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後で消すけどいつも「あー書くこと思いつかない」って書き始める

 noteを書こうとポメラ(子猫大の文字打ちデバイス)を開くが、大抵「いざ!」と書くほどのことはとくにないな……となり手が止まる。
 でもなんかアウトプットしたいのでとりあえず書き始める。

 えーと、書くこと何も思いつかないんですけど、とりあえず書いてますが、あー、そういえば最近……

 とか、だらだらとタイピングする。
 すると、そういえばこんなこともあったなぁ、とか、そうそうこのときおもしろかったな、とか出てくるので書き続けてるとある程度の文章量(1000文字くらい)になる。
「あっ、なんかひとつの記事分くらいになったな」ってなったら、冒頭の「何も思いつかないんですけど」のあたりを消す。

 ——みたいな書き方をよくします。

 なんか、とくに何のためにもならないけどその人をただ横から眺めてるような、居酒屋でとなりから聞こえてくる話みたいな、そういうnoteが好きだし、書きたいのでなにっちゅうことなくても書こうとするんですけど、なにっちゅうことない故に、言葉にして束ねようとすると掴みどころがない。
 そのため書くときの衝動が弱く、書こうとしてもだいたいツイッターとかの吸い込みに負け、時間が消滅する。
「伝えたいことを言葉にして文章にまとめる」のは難しい。わりと気合がいる。
 そういうことをやってる人がたくさんいるおかげで、本やブログやnoteとかで数多の文章が読めるのでしあわせなことですが、いや、それ当たり前に誰もがやってるのはおかしいですよ。めちゃめちゃ高度なおこないですよそれ。

 でもアウトプットはおこないたい。読んでたのしい文章を自分もつくりたい。
 書く行為そのものがたのしければ最強なんですけど、そうでもない。なんなら大変。
 でもそれは、冬にこたつでぬくぬくしてるとエターナルにお出掛けする気が起きないのといっしょなので、いざ出掛けて街の蠢きや日差しや風を感じると「お出掛けサイコー!」となるように、書き始めたら、「したためサイコー!!」となる。
 どうやってそこまでもってくかが肝心だ。出発したものの、延々薄暗い灰色の路地に入り込んでしまったら、やっぱりたのしくない……ということはあるし。

 だが!
 同時に、写真映えする好天かつフレッシュな体験や発見があるお散歩だけが良い散歩と思うなよ! とも思う。
 書き始めたもののどうにもまとまりがなく、これ誰が読むんだよ……そもそもなんのために書いてるんだっけ? と思ってしまうような文章だったとしても、それはそれ。
 もうすぐ2歳の娘がお絵描きしてるのみてて思うが、ただ描くことがたのしくて描かれたその絵のなんとハツにぶっ刺さることか。


 言葉や文法、レガシーやメソッドに引っ張られない、その人だけの一撃がいちばん刺さる。
 つまり、遊ぶように書くのが最強。

 義務感のヤロウがこっちをみてたら、ちょっと疲れてるのかもしれないのでコーヒーでも淹れます。

追記

けっこう似たようなことをちょこちょこ書いている。

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