見出し画像

10年をふりかえる

あした、35歳になります。

きのう、緊急入院しました。

。。。

Twitterも登録日から丸10年みたいなのでここでアラサーだった10年をふりかえっておく。

25歳:はじめてのプロレス

アメフトのマネージャーをやっていた友達に「実はプロレス好きなんだ。一緒にいかない?」って誘われた。
友達は、丸藤選手と飯伏選手のファンだった。

行ったら、潮崎選手がカッコ良くて、キャー!ってなって、ジャニヲタ根性で調べ倒して、2丁目行って、飲み始めた。

26歳:DDTにはまった頃

2丁目で飲み始めた頃は、残業代が青天井で出てたからまあまあの頻度で飲んでいた。
終電(もしくは朝方まで働いて)で2丁目行って、飲んで、朝帰って寝て働いて……馬車馬だった。

2丁目で飲んでたら、DDTのチケットあるよ、っていうから、わーい飯伏選手見られる~!くらいで行った気がする。
そこからがさらなる泥沼の時代。

ドロップキックで飲み始めて、エビスコ酒場でご飯食べて。
選手が店員さんでもあるから楽しすぎて、あと、似たような社畜たちが深夜にやって来るから楽しくて。どんどんはまっていった。
そしてそのときに夫に出会う。そのまま遊び続ける27~28歳。

29歳:夫とお付き合いをはじめる。直腸カルチノイドが発覚する。

会社はいってからの健康診断で、一度もAとれなかったので激務のせいかなー、とか思ってた。
30になる歳からはクリニックで受けるようになったのだけど、そこで直腸カルチノイドと診断されて、大学病院を紹介される。

直腸カルチノイドのときも、「カルチノイド(がんもどき?!)」ってなって落ち込んだ。けど、手術は内視鏡だし食事制限くらいでサクっと治ってこんなもんなのかと思った。

30歳:夫と結婚

直腸カルチノイドのあと、北海道旅行にいったんですよね。そんで、プロポーズをしていただいて。
(そうなるようにクロージングをかけていた)

DDT見続けてきて憧れだった結婚プロレスをする。

#悪魔の結婚

31歳:妊娠と出産。初めてマイノリティを実感する

年越しプロレス見たあとに、実家に帰ってて、なんか気持ち悪いなー、って思ってたら妊娠していた。

吐き(吐かない)づわり。

何もしてなくても何かしていても、ずっと気持ち悪い。

延々とみかんだけ食べる生活。5kg痩せる。
ちょうどそのとき、私史上最大額のプレゼンをしていて、手を抜くわけにはいかなかったけど、でもとれてもキツいかも、と思っていたらとれてしまった。
つわり中はずーーーーっと、この案件をやっていて、チームの大切さ、段取りの大切さ、適切に出すヘルプの大切さを改めて学ぶ。

幸い職場はとても理解があり、マタニティマークつけてて嫌な思いをすることはなかった。でもマイノリティというのは実感した。

アルコール飲めないからノンアルコールを探す生活。
階段つらい。
身体重い。座りたいけどなかなか席あかない。

つわりは結局、後期も続いて妊娠と出産はまたしてもいいかなって思えるけどつわりが嫌だ。

出血があったり切迫早産になりかけて、臨月まで安静といわれた。臨月になって、「スクワットして」って言われて、10回したら陣痛がきて8時間くらいでうまれた。

きっと忘れない。陣痛が10分間隔切って病院行く直前、ってときに焼きそば食べてた夫のことを。
(でも夜勤からソッコーで帰ってきて立ち会ってくれた)

32歳:育休中に勉強っていいな、って思う。

産まれて3ヶ月は頻回授乳でぐったり。
母乳にこだわっていたわけではないけど、ちょっとでも出てると母乳のほうがいいかな、と思ってしまう。
1日20回とかもっとしてたかも。

しかし、離乳食が始まったら、よく食べる。
食に関しては、「べー」って吐かれる、いたずらされる、アレルギー、とかの困りごとはすべてスルー。
離乳食が順調で、おっぱいにこだわらなくてよくなってから、外に出たい欲求が高まって、育休中の勉強会に参加しだす。

そうすると、ワーママさんたちのモチベーションの高さに圧倒される。
なんとなく時短、なんとなく職位を落とす、と思っていた既成概念を壊される。

夫は子育てしたい人だった(ホントは産みたいとすら思っていた)けど、働くにあたっての話し合いや、こちらは勉強会とかで意識がアップデートされてるのに、ともどかしい感じでぶつかったことはたくさん。
それでも、夫はいつも私と家族のことを考えてくれた。

おかげさまでお休み前と同じ職位で復帰できることに。

33歳:MALTリンパ腫発覚、生検手術、抗がん剤治療へ

復職後の健康診断の腹部エコーで、脾臓が腫れてるとわかる。
また大学病院へ。
PET-CT、生検手術。全身麻酔は鎮静剤とは全く異なることを知る。
全身麻酔気持ち悪い……手術の傷より、延々と気持ち悪いのがつらかった。

結果は、MALTリンパ腫。縦隔に10cm大の腫瘍、両肺にもあり。
低悪性度に分類されるリンパ腫で、年単位の進行だから、放置もありえるのだけど、腫瘍が大きすぎるのと、肺にもあることから抗がん剤をすることに。

月に一度のベンダムスチンとリツキサンを6クール。
決まってから入院まで2ヶ月ほど待機(その間に結膜炎にかかった私も悪いけれども……)
待機は保育園だけじゃないんだな、と思う。

34歳:抗がん剤治療、年末年始に死にかける、そしてまたリンパ腫再発

34歳の誕生日までにはギリギリ退院できて、お家で誕生日を迎えられる。

抗がん剤治療は、3日投薬、その後1週間気持ち悪い、その後2週間は比較的動ける、という繰り返し。

比較的動けたのがよくなかったのか、ふつうに家事とかはしていたら、年末いきなり具合悪くする。
病院にいったら、「白血球がほとんどいない」と言われ、緊急入院。

年越しまでちっとも白血球が増えず、このまま死ぬのかな、と思う。

年末年始はお義母さんにきてもらって、乗り越えてもらう。

そんなのを乗り越えて、抗がん剤6クールを完全に終えたのがGW。

その後に復職。さすがにまだ通院もあるので、さすがに職位を落として復帰。

バリバリ。
バリバリ。

職位を落とそうが、以前の期待値とかもあるから仕事ぶりは変わらせられなかった。

二週に一回は通院ついでにリモートワークしたり。娘発熱時もリモートで済ませたり。
何もなくてもリモートしたりしないとキツかった。リモートワーク万歳。

そうこうしてるうちに、副鼻腔炎になる。

これが全然治らない。

ずっと抗菌薬を飲んでいるのに。

そうこうしてるうちに、鼻血がでるようになる。頭痛がおさまらない。

いろんな科に見てもらって、MRIまでとった末に、耳鼻科で「悪性リンパ腫です」と。
血液内科に舞い戻る。

MALTからびまん性に変異していたレアケース。
こんなに早く再発するのもレアケース。

すでに骨や肝臓にもあるため進行期。
それでも薬がきけば完治する病気なので治療するしかない。

明日35歳。からまた抗がん剤治療が始まります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?