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真のピクニックに貫かれろ

 たのしいピクニックは一朝一夕で出来るものではない。

「よし、きょうはピクニックをして楽しい気分になるぞ!」と思いたったからといって、その後おこなうピクニックが楽しいものになるとは限らない。

 いや、もちろんピクニックはそれ自体が絶対の楽しさを我々に約束する、最高にファニーな行いではあるが、ここで言う『たのしいピクニック』というのは、そういう「コーヒーを飲んだらコーヒーの味がした」というような、その概念がもともと持ってるパワーを期待値通りに享受することではない。

 ここで言う『たのしいピクニック』というのは、不意に心の間隙を突くリュクスの槍が、魂を社会生命体たる肉体から貫き飛ばして燃焼させるような、作為のない天然のピクニックのことである。


 それを、おこなった。

 急に冷え込みはじめたある日のお昼前、奧さんと娘(1歳9ヶ月)の3人で散歩にでかけた。昼ご飯どこで食べようかという話をしていると、どんより立ちこめた雲間から日が差してきてちょっと暖かかったので、パン屋でサンドイッチを買って公園で食べることにした。

 このパン屋は、評判は知っていたけど営業時間が短く、また場所もなんとくなくしか覚えていないため気にはしつつもほとんど行ったことがなかった。

 だが、この日、パン屋に立ち寄ろう、という話をしていると目の前に営業中のこのパン屋があったのである。

 そして公園でサンドイッチを食べた。雲はかなり晴れており、歩いたせいかちょっと暑いくらい。サンドイッチは美味かった。

 奧さんと雲のかたちが何に見えるか、という話をしたりしながらひとときぼんやりした。 娘も日差しのぬくもりが心地良かったのか、ベビーカーで眠った。


 あとからなんとなくその、そのひとときのことを思い返して、たのしいピクニックだったな……と思った。天然のピクニックは、気づいたらそこにいる野良猫のような面もある。

 こちらが早く気づいてしまうと、ついっとどこかへいってしまう。

 天気が良い日、歩みを気の向くほうに任せれば、その先にいいピクニックは居たり居なかったりする。

 またきっと、ときどき出会うだろう。

 そのためにはとくに何もしなくて良い。ただなんとなく、おいしいパン屋とか日当たりの良いベンチや芝生のことを知っていればじゅうぶん。

 そうすれば気づいたときには貫かれているぞ。

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