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フレデリックのライブを観て曲を育てるということを考えた

 好きなバンドのライブ動画を、腰をすえて観るとめちゃめちゃ元気もらえて最高です。

 ……という一文で書きたいことの9割は書いたので、あとは2軒目のバルとかで店のひとと駄弁るだけの時間となる。
 なので、なんかカウンターのひとずっといてなんか喋ってるけどまあいいか、くらいのバック・グラウンド・文字って感じで眺めといてください。

   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 フレデリックというバンドがいる。
 日本のロックバンド。ループする歌詞と中毒性のあるメロディに定評があって、70年代ディスコサウンドからR&B、ボカロ曲とかいろんな音楽の要素をミックスアップして聴く人の耳と心をジャックすることに血道をあげるごきげんな一味。
 以前も書いたことがありますが、日々をたのしくしてくれるバンドです。



 そのバンドの、満を持しての初・武道館ライブが先日あり、ライブ配信を録画していたので、観た。

 1歳の子どもを寝かしつけたあと、ドリンクを用意し、同じバンドを好きな奥さんと共に、ときに体を揺らし、ときにクラップし、古い曲に当時の思い出を重ね、新しい曲には「やっぱフレデリック最高やな!」と肩をたたきあったりしながら楽しんだ。

 いろいろ思い出した。
 奧さんとフレデリックのライブによく行った。
 ひとつのバンドを追いかけるということはすげー楽しい。ライブに行けばいくほど、曲を聴けば聴くほど、どんなバンドなのか、どんな人たちなのかわかってきて、どんどん好きになる。

 ひとつのバンドの曲を何度も聴いてると、最初に聴いたときとは違う味がしてくる。百回以上聴いていると、最初に聴いたときには全く抱かなかった感情を覚えたりするようになる。
 心ときめく曲は、だんだん耳慣れてきて、気のおけない旧友のようになったりする。

 曲は、作られた意味や背景があり、バンドがリスナーに対して放つ手紙だ。ただのBGMとして流し聞くこともできるけど(そういう聴き方が最高な曲もあるけど)、すべての音や無音、歌詞、歌声やブレスひとつひとつにバンドのイマが詰まっている。
 曲をきいてるだけでも、音の言葉の深い部分に潜っていけておもしろいし、そこにはそれを聴いてるぼくの日々も乗ってくるので、その曲にはどんどん香りや味や色がついていく。
 曲は与えられたコンテンツというだけではない。そこに聴いたひとのいろんなものを乗せていく器でもある。
 だから、ライブでその曲を聴くとき、いろんなものが乗ったぼくの中の曲とバンドが鳴らす曲がそのときそこで出会って融合してひとつの、あるいはそこにいる人間の数の、おおきなエモーションとなる。
 そうして曲はまた育つ。曲にはそういう面もある。

 フレデリックの曲は耳に残る。イヤホンやスピーカーで鳴らしていなくても、仕事をしてるときや散歩してるとき、寝る前とかに、ふとリフレインする。家でぼくか奧さんのどちらかがくちずさんでいることも良くある。
 曲が日々のまわりで遊んでる。
 曲ごとに、聴くと思い出す感情やイメージがある。レンタカーでドライブしたときのこと、地元の病院に歩いていったときのこと、新婚旅行のこと、まだベビーベッドを使っていたころの子どもの姿のこと、仕事がしんどかったときのこと、引っ越しする前に住んでいた場所のこと。

 フレデリックはライブでよく「この曲でいっしょに遊びましょう」ということを言っている。
 曲はかたちのない音の連なりだけど、いっしょに日々を過ごしたり、印象的な場面で耳にするたびに、手で握れるくらいソリッドで、胸を焦がすほどアツい、曲を知るひと同士で認識できるかたちのあるいきものに変貌していく。

 フレデリックは「リリリピート」でこう歌っている。

何度だって 何度だって
イヤフォンの中に潜む悪魔が
袖を引っ張って
「まだ遊び足りない」って

 曲はかたちのない音の連なりだけど、フレデリックの鳴らす音は、我々にとって日々に寄り添ういたずらな友だちとなった。


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