見出し画像

【スリルミー】について、私が思っていることの全て。

こんにちは。
さあ!!皆さま。スリルミーの季節ですね!!!!
わたしは先日、4月5日、成河さんと福士さんの初日を観に行きました。あとそれから観に行く予定はなかったのですが、14日、松岡さんと山崎さんの公演も観てしまいました。
いや〜、最高でしたね。まじで最高でした。
もう、本当に、最高で、最高すぎて、最高でした!!!!!
それを語ります!!!(笑)

まず語る前に、最初に少しだけ自分のことと、この記事を書くにあたった経緯を。
わたしが初めてスリルミーを見たのは2014年の11月、サンケイホールブリーゼで小西さんと松下さんのペアでした。
当時は高校生。あの時はただ単に松下洸平さんのファンで、「松下さんを見に行きたい!」という一心で劇場に足を運びました。
当時の満足度もすごく高かったのですが、でもまだバカな高校生だったので『演劇たるや何か?ミュージカルたるや何か?』を全く理解していませんでした。でもわたしも少しだけ大人になり、現在24歳。
あれからも何度か再演しているものの、観に行くことはなく、今回ふと思い立ったので観に行ったのですが、何より目を見張ったのが、お2人の演技力とか、そういう部分はもちろんなんですけど、それ以上にこの作品が演劇的に、ミュージカル的にすごく優れた作品であることなんです。
「男2人・究極の愛」と聞くと「腐女子のコンテンツだ」と決めつけて思われていることもあることを個人的に実感することがあり、1回しっかり記事にまとめよう!と思ったのが今回です。
実際にそういう物語な訳ですから、もちろん、そういう風に作品を楽しむ方を否定はしません。むしろそれはそれで素敵なことだと思います。ですし、わたしも最近腐女子を自覚し始めています。
ただ、この作品の魅力はそこに収まらないんだよ〜〜!ということがこの記事のテーマです。

なので、「○○さんのココがよかった〜〜!」とかレポートではなく、なぜスリルミーという作品がここまで再演を繰り返される、熱狂的なコンテンツになり得ているのか、という分析をわたしなりにしてみたいと思います。

なお、途中からネタバレを含んでいます。
ネタバレを見ずに作品を見たいという方は注意して読み進めてください。
基本、公式ホームページやチラシで取り扱っているくらいのあらすじは含みますが、それ以上のネタバレはしていません。
3. のみ結末に触れていますのでご注意ください。

それではいきましょう!

1. ミュージカル作品である意義

最近、「2.5次元ミュージカル」という言葉をよく耳にしますが、その度に「なんでもかんでもミュージカル化すればいいなんてもんじゃねーぞ!」と思ってしまいます。でも、このスリルミーには映画やドラマではなく、スレートプレイでもなく、ミュージカルにしないといけない必然性をものすごく感じるのです。
わたしが考える、ミュージカルにしないと成立しない作品に共通する特徴は以下2つだと思っています。

( ⅰ )  作品の時代設定や土地が、現在の日本と離れている
( ⅱ ) 登場人物が凡人ではない

大前提に、わたしたちが作品を見て「よかった〜!感動した!」と思える最低条件は“その登場人物に感情移入できたかどうか”というところが大きいと考えています。だって「あの人物、何考えてるかよくわからなかったけど感動した〜」とは普通ならないですよね。

( ⅰ )と( ⅱ )に挙げたような特徴をもつ作品は、まず出てくる登場人物に感情移入しにくいというデメリットがあります。
例えばシェイクスピアの“ハムレット”は『デンマークの王子ハムレットが、父を殺して王位に就いた叔父に復讐する物語』ですが、デンマークもよく分からない上に、王の話だなんて、普通に暮らしているわたしたちには馴染みがないし、さっぱり分かりません。そういう時に登場すべきなのが歌なのです。わたしたちが馴染みのない世界のことでも、歌にして歌ってしまえば、ある程度は理解してしまえるのです。“エリザベート”は『ハプスブルク家の最後の皇后エリザベートの生涯の物語』ですが、「♩私が〜命〜ゆだねる〜それは〜わたしだけに〜」と歌えば、当時のハプスブルクの時代背景など理解できていなくても、王位のことなんてわからなくても、エリザベートの気持ちに比較的スッと共感できるわけです。「私だけに」ってめっちゃいい曲ですよね。「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と言われても、ピンと来ないんですよ。音楽はその人物の感情をわかりやすく端的に示し、お客さんの心を1つの方向に引っ張り上げる役割があるのです。

さて、スリルミーに話を戻しますが、この物語の主人公は「私」と「彼」です。2人の人物を簡単に説明すると、『家柄がお金持ち』で『頭が良く超エリート』で『日常的に盗みや放火をする』人物です。
この私と彼の性格を文字で見て「あぁ〜、わかるわ〜、わたしもお嬢様だし、よく人のもの盗んだりするから、彼の気持ち、すごくわかるわ〜」という人はおそらくいないのにも関わらず、わたしたちが感動してしまっているのは、音楽がメロディアスでそれに引っ張られる力があるからです。
もちろん、2人の演技とか、歌声が素晴らしいのはもちろんで大前提の上の話ですよ。でも、放火とか盗みとか殺人だなんて、世の中的にタブーなことなのにも関わらず、その物語に感動してしまっているわたしたちって正直やばくないですか???この2人の空気感を構成するのに、少なくとも音楽は絶対に必要な要素であり、わたしたちをスリルミーの世界に引きずり込ませる一番大きなエッセンスだと感じています。

