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馳夫

 貴志祐介「新世界より」の読みなおしが終わり、少しインターバルを置いて、今度は「指輪物語」を読み直しています。
 読み直しとはいえ、指輪物語は本当に久しぶり、おそらく、四半世紀は本棚に眠ったままだったのではないでしょうか。その後、三部作の映画になったことで、なんとなく読み直した気分になっていたように思います。
 評論社の文庫版で、しかも旧版の指輪物語は、僕がファンタジーに興味を持った中学時代に購入したもので、文字が非常に小さいのが特徴です。全6巻でしたが、その後、文字が大きい新版になり、本編は9巻になったようです。
 今のところ、年齢の割には老眼があまり進んでいないこともあり、この、ありえないぐらい小さい文字も、何とか読むことが出来ます。
 訳が独特ですよね。英語をそのままカタカナで表記しても良いところを、トールキンの創作した「中つ国」の世界は、英語ではない独自の言語を用いていることから、英語をカタカナ表記せず、日本語への置き換えをすることで、その世界観を伝えようとした、日本語翻訳者の瀬田貞二さんの思いが伝わってきます。
 特に、人間であるアラゴルンの英語の「strider」が、直訳すると「大股で歩き回る人」の意味であり、当時の僕は、この「馳夫」が職業をあらわしているのか、人々からそのようなあだ名をつけられているのか、よくわからなかったものの、この作品におけるアラゴルンの特異な立ち位置を理解するにつれ、この「馳夫」というネーミングは、作品と不可分の固有名詞となり、いつまでも心に残り続けています。
 おそらく、「ストライダー」では、心に残ることはなかったでしょうから、今振り返ると、この旧訳の「馳夫」は、けだし名訳だと思っています。 
 新訳でもここは難しく「韋駄天」と訳されているようですが、韋駄天は仏教用語であり、このファンタジーに持ち込むには違和感があります。
 個人的には、中つ国の世界観から飛び出してきたような、「馳夫」の方が良かったように思います。

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