見出し画像

正しきコーヒーは良い冬の公園のもとに

 去年は12月だろうが1月だろうが隙あらばピクニックしたり、仕事の昼休憩に公園にでかけてごはん食べたりするくらいぬくかったけど、今冬はしっかり寒い。
 元日にちょっとお散歩しただけでめちゃくちゃ冷えた。

 今冬のど真ん中になっても、いつまでも前回の冬が暖かくてよかったなぁ、というスイートメモリーに侵されており、冬のジャケットにほこりをかぶせたまま、カーディガンで出かけたから、そら冷えるに決まってるんですが。


 元日の散歩だけど、ひとが多そうなので神社でコインを投擲したり、ツー・ツー・ワンしたりすることなく、娘と奥さんとただ散歩した。

 家を出て、大きな神社へと続く商店街を通る。新年のにぎわいを適度に浴びて、神社が近づいてくるにつれひとの密度も増してくるので、良い頃合いで横道にそれると、一変してしずかな冬の町。風がつめたい。

 グラウンドに面した三角形の公園にベビーカーを止めると、1歳11ヶ月真っ盛りの娘、出撃! 公園でしばらく遊ぶ。

 小さいながらも小ぎれいで、滑り台と砂場とベンチがバランスよく配置されており、カフェスタンド的にさっと短時間憩ったり遊んだりするのがオシャレそうな良い公園だ。

 娘は最近滑り台で遊べるようになった。

 ちょっと前までは、興味はあっても怖くて滑ろうとしなかったけれど、いまは自分で階段を登り、「挑戦!」と言いながら笑顔で滑り降りる。そして「もっかい!」といいながら登っては滑りを無限回繰り返す。

 ときどきおいかけっこごっこをしたりもした。
「待て待て-!」と言いながらおいかけると、娘は「きゃあー」と楽しそうに叫びながらぱたぱた走る。
 小さな公園でぼくと娘と奧さんの3人が滑り台を中心にぐるぐる回り続けるという、しあわせを無尽蔵に生み出しつづけるインスタレーションがひとときそこに現れた。


 それはそれとしてめちゃくちゃ寒かった。インスタレーションの一部として機能している間もぼくは公園の片隅の自動販売機が気になっていた。そこの一部分に刻み込まれし「あたたか~い」という火属性の呪文。

 無限滑り台、しあわせインスタレーションのあと、娘とかわりばんこにシャボン玉を吹くという13番目の星座決定戦で優勝することを避けることができない風景をやったあと、そろそろ帰ろうかということになった瞬間に、腰を切って刀を鞘から抜くように、財布から100円硬貨を抜き出し自販機に投入していた。

 そうして得られたのはホットの微糖缶コーヒー。

 ぼくはコーヒーは普段ブラック派であり、焙煎後間もない珈琲豆を粉砕・抽出したものを愛飲しているし、抽出=ドリップ行為への偏愛を出張コーヒー屋というおこないにして不特定多数のひとにぶつけるようなコーヒー者であるが、真のコーヒーとは、何も混ぜないことでも焙煎したてであることでも挽きたて淹れたてであることでもなく、ひとの心をほっとさせる森羅万象のことだと思う。

 この缶コーヒーは完全に絶対零度となった手指をじんわりと温め、血を通わせた。ひとくち飲めばその甘さやコーヒーの風味、そして熱さがぬくもりを諦めたようにこわばった身体を弛緩させた。

 帰路を歩きながら、しばらくの間、その缶はぬくもりを手に届け続け、すっかり体温を取り戻すことができたので、

 こういうときの缶コーヒーさいこうだな!

読んでいただきありがとうございます!!サポートいただければ、爆発するモチベーションで打鍵する指がソニックブームを生み出しますし、娘のおもちゃと笑顔が増えてしあわせに過ごすことができます。