「存在のない子供たち」 泣きたくもないのに涙があふれてくる日常を子供時代に送ったことがあるか

概要

少年ゼインは自分の誕生日を知らない――両親を告訴するゼインの真意とは?過酷な現実を生きる姿に心揺さぶられる奇跡の物語


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生まれ落ちる場所は選べない。
「子供は親を選んで生まれてくる」とか曰うバカなインチキ占い師たちは一度この映画を観るといい。
こんな親を誰が望む?誰がこんな幼少期を過ごす事を望む?
無力でバカな親が生殖能力だけは持っている事ほど不幸な事はない。
己が楽をするために11歳の自分の娘を売ることを正当化するクズ親。
そんな親を誰が持ちたいと望むか…この世には親になることそのものが犯罪的な人間が確かに存在する。

ゴーンの逃亡先となったレバノンの首都ベイルートは移民たちの逃避先ともなっていることがよく分かる。
東からも西からも大陸を越えてベイルートにやってくる。
そしてその新天地でまた搾取され続ける。

とてつもない窮状でもなんとか工夫してコミカルな笑いを伴いながら生活をしていこうと必死なゼイン。
そのゼインがただ一人どんな時でも静かに泣き続けている姿を見る度に胸が締め付けられる。
いついかなるときでも目に涙を溜め赤く染まった目を手で拭う姿にもらい泣きする。
泣きたくて泣いてるわけじゃない。
涙だけが止めどなく溢れてくる、そんな彼の心境が理解できる人はよほど苦しい人生を歩みながらも優しさを失わなかった稀有な存在だろう。

それでも、確実にこの日本でお彼と同じような窮状の子供たちは存在し、そして「見て見ぬふりをする」大人たちから無視をされ続けている。

これだけの窮状の子たちがこのゼインのような賢さと強さを持っていたらと心の底から願う。
己の両親を否定できる賢さと心の豊かさをどうか持てるように…己の親と自分の人生を切り離せる強さを…どうか自分の親をバカにできる賢さを神様は全員に与えてほしい。
母親に言い放つ「心が無いのか?」の一言がこの映画の全てだろう。

いつなんたる時も頭を回しその日暮らしなんていう生易しいものではないその場面をいかに切り抜けるために欺き嘘をつき必死に生きる。

この状態で生まれ落ちた子供たちの大半は今の自分の現状を受け入れて生きていく。

そして私たち外部の大人たちは「受け入れる」子供を「いい子」として扱うという恐ろしさを持ち合わせていることもこの映画は突き付けてくる。

生まれながらに賢く頭が回り優しい人間は絶対にこの悲惨な現状を「受け入れない」が故に他人よりも苦しみもがき悲しみを刻み込み続けながら成長する。

「受け入れてなるものか」というゼインの強さを持ちながらも、どうにもならない無力さを体いっぱいに感じて拭っても拭っても溢れてくる涙は、小さな体の中で擦れ合い傷つき続けて溢れてくる心の叫びそのものだ。

最後に初めて笑った顔を見せたゼインの姿に号泣する人も多いのではないだろうか。


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