( 補足:先ほど挙げたハムレットやエリザベートは <( ⅱ ) 登場人物が凡人ではない>という条件について、王などの身分が高い人という意味で取り上げました。スリルミーは2人は成績がよく家柄もいいのでそういう意味でもありますが、サイコパス的な意味でも当てはまります。そういう意味では「ジキル&ハイド」「フランケンシュタイン」などの作品系統でしょうか。この辺りの作品もテーマ性が深くて非常にミュージカルである意義を強く感じます。いい作品ですよね。)

さっそく長くなってしまって申し訳ないのですが、次です。

2. 舞台セットがシンプルな故の演劇性

舞台セットの良し悪しには好みがあって、みなさんある程度、好きな舞台セットの作品などあるのではないかな?と想像するのですが、スリルミーにおいてセットがシンプルなことはとても大切なことだと思っています。

( 初めて観たときは「さすが栗山さんだなぁ〜♡♡♡」などと思っていたのですが、韓国も似たようなセットですし発案は日本のクリエイティブ陣ではなさそう...??かとも思ってたんだけど、伊藤雅子さんという方のデザインみたいですね。かっちょいい〜〜!!!!ちなみに新しい2019-2020年の韓国のスリルミーは舞台に木が生えているそう。ゴドー待っちゃってる感じするけど、なんだかこれは不評っぽい...????画像で見るといい感だけど、動画で見ると確かに...。)

画像1

http://enewsdaily.co.kr/View.aspx?No=794458 より写真拝借。

さて、話を本筋に戻します。

スリルミーには登場人物が2人で、他の要素は排除してあります。もちろん、眼鏡や双眼鏡、ナイフ、マッチ、カバン...、書き出すと多いのですが、そのような小道具は多いものの、冒頭の2人の再開の場所や家、刑務所など、各場所に具体性がありません。つまりそれは、わたしたちの想像の余地があるということです。
そう考えると、木が1本だけでも生えているか・生えていないかは、結構大きな違いであり、実際に全部通してみてみないと分からないのですが、また観客側の想像力の掻き立て方も大きく異なってくるように思います。いい意味でも悪い意味でも...。

また、誘拐する少年が実際に出てくる訳ではありませんし、彼の弟や親も目に見える形としては登場してきません。
このような視覚的な不完全さは観劇するにあたって客側が頭を使わないと成り立つことができないので、ここもスリルミーの魅力だと感じています。

この話を映画化とかドラマ化とかしてしまうと、一気に写実的になり具体性が出るので、ナンセンスですよね。(このもとになっているレオポルドとローブ事件というものは映画化されたり色々メディア展開しているみたいですが、それぞれで脚色が違い、全く別作品になっていることは誤解のないように報告しておきます。)
この視覚の情報不足はものすごく演劇の根本的な手法であると思っていて、だから先ほどミュージカルであることの必要性を述べましたが、同時に「舞台上でお芝居をする作品=演劇」である必要性もあるのです。田代さんが初演時に「2人ミュージカルとも違って、2人芝居ミュージカル」だとおっしゃられていたのが印象的です。以下の動画の冒頭です。

こう言わしめられるのも、セットや美術・道具に2人の関係値を依存させないシンプルさがあるからだと感じています。

いや〜、もう、素敵だ〜.......。

さて。続いては、この「少年や弟、親が実際に出てこない」という部分を深く掘っていきたいと思います。


== ※  以下、ネタバレ注意です  ※ ==








3. 第三者の介入がない2人芝居の徹底

また小難しい話から入りたいのですが、物語には必ず「展開」というものが付き物です。
その展開とはどうやって起こるかというと、「登場人物が自分以外の他者や何か物事と出会って心が動いた時」に起こるとわたしは考えています。
一番わかりやすく端的に述べると勧善懲悪の物語なんかはいい例で、アンパンマンには必ずバイキンマンが登場しますし、プリキュアには悪の組織が登場します。それ以外にも、ロミオとジュリエットでは、タイトル通りロミオがいれば、愛される相手ジュリエットが登場する訳ですし、ドラゴン桜で阿部寛が教壇にあがれば、指導を受ける生徒役が必要になる訳です。
何が言いたいかというと、物語は必ず2つ以上のコンテンツを並べながら、人物の心の動きで「展開」を作り進行していくということです。

スリルミーはこのような観点で展開を語るとものすごく特殊で、実はなかなか物語が進行しない作品なのです。そもそも、スリルミーは弟も親も少年も出てこない、2人芝居の徹底であり、それはつまり第三者が「彼」や「私」の心を動かしにくいことを意味します。
具体的な例を挙げると、例えばレミゼラブルでは、バルジャンはジャベールと会って、ファンティーヌと会って、テナルディエ夫妻と会って、コゼットと会って、またジャベールと会って、マリウスに会って.....。人と出会うたびに誰かしら心の動きがあって話が展開していきます。スリルミーは誰とも出会わない、2人しか出てこない閉鎖された空間を徹底しているので、そもそも話がスペクタクルに展開しにくい特性を持っているのです。

以下、物語の中の “彼” について考えて見ます。

TM_彼

これはわたしが彼の気持ちの高揚加減を勝手にグラフ化したものです。(ただ、本当に3分で適当に作ったので客観性や根拠が全くありません。主観100%です。これを当てにするのは危険なので、あくまでこれから展開について話すための教材とだけしてください。特に「99年」で、このグラフはマイナスに落ちきっていますが、本当にそうなのか?などは議論の余地がありそうですよね。)

とにかく、誘拐するところが彼にとってMAXで、裁判の日の前日に死にたくないと怖がるところが別ベクトルでのMAXになり得るのは誰の目から見てもわかりやすいことだと思うのですが、これって物語構造を語るにあたっては実はものすごくシンプルな心の動きなのです。

