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魔術師の答え

皆様ごきげんよう。
ティンコンカンコンでお馴染みシンスです。

さて。

私は魔術師です。
魔術師!とか坊さん!とか。
あるいは霊能者!とかユタ!とか。
名称や所属から何となく特別感がある人、特別感を醸し出している人がおります。
宗教やオカルト、目には見えないしよくわからないが確かに存在している何か大切そうな現象の専門家みたいな人。

彼らは自身に降りかかる災難に対して、どのような言い訳をするのか。

魔術師なんてもんは要するに護身のスペシャリストみたいなものです。
祭壇に神格を祀り、護符を作成し、祝詞も作成します。
儀礼魔術がいかに演劇と揶揄されようとも、時代遅れの変成意識()の中宇宙を感じたなら、その多幸感はあらゆる病理の初期症状を緩和し、『これが宇宙のパワーです』と教祖が宣えば、薬事法なんて知らぬ存ぜぬのパーナム&プラシーボ兄弟によって、人間は簡単に不死身の肉体を手に入れたりします。

そんな我々が災難に見舞われる。
理屈に合いません。
『いや護身どうしたwww口だけかよwww』
みたいな。

占い師なんかは『自分の事は占わないから』という伝家の宝刀がありますが、超絶利己主義の魔術師にはその手の逃げ口上はありません。
『ごめんなさい未熟でした』でおしまい。

最近。
もうすぐ人生50年近く生きてきて、最大の災難、苦難、究極の選択を迫られる事件が起きました。
具体的には人様も関わる事なので言及は避けますが、簡単にいうと『人生詰んだ』とか『財産全て溶けた』とか『全身麻痺になった』等に匹敵する絶望が空から降ってきた、そんな感じです。

思考は停止しはすれ冷静。
非常に客観的に『現世オワタな。来世がんばろ』
みたいな状況に『一瞬』なりました。

そんな中、幾つかの気付きや、魔術師として非常に大切な事の発見等が重なり、まさに魔術、魔術すげえなと改めて実感に至る経験を得る事に。

まず第一発見。
それは『カバラの正しさ』。
日本的に言えば『御縁』みたいな、人生の流れについての格言のようなもの。良縁の連鎖とか悪縁の連鎖とか。
このビックウェーブに乗り遅れるな!みたいな。
そういうのって、確かにあります。ありました。今回も奇跡的な良縁の連鎖により、危機的思考の渦から抜け出す事が出来ました。
魔術師とは『偶然の信奉者』。故に偶然は魔術師に味方する的なやつ。
見事に今回もカバリました。はい。

はい二つ目。
それは『姫の大切さ』。
まあ浮かれ上がった若いカップルみたいなもんは、『世界で一番キミが大切だ』みたいなセリフを吐くものですが、当方二人合わせて100歳を越えたにも関わらず、毎日イチャイチャラブラブと、世界で!いや宇宙で!いや11次元で!!キミが一番大切!と、真顔で毎日言えるほどには狂っているわけですが。

今回迫られた究極の選択。
まさに『私の幸せ』か『姫の幸せ』か、どちらを選ぶかという側面もありました。

普段は何を言ってもどうでもいいわけ。
究極の場面、いざという時何を選択するか。

私は迷わず姫の幸せを選びました。
もっというと、私の人生を捨てました。

結果、『二人の幸せ』を手にし無事ハッピーエンドなわけですが、これ、あ、ちょっと脱線しますし脱線しかない記事ですが、これ、聖書に書いてあります。

ざっくり創世記 第22章 

神『アブラハムよ。お前の信仰がガチなら、息子のイサクを生け贄にしてみな』
アブ「え、いや、あ、はい……というわけで息子よ、神様の言う事は絶対やから、ちょっと生け贄になってくれる?」
イサ「おけ👍」
アブ「んじゃ、すまんな息子、えい!」
神『あーー嘘嘘!!嘘やんwww流石に息子生け贄とか、冗談やんwwwおま、ガチやな、ちょっとひくわあ。まあ、信仰心は本物やとわかったからええけど、そういうトコやぞ?なんか飲み会とかでノリが合わんわーゆうて、みんな言っとったぞ』

ざっくり旧約聖書

理屈に合わない、損得勘定で図れない、概念としての愛。
それが何故そこにあるのかもわからない。
とにかく何を犠牲にしてでも、私は姫が大切。

その事を深く再認識できた事。

今回の災難で一番良かった事となりました。

あとひとつ。

魔道の学徒を卒業した魔術師の成長が見れた事。
簡単に言うと、学徒の指導の一部を任せられるようになりました。

最初は本当にどうなるものかと心配しておりましたし、今でもまだまだ不安定ではありますが、安心して背中を預けられるくらいにはなってくれました。
なってくれたのか、私が勝手にそう感じたのかはわかりませんが、とにかく少し甘えてみようと思います。

さて。

魔術師は災難を避け良縁を引き込む完璧超人なのか。

答えは『んなこたぁない』です。

非常に近い答えとしては、コーチング等のゴール設定の仕方や、物理学者が考える『時間とは何か』等の『考え方』が、どうも魔術師の答えに近い気がします。
その考え方自体が護身であると。

私がかつて所属していた魔術ギルドの風潮として、『儀礼魔術の否定』がありました。
幼稚園児のお遊戯会のほうが可愛いだけマシ。
そんな考えが主流でした。
彼らは徹底的に人間の脳と向き合い、『どう考えるか』といった思考力を大切にしていたと感じます。

例えば、カバラの叡智は膨大です。それらを理解する事は物理的に不可能。
だからこそ脳と向き合い、言うなれば『カバラ脳』を育成する。
それが果たせたなら、その人物が話す言葉全てがカバラとなる。
そんな理屈。

魔術師だろうがなんだろうが、災難はやってくるし50歳近くになれば腹は出るし足は臭い。

しかし、真の魔術師ならばその際の選択は間違わない。
絶望の淵、必ず射す光があると宇宙の偶然性を信奉する。揺るがない。

私が魔術師でさえなければ、現世で手に出来たはずの資本主義的な豊かさがあり、同時に魔術師でなければ手に出来なかった幸せもある。

全くもって幸せな日々だ。

そう言っておきます。

これから魔術を学びたい方へ。

魔術とは、悪魔を使役する技法ではありません。

絶望の中、内なる悪魔から魂を守る術です。

この術は非常に簡単で、毎朝愛する人に「おはよう」と言うだけ、それだけで手にする事が可能です。

原初の魔術。
それは狩に向かう男に対する「いってらっしゃい」のキスです。
マンモスvs人。そんな圧倒的不利な状況を打破する魔法のキス。

または戦時中。
神風特攻隊の彼らが懐に忍ばせていたもの。
それは天皇の写真ではなく、愛すべき人の写真。
愛すべき人の髪。

家族への想いです。

思念。無意識。アストラル。エーテル。
ごたくはいいからまずは『想い』から。

それができなきゃ魔法は使えないよ。

てこと。

長くなりました。一行にまとめます。

『大切な人以上の護符は無し』

現場からは以上です。

真守流魔道のサポートは喜んでお受け致します👍