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吾輩が観察している家族の話

吾輩はとあるアパートに住む
「ぬいぐるみ」である。

人間の基本的な生活において
吾輩に活躍の場はない。

どの家庭にも形こそ違えど
ひとつやふたつ…いや、数えたら
そこそこの数が生息しているであろう
ただのぬいぐるみなのだ。

さて、今日は吾輩が密かに観察している
家族の話をしよう。

まずは我が主。

人間は随分年齢を気にする種族らしいから
空気を読んで控えるべきかとも思ったが、
まぁいいだろう。
主はアラフィフの主婦である。

なりたいというミニマリストには
程遠いが、片付けは好きなようだ。
家族がすぐにモノの置き場所が
変わると呟くくらいには。
主曰く、日々使いやすくなるように
考えてのことらしい。

お陰で主の家族はモノの位置の変化への
耐性だけは高いと思われる。

もちろん計算の上でなく偶々の産物。

ただ、モノの位置が変わると同時に
密かに消えているモノがあるので
注意が必要である…。

次に我が主のパートナー。

巷で「旦那は大きな子供」と聞くし、
この家庭でもそのようだが
我が主も大概だから吾輩が
ここにいるのである。

彼は多忙で多趣味である。
仕事ばかりで無趣味だった時期もあるが
近年はそこそこバランスを取って
趣味も楽しんでいるようだ。

幸い外出が必要なことばかりでは
ないので喧嘩にはなりにくい。
ただ、モノが伴う趣味も多い為に
コドモに戻りすぎて没頭したり、
片付けをしないままだと
我が主に人(モノ)質にされるから
要注意だ。
ゴミ袋の口を大きく開けて
微笑まれたくない。

分別ある大人であり親であることを
くれぐれも忘れるなと
アドバイスしたいところである。


…とはいえ、大きく分類すれば
好きなモノの方向性は主も似ている。
所謂似た者同士だ。

生活を共にすれば嗜好の小さな違いで
時にはすれ違いもあるが
根幹となる大分類が同じ方向だから
大きなすれ違いとなりにくく、
お互いが最終的にまぁいいか…と
思う範囲でどうにか落ち着く。

時に喧嘩があっても20年を超えて
共に楽しく生きているのだから
概ね相性のいい家庭なのだろう。

複雑な悩み多き今の世の中、
それだけで十分である。


最後にその二人の間に生まれた
息子がひとりいる。
所謂ひとりっ子だが、この家庭は
これがベストの形なのだと吾輩は思う。

息子のことはこの家族の生活に
触れていく中でこれから何度も
登場するから今日のところは割愛する。

発達障害という生きにくさを抱えた
息子と向き合い、
不用意に比べない生活を貫いた主達は
やはり一般的な家庭の進化とは
少し違うかもしれない。

しかし共に悩み、共に笑う家庭は
子供時代苦労が多かった我が主が
心から欲した唯一のモノ。

そこに多少の違いなど関係ないと
吾輩は思う。
我が主は今の生活を楽しんで
心から感謝しているのだから。

一番欲しかったモノが形あるモノで
ないのだから、主に物欲がないのも
頷ける。

そんな主が吾輩を目の届く範囲に
置いてくれている。奇跡だ。

まぁ主の息子に託すと吾輩の寿命が
縮むからだが。
吾輩を連れ帰った我が主のパートナーの
指示であるという噂もある。

大事にされていると思えば
置き場所が時々変わることくらい
問題ない。

この縁に吾輩も感謝し
主達のこれからを見守り、
のんびり観察しようと思う。


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