アンパンマン_バイキンマン

次にあげたのは、アンパンマンから「メロンパンナとフラワー姫」という作品の中でのバイキンマンの心の動きなのですが、ほぼ彼と同じような折れ線の折れ方をしているのがお分かりでしょうか。“彼”は物語を展開させるという意味では、他作品と比べて特異的な・特殊な役割は全く担っていないのです。だから、スリルミーの物語の難しさって彼でたどるとアンパンマンレベルなのです(笑)。では、誰がスリルミーの物語を展開させているのかと言うと、“私”と観客自身なのです。

“私”を物語の中で辿ったとき、一番大きな展開はやはり「99年」でしょうか。この芝居のオチの全てで、この作品の一番大きな仕掛けです。
ちなみに、彼のグラフを作ってから、私バージョンも制作しようと思ったところ、できなかったのです。それは、私がいつからそのことを計画していたのか、わからないからです。
(ちなみに、「眼鏡を落としたのは本当に計算通りだったのか?論争」はわたしの中でも決着が付いておらず...。ちなみに松下さんや松岡さんは、もう「犠牲の羊〜、犠牲の子供〜♩」歌ってるくらいから何となく計画していたのかなぁ〜と思ったりするのですが、成河さんはもっと初めから何か優位に立って最終的にギャフンと言わせてやろう感はあった気がしたので「僕の他に誰がいる、同じような感覚で〜♩」くらいから計画してたのかなぁ〜?とか。でも、わざとだとしたら「そんなことで騒ぐな、大人しくしろ〜〜♩」で私も動揺しているのが、彼を騙すための演技だとは思えなくて...。本当に動揺しているように思えるんですよね。う〜ん。むずい。)

まあ、ともかく。舞台上では“私”の心情変化を掴むきっかけが正確に描かれておらず、自分の頭の中で物語が展開していくのです。

( 雑談:せっかくなのでもうワンシーン考察を。
『少年を殺すこと』は、彼の「スリルが足らねぇ!」からの「弟殺そう!」からスタートします。そもそも身内である弟を殺そうと思ったきっかけは、弟のことが嫌いだからであって、それは親の愛情が弟ばかりに注がれているからという部分は観客側が想像できる部分です。
で。彼がここまでの狂気性のある人格に育ってしまったのも、弟ばかりに愛情を注ぐ親の教育のせいだろうな〜とは思っていて、でもそれは彼や私のセリフの中で語られるだけであり、どれだけそれが影響しているかを決めるのは観客個人なんですよね〜。「彼は幼少期はめっちゃ優しい人だったけど、弟できて変わった」と思う人もいれば「彼は生まれた時から超人的だった、そして弟ができてそれに拍車がかかった」と思う人もいるであろうし、「弟・親・彼との間に彼の性格が大きく変わってしまうようなきっかけとなる事件があった」などと想像する人もいるかもしれませんよね。
ちなみにわたしは、福士さんは「もともとサイコパス気質ではあって、弟ができたときにさらに拍車がかかった。でも幼い頃になんかもっと変な友人がいっぱいいて、複数のコミュニティーで色々経験してそうで、彼の価値観を大きく狂わせた事件は、弟でも親でも家族内関係ではなく他にありそう。」みたいな感じがしていて、昔見た小西さんは「昔はすごく優秀でガリ勉で超天才だったゆえに変になってしまった。弟ができたときに拍車がかかったのはそうだけど、家族しかコミュニティーがないゆえの弊害でああなった。」みたいな感じがしたなぁ....。山崎さんも小西さんみたいな感じだけど、小西さんよりももっと生きるの不器用な気はする。小西さんは「なるべくしてあのようになってしまった」感じするけど、山崎さんは「引き換えせる道はいくらでもあったのになんでそう育ってしまったんだろう」感。それは私の影響もあって...うんうん。話すと長くなりそうなので、この辺りで。彼も三者三様ですね。以上!雑談でした。)

とにかく言えるのが、何度も繰り返しになりますが、スリルミーにおける話の展開は、作品自体が2人の空間だけで舞台上の他者の介入は不必要であるために、わたしたちが勝手に頭の中で想像して展開を進めることができるということです。

つまり観劇後も考察している間、ずっと物語は続いている訳で、100人見れば100通りのスリルミーがあるわけです。確かに、最後の展開が持つ力は大きいですし、目を引くトリックなのですが、それ以上にこうやってゴダゴダ考察ができることが本当の魅力だと思っています。

え。この魅力。やばくないですか?

4. リピーターの心理と仕組み

この作品、他の作品と比べて圧倒的にリピーターが多い印象です。わたしだって今回2ステージ行きましたし「いや、2回じゃ少ない!」と思う方もいるかもしれませんが、わたしは同じ演目を2回見ることがまずないので、とても珍しいことなんです。

先ほど観客自身で展開させる作品と言いましたが、考察する要素が多すぎる部分も観客をリピートさせる要因の一つですよね。
例えば、私の大好きな冒頭の彼の「火、持ってるか?」と言われた時、彼のそのセリフより前に火を出し出す私。もう、あそこ。大好きなんです。あの手の出し方だけで泣ける自信あります。ごめんなさい、嘘です、さすがに泣きはしないです。
でもそこを最大限に楽しむには、この話のオチを知っておく必要があると思っていて、こういう要素が人によってたくさんあるんですよ!!

