師匠と弟子の関係などは、途中で時間単価が逆転するケースはあります。

 この場合は、ストックが効いてくることになりますが、ストックはフローと違い、過去と未来の貸し借りを意識できるかが重要になるので、日々の振る舞いに意識をとどめることは、なかなか難しいように思います。

 意識ができない人は、部下への振る舞いがぞんざいになったり、高齢になった親へ厳しく当たったりするようになります。

 平面的な時間単価を意識することは、自分の人生にとってとても大事なことですが、過去と未来につながる持続的な人間関係においては、平面的な時間単価で取捨選択すると、恩知らずになるし、将来ぞんざいに扱われたり、窮地に陥った時に誰も助けてくれなくなります。

 ここの見極めは難しいので、まずは、相手の地位や立場ではなく、自分がまずは誠実になり、誠意に応えてくれる人との信頼関係を構築をしていく、こうした心がけを、一期一会の関係においても肝に銘じておく、ということでしょうか。
 

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