そして。もちろん、複数キャストを使って回している作品はたくさんありますが、ここまでキャストによって作品内容も変化する作品はないのでは...と思います。「商業演劇」などという言葉がありますが、ミュージカルや演劇なども「ビジネス」であって、公演を行うには利益を生み出し、収入を得る必要性があります。いくら好きで仕事をしているとはいえ、俳優にもスタッフにも収入がなければ生きていけませんから...。
ダブルキャストやトリプルキャストはそのような利益を生みやすい商業的な優れたシステムで、スリルミーにも相性抜群な訳です。
(この辺の商業と舞台を学ぶと本当に面白いですよ。劇団四季のビジネスモデルとか、あとブロードウェイとかの成り立ちとか!また需要があれば記事にしたいですね。)

いや〜、本当に。すごいですよね!!(笑)

5. 「社会派作品」に見せかけて実はそうではないこと

冒頭に「腐女子だけのコンテンツになり得て欲しくない!」と述べました。誤解のないように何度も言いますが、そのようにみる方を否定しているわけではありません。むしろ、そうやって楽しむことはそれで素敵なことだと思います。ただ、全くスリルミーを知らない人が「そういう作品なんだ...」と色眼鏡で作品をみてしまうことは嫌ですし、それだけの作品ではないんだよ!というのを伝えるためにこの記事を書き進めていました。

ただ、ここで描かれている「同性愛」を今世間を騒がせている「LGBTQが世の中に受け入れられていくためには〜」みたいな問題に関連づけて、社会派な作品として話すのはあまりにもナンセンスすぎる行為だと思っていて、少しその話をさせてください。

まず、スリルミーにおけるBL論について。

スリルミーは「究極の愛」の物語だと栗山さんはおっしゃっていて、それはわたしも感じています。むしろスリルミーから「究極の愛」という部分を取り除いたら何も語れないくらい、この作品のテーマの中心になっています。「じゃぁ、別に男子と女子でも、もっと言えば女同士でもいいんじゃない?」というのがわたしが考えていることで、男女のスリルミーでも、女同士のスリルミーでもちょっと栗山さんが頑張ってくだされば成立するんじゃないかな?というのがわたしの根底にあるスリルミーBL論です。だって「愛」の物語であって、愛というのは男子と女子の間にも、女子と女子の間にも成立できるものであるから。

でも、実際「男性と男性」になっているのはそれなりの理由はあると思っていて。それはこのツイートを見かけて、なるほどと感銘を受けたので参照させていただきます。

もちろん、女性2人にすると、「凡人たちと違うぜ俺たちは」という社会にマウントをとるぞ!みたいな権利象徴は表現できないし、男2人のスリルミーがこの言葉をお借りすると“権力の魅惑性”を上手く表現させているのは言うまでもなく確かなことです。
でももうこれは、そもそも考古学からそのような研究がなされていたり、ソクラテスもアリストテレスも男で科学や物理を発展させてきたのも男だし、そもそもキリスト教の神なんて男ってイメージだし、キリスト教じゃなくても神のイメージって男だし、ニーチェも男だし、でも看護師とかCAって女のイメージだし、戦争に行くのは男だし、子供を産めるのは女だし.....。もうなんだかこの辺りのジェンダーを語るとキリがないので割愛ですが、とにかく「男の人」には男の人固有の魅力があって、それがスリルミーにマッチして受け入れられているということです。

ただ、もうこれも繰り返しになりますが、スリルミーの本質は「究極の愛」です。本編にも裁判官?の声で「ただスリルを味わいたかったから」というセリフが出てきますが、それは私のついた本当の動機を隠すための建前の嘘であって、「権力」などの物語要素は、自分のさっき前で書いた言葉を使うと、「観客側で繰り広げられる展開の一部」に過ぎないと個人的には思うんですよね。なのでスリルミーを構成するマストの条件ではないと感じるんです。だから人間であれば男女でも女子同士でも、ちょっと筋を変えれば成立するのがスリルミーだというのがわたしのスリルミーにおけるBL論です。
(もちろんキーワードに「超人たち」や「ニーチェ」が出てくるので最低限の権力握りたいぜ!的な描写は必要だとは思うのですが...。こうなったら趣味で脚本書こうかな...。??というのは嘘です、すみません...。)

根本的に人を愛することに男も女も関係がないですし、作品で語られている部分はここだと思うので「今LGBTとか話題になってるけど〜、やっぱりそういう世の中になってきたから〜」とか世の中とか、同性愛を“受け入れる”とかそういうベクトルで感想を語られると「あぁ、なんだか違うんだなぁ.....」と思うわけです。つまり、社会派な作品に見えて、そうでもないんですよね。

でも、この作品を「社会派だ!」と言っている人は一定数いると思っていて、「観客側で繰り広げられる展開の一部」でしっかり根拠を持って彼や私の生い立ちを想像できる人だったら、そういう論を展開しても問題はないと思うんですけどね。例えば、この方とか。→(https://dramatic9ri.hatenablog.jp/entry/thrillme_sf  ©︎「足元にご注意ください」ヨルシカさん 2019-01-23の記事)

だってRENTでエンジェルとコリンズがゲイのカップルで、RENTが同性愛について言及できるのは、RENTという世界の中で、ストレートもいて、ゲイもいて、レズビアンもいて、またその性的マイノリティーが社会のなかでどう生きていたのかという描写がしっかりあるからです。スリルミーはなんて言ったて2人しか出てこないので、そういう描写が一切ないのですよ。
一般的な同性愛と社会を語るには、第三者の視点が必要になってくるために、この作品で社会派なことを語るにはなかなか高度なことなんですよね...。

ちなみに「死刑制度」を語るのも同様なことです。
もともと死刑制度や裁判制度に疑問があったり、興味関心がある上で何か思ったり感じている人がこれを見て色々思って書くのは「すごく素敵な考察だなぁ〜」とか思うのですが、なかなか普段から死刑制度や裁判制度に馴染みのないわたしがスリルミーを見て死刑制度自体に言及するのは、スリルミーの本質ではないなぁ〜と思います。

6. 物語の残虐性と道徳性のすれ違いについて

さぁ、なんだ堅苦しい記事になってきましたよ(笑)!

もうずっとかれこれ6年くらいずっと引っかかってることがあって、この流れで最後せっかくなのでお話しさせていただきたいと思います。

それは以下の動画の5分40秒あたりの伊礼さんの言葉です。伊礼さんの言葉を端的に要約するとこうで、『事件を許せない→人の命は尊い→大切な人を守りたいと思ってほしい』。これがなかなか消化できなくて...。
『私と彼は愛を持ってしても結局うまくいかなかった→大切な人を守りたいと思ってほしい』なら理解できるのですが、どうもこの考え方が腑に落ちません。(どなたか助言いただける方がおられたらコメントくださると嬉しいです。)

この作品は最初に述べたように、ミュージカルであり、音楽で私と彼に感情移入できるように作ってあるため、この作品をいいなって思った人は、彼と私の気持ちを少なからず理解できている人がほとんどなはずで。つまり、そもそも「事件を許せない」というようなベクトルでの発想にならないと思うんですよね...。??どうなんでしょう??

言葉を選ばず、そして誤解を恐れずストレートに言うと「殺人の正当化」ということを考えるのが好きで。例えば、「人殺しっていかなる場合でも絶対に悪であると言い切れますか?」って問いに「YES」と即答してしまう人とは絶対に仲良くなれないなというのが自分の中であって。
それはつまり、超飛躍すると、トスカはスカルピアをナイフで刺して殺すけど、「トスカは殺人を犯したダメなやつだ〜!!」とはならないですよね、って話。東野圭吾の「容疑者xの献身」を読んで、殺人を犯した石神を悪だと言い切れますか?って話(もちろん、話せばこの辺り色々と議論はあるのだが)。「アドルフに告ぐ」は成河さん人殺しまくるし、松下さんも成河さん殺すけど、2人は悪だったか?って言う話。デスノートとかも。(殺された側の狂気性や凶悪性の有無など細かく話せば差異はあれども、とりあえずその辺りを語るのは割愛します。誤解が生まれたら怖いのだが...。)
「道徳の教科書」ではNGですよ。でも「人を殺すことの悪」と「殺す側の物語」は一緒に語れない場合が多くて、スリルミーもそこなんですよね...。なぜなら巧みな音楽で彼とか私に感情移入できるように作品側が仕掛けてきてるから。最初にも言いましたね。
「殺された遺族の気持ち考えろよ!」っていうのは理解していますが、それは今は別の話であって、そんな時は、今度は東野圭吾の「さまよう刃」を読んでほしいんですけど...。

でも「殺人はダメだ」とか「世の中にはルールがある」とか、そんなことは教科書で学べるんですよね
ただ、世の中に演劇やミュージカルや、もっと広く言えばドラマや映画やアニメや文学作品があるのは、人が死んでも安全である現実世界から線引きされた頭の中という便利なフィールドの世界で、普通からはみ出た個人を知るためだと思っていて。こういう物語が書かれるということ自体、どうしても生きていく過程で「人を殺そう...」という思いにならないと生きていけない人がいた、もしくは、実際そのような人がいなくても、そのような人が出てくる可能性を世の中が秘めているということだと思うんですよね。
だから自分も人を殺していい、って言う話ではなくて、そうでもしないと生きられないっていう人たちがいたし、いるかもしれないことを理解すること、また、それはもしかしたら身近な人にも、また自身の心の中にも潜んでいるのではないか...という可能性を知ることがものすごく大切だと思っていて、演劇などはそのようなことを考えるのに最適だと思うんです。
だから、彼や私についてあれこれ手順を踏んで正しく考えることは、自分の価値観を広げるために重要であって、すごく大切なことだと思うんですが...。

やっぱり彼と私がやったことは社会的に絶対にNGなために、前章で述べた「BL作品であること」と「世の中のLGBTQ事情」を同軸で話せないのと同じで、「現実世界の道徳性」と「スリルミーの残虐性」も絶対同軸では語れないんですよね

その辺り、理解できてない人を見ると、う〜ん...と感じてしまうので、話させていただきました。

ちょっと長く語りすぎてますね...。

なので、本編は以上にします(笑)!!
つたない文章だったと思いますが、みなさん最後まで読んでくださってありがとうございます。
間違えてる部分や「おや?」と思うところもあったかと思いますが、人によって解釈の仕方が違うということで、そこも含めてスリルミーの魅力だと暖かい目で見てくだされば幸いです。

コロナも大変ですよね。地方で劇場に来られない方や、また次いつ観劇できるのか分からない、というような人も、スリルミーは家でもこうやって考えたり楽しんだりできる要素満載なので、じっくりCDを聞きながらノートと向き合ってスリルミーを楽しんでみるのもいいかもしれませんね。
早くみなさんが安心して観劇できる日が来るのをわたしも待ち望む気持ちでいっぱいです。

はぁ〜、まだ終わってもいないのに、次の再演を楽しみにしてしまっています。わたしも気が狂ってますね(笑)。仕事の休みとお金さえあればまだもう少し楽しめるのに...。悔しい...(笑)。
これから観劇される方、されない方も、これからもスリルミーに、演劇に、ミュージカルに、色々な人生に触れながら心豊かに生きていきましょう!!

最後まで読んでくださりありがとうございました!!


◎ ◎ 


さて。

続いて、本編とはズレますが、せっかくなのでもう少し違う視点からスリルミーを語りたいと思います。
まだ余裕のある方はぜひ読んで帰ってください!


5. 【番外編】 照明について語る

番外編です。

タイトルの通り、照明を語ります。(笑)

わたしは普段、舞台照明を仕事にしております。
まじでこのような記事は身内にバレたくない一心なのですが、買おうとしているスリルミーのグッズのTシャツを仕事着にしない限りバレないでしょう。バレても恥ずかしいだけで変なことは言ってないはず。いや〜、この業界って意外と狭いんですよね、コミュニティーが...。
まだ照明のキャリアも数年のお子ちゃまなので、ほぼ素人です。同業者がこの記事を読むと間違っているところもあるだろうし、その時は全力で謝ります。まだまだ勉強不足な部分も多いですが、本当にスリルミー大好きなので語らせてください。わたしが今こうも記事を書き進めてしまっているのは全てスリルミーという作品が素敵すぎて魅力すぎるせいです。すみません。本当に、ごめんなさい先に謝っておきます...。

グチグチ言いましたが、照明を知らない方向けに、さらに違う視点からスリルミーを楽しんでいただけたらな〜というのがここからの記事の目的です。
わかりやすく書くつもりなので、構えず読んでください!
さて!行きます。

一応目次。

( ❶ ) カットイン多いな〜
( ❷ ) 矩形多いな〜  
( ❸ ) 結局FootとSSが最強説。
( ❹ ) 他演出の素敵な照明の紹介
( ❺ ) さらにコアすぎる照明の楽しみ方 

( ❶ ) カットイン多いな〜

「カットイン」というのは文字の通り「カット」で「イン」することです。
あるシーンがあって、次のシーンで照明が変化するとき、その照明変化を何秒間かけて行うか?というのが全シーン計算されていて、その秒数のことを「タイム」と呼びます。そのまんまですね。
タイムが0秒であかりがついたり消えたりすることを「カットイン(C.I.)」や「カットアウト(C.O.)」と呼びます。
2014年に観た時は、そんな印象を抱かなかったのですが、とにかく0秒での変化が多いな〜と感じたのが今回でした。(2014年はまだこの仕事をする前なので全然根拠のない記憶が頼りです。間違っていたらごめんなさい。ただ、過去に残っている映像資料を見る限り、初演からはほぼ明かりが変わっています、これだけは確かです。)

印象的なのは最初のピアノの音入り。
ピアノへの明かりの入り方がカットインなので、本当に一気に世界に引き込まれます。わたしたちが生活する普通の世界から「パッ」と断絶される感じ。もう。たまりません。
あと、この時に客電(始まる前や休憩中、終演時に客席を明るくしているライト)もカットアウトなんですよ。これは本当に珍しい...。今まで平均以上には色々舞台を観てきたつもりでしたが、おそらくスリルミーが初めてな気がします。あれ?でも、他にもあったと言われればあった気もします...(笑)。誰か知っておられる方いましたら、教えてください。
例えば、劇場案内の立場からすると途中で入ってくるお客様とかを安全に席まで案内しないといけない役目があるので、作品が始まってからの暗い中での案内はペンライトを持っていたりしますし、劇場によっては「ここの通路の明かりは劇場のルールで何パーセントの明るさにしないといけない!」とかそういうのがあるんですよ。だからいきなり客席を0秒で暗くする、というのはお客様側にもそういう意味でとても危険なことなんですけど、やれるんですね。すごい...。。。
でも、この最初の客電のカットアウトとピアノへの明かりのカットインがもう、本当にたまらないのです!!!!!!!!!!!!

あとは、「超人たち」の入りとかもカットインで印象的ですし、だいたい歳をとった私と昔の私との切り替えはカットアウト・カットインが多かった印象です。
曲中でも数カ所、0秒変化の箇所があったので、何度も作品を観られている方は探してみるのも面白いかもです。
カットインやカットアウトは特に特別な手法ではなく、どの作品にも割と普通に使用される手法なので、目新しさなどは何もないのですが、照明操作側からするとやはり緊張しますし、お客様にも一番わかりやすい照明変化のあり方だと思うので、そのような点では語りやすいんですよね〜(笑)。
さて、ここからもう少しずつコアになっていきます。

( ❷ ) 矩形多いな〜  

次は光の当て方の種類について。
詳しいことは http://stagenetwork.web.fc2.com/shoot.html このような専門的なサイトを見ていただければわかるのですが、ここでは矩形(クケイ)というものについて説明したいと思います。

矩形とは一般にも四角形の意味で使われますが、照明ではあかりの当て方の種類の一つの総称として使用しています。わたしが人生で一番感銘を受けた矩形を多用していた作品の写真を以下に載せておきます。ケラさんの作品です。(©️株式会社センターラインアソシエイツ 公式ホームページより)

スクリーンショット 2021-04-12 0.45.29

この黄色い四角がいわゆる「矩形」です。
スリルミーではこのような矩形が多く登場しています。

例えば。こういうのです!!!

スクリーンショット 2021-04-16 4.48.44

自分で適当に作った割にはわりかし綺麗な図になってますね、すげー。

【あ】は超多用されてますよね。「M5:契約書」で印象的。【い】はカバンがドンって落ちてから確か「M6:スリルミー」で使用されてました。(記憶違いだったらすみません...。)【う】はみなさんお分かりの、歳を重ねた私の独白シーンで使われる矩形です。

( ※ 以下、動画のスクリーンショットはYouTubeのltikechannelから拝借しています。https://www.youtube.com/user/ltikechannel/videos)

スクリーンショット 2021-04-16 4.53.40

スクリーンショット 2021-04-16 5.07.04

スクリーンショット 2021-04-16 5.08.46

さて、ここまでは結構、わかりやすい照明なのですが、【え】はみなさんお気づきでしょうか...?
「 M10:超人たち」の前で無音になるタイミングで、セットの白い線が一瞬赤くなるところ。あのようなところで出る矩形です。白いセットの線に合わせて、照明も矩形があります。白の上に赤色を当てて色を変えたり、さらに白っぽい色を合わせて線を際立たせたりしています。これも結構印象的ですよね。

【お】は、後半の舞台の床が動くシーン。その縦のラインに十字架のように、横長に矩形が出てるんですよね。ただ、照明はその場に固定の四角で落ちているので床が動くと、私はその照明の四角の中を通過しないといけないくて。その間にギュイン!って私が一瞬だけめっちゃ明るくなってしまうんですよね。これ、気になる方どれくらいいるのでしょうか...??

雑談になりますが、矩形というのはビジュアルを重視した明かりで、実際矩形の明かりをつけたからって人自体は明るくならないし、綺麗に見えないんですよ。
【う】なんかは私が立つエリア自体は明るくしていますが、あくまでも立つエリアを明るく形作っているだけで実際に顔を見えるように明るくしているのは、矩形の四角ではなく、SS(のちに説明します)とか、<CL:シーリング>や<FR:フロント>などの幕前と呼ばれるもの、あとピンスポットとかなんですよね。【う】に関していうと、私の立つほぼ真上のスポットであたりをとっていますから、頭の上から光を当てたって、頭の上しか明るくならないんですよ(笑)。
だから、矩形のあたりに変に上手く入ってしまうと人が発光してしまったり、そのポディションを抜けると急に暗くなったり、そういうのがどうしても起こってしまって、照明をやっていると、「あぁ〜、今矩形から一歩外出たな〜、ちょっと顔くらいな〜」とか「あぁぁぁ!もう一歩内入って!!矩形がぁぁぁ!」とかってなるんですよね...(笑)。

スクリーンショット 2021-04-16 19.25.44


ちなみに、これ先ほども述べましたが、本当にピンスポット(通称:ピン)が大変そうで...(笑)。
ピンスポットはどんなものかイメージつくでしょうか...??人が実際に本番中操作する唯一の明かりで、人のその時の動きに合わせて光をあてることができます。(わからない人はググってみてください!)主に顔を明るくすることが目的で、こういう矩形などで歩くエリアによって均一な明るさにならないとき、そのムラをカバーする役割もあります。
わたしなら絶対「ああああ〜〜、矩形っっっ!!!ここ毎回顔半分切れてる〜〜〜〜〜〜!!!どうしようもう〜〜〜〜!!」とかインカムで叫びながらピンスポット振ってると思います(笑)。「福士さん服だけ明るいなぁ〜、顔!!顔!かお〜〜〜!」とか。隣が後輩ならね(笑)。先輩なら黙ります(笑)。
照明って、やっぱ、絶対に顔を明るく見せたいんですよね。役者さんがそこに立ってるからには明るくしたいわけです。魅力的な人であればあるほど。あぁぁ〜なんだかこの辺を語り出すと、本当に止まらないのでやめます。話が脱線して申し訳ない...!!

話を矩形の話に戻します。

【か】は本当に今回ずっと特筆したかったのですが、最後の99年で2人が縦に並ぶ時、もう2人の肩幅よりも狭い、顔ギリギリのサイズの矩形なんです!!!!!!しびれました!(笑)

スクリーンショット 2021-04-16 19.39.06

めっちゃやばくない???顔超キワキワ....!!!!!!
矩形って何が大変かって、テーブルや椅子など、動かないものに対してなら間違いなくそこに置いてくださればいいだけの話なのですが、人に当てる矩形の時、役者の立ち位置って超大事なんですね。
本当に光に入らない役者ってめっっっっちゃくちゃ沢山いるんですよ。いや、プロでしょ?光くらい感じて当たってくれよ!って思うんですけど...。
なので、その決まったポジションで当てる照明は、無計画に漠然と多用はできない側面を持っているのですが、99年のあの矩形のピンポイントの狭さには震えました(笑)。まぁ階段もありますし、センターですし、取りやすいポジションではあるものの、攻めるな〜〜と(笑)。いや〜、しびれた!!!!!!(笑)
わたしは基本、座席はセンターブロックで見ることが嫌いで、後ろの端の席が好きっていう変人なのですが、これはセンターでぜひ見ていただきたい明かりですね。マジで、しびれます。

あれ?ところで、この熱量伝わってますかね........?????

だんだんと不安になってきましたが、止まらなくなってきたので気にせず次に行きます〜〜〜〜、あは。

( ❸ ) 結局FootとSSが最強説。

あれなんですよ、矩形とか、そういうのも素敵なんですけど、結局は、もう、Foot(フット)とSS(エスエス)が最強なんですよ!!!!!!!!

今回、Footは「16-par(イチロクパー)」という機材で、SSは東京芸術劇場はSFじゃなくて「RIKURI(リクリ)」で、6インチ紙シート借りなきゃいけないの毎回面倒、イーストでシートのチェーン絡まるのだるい...、あ、でもウエストでよかったけど、これイーストなら降りないしこの仕込み死亡だな...。MVは重いよ...。っていうマニアックすぎる話は置いておいて...。今回は「Foot」と「SS」を語りたいと思います。

Foot (フット) はステージの下から当てる光のことです。懐中電灯で「お化けがでたぞ〜〜!」って顔の下に当てるあれです。

スクリーンショット 2021-04-16 19.53.15

スクリーンショット 2021-04-17 18.03.53

「 M4:やさしい炎」や「M10:超人たち」で使用されていましたね。これは効果など詳しく話さなくても、この写真を見ていただければわかると思います。

(補足①:この「超人たち」の2枚目のスクリーンショットの壁の線も矩形といえば矩形ですが、壁に出す矩形はタッチとも呼んだりします。こういうのとかも。

スクリーンショット 2021-04-16 19.50.02

タッチについても余力があれば語りたいけど...。結構印象的な明かりいっぱいある。)

(補足②:ちなみに、16-parという機材は、本編であげた韓国の2019-2020 ver.のセットにもめっちゃかっつけてあります。

スクリーンショット 2021-04-13 3.35.34

これはFootの下から当てるという用法以外にもかっつける場所によっていろんな明かりの意味を担ってそうですね。)

さて続いて。SS (エスエス) とは、サイドスポットの略称で、ステージ上にスタンドなどにつけて置き、顔の真横から光を当てるスポットのことを指します。

スクリーンショット 2021-04-17 3.26.32

すごく分かりやすくSSの変化を捉えていたのが、この以下の動画で2:40あたりの彼が歌い始めるところあたりからぜひ見てみてください。確か、今回のスリルミーでも同じタイミングでSSが入ってきていたように記憶しています。結構印象的だった。

この動画で、わかりにくいとは思うのですが、冒頭の私がサスペンダーをあげ始めたあたりからだんだん明るくなる過程にもSSはアップしていて、そういうジワーってくる美しい光の変化には大体SSが関係している場合が多いです。

なんでSSが美しいのか?と言われると、美しいから。としか答えることができなくて、「なんで松下洸平はかっこいいのか?」と言われて「タイプだから。」と答えるのと同じような感じです(笑)。人の美的感覚って個性であって絶対的なものではないですからね。
でも基本SSは基本横から当てているので、顔を半分だけ明るくしたりすることができるんですよ。そういうアシンメトリーの明かりってかっこよくないですか(笑)??もちろん両サイドから当てるとSSでもきれいに明るくなるのですが、「彼の顔はもう絶対SS当てる用の顔だろ!!!」って思うくらい、SS映えなんです(笑)。

あと、やはりお話上、不気味さや危うさって絶対に演出しないといけない部分であって、その点FootとSSは、超有効なんですよね。
前話した矩形や、このようなSSやFootなどを組み合わせて照明は明かりを作っているわけで、あと幕前とか細かく話すともっと色々あるのですが、本当に照明って奥深い世界なのです。

いや〜、やっぱ自分、照明好きだなぁ〜。

( ❹ ) 他演出の素敵な照明の紹介

このセットがいつのものなのか、わからないですし、韓国語わからなさすぎて、この動画も公式なのか、なんのものなのか、全くわからないのですが、明かりはめっちゃきれい。

「やさしい炎」は多分映像も使ってるのかな...??正確なことはわかりませんが、きれい。日本だと赤の一色だけど、結構探してみると赤一色じゃない演出も多くて。個人的にはこういうような、ちょっとブルーも入って、赤一色じゃない方が好みだったりします。
「The Plan」も、ここで明かり変化するのね。しかも0秒変化!?!?かっこいい...。ってなりました(2つ目の動画6分57秒)。この「The Plan」で使われている色味とか、あまり日本では見ないし馴染みがないような感じで、なんの色だろう〜?って個人的興味。素敵なので紹介しました。

( ❺ ) コアすぎる照明の楽しみ方 

ここで、最後にもうコアすぎる照明の楽しみ方を伝授しておきたいと思います。「いや、ここまでもコアでしょ!ついていけてねーわ!」という声が幻聴で聞こえてきているのですが、とりあえずちょっと無視して書き進めます(笑)!

これは劇場の特性でもあるのですが、スリルミーは照明機材が客席からほとんど見切れています(笑)!
これは前の席よりも後ろの席にいけば行くほどよくわかるのですが、文字(モンジ)幕というものがないことが関係しています。(文字幕というのはこういうものです。→ https://nakayama-sc.co.jp/blog/?p=146 )
舞台の上に吊ってあるものだけではなくて、ステージのFootなんかは誰でも確認できるし、SSなんかも確認できます(センターブロックに座ると見えないかもだけど...)。

なので「あ!あのスポットライトまたついた!あの時と同じだ!」っていうのだけで、全く照明を知らない人でも何となく照明を楽しめる仕様になっています(笑)。

それと、あと「音」がすごいんですよね。
舞台で使われている照明機材を大きく2つに分けると「一般」と呼ばれるものと「ムービング」と呼ばれるものに分かれます。
普通照明のスポットは「つける・消す」という動作しかできなくて、色をつけようと思ったら、その灯体の光源の前にカラーフィルターを差し込まないといけません。これらのスポット総称して「一般」と言います。

スクリーンショット 2021-04-17 22.43.16

©︎  https://kuragemoyou.com/?p=17918

ただ最近のスポットは、色とか自由に変えることができて、「つける・消す」以外にも、スポット自体の向きを変えたり、明かりの大きさを変えたり、矩形にしたり、丸にしたり、色々なことができるスポットがあります。それを「ムービング」と言います。

スクリーンショット 2021-04-17 22.58.57

こういう大きいスポットです。まぁ、大きくないのもあるのですが、基本大きいのがムービングです(笑)!!
あと、LEDとかの「自在には動かないけど色は変えられるもの」とか細かく言ったら色々あるのですが、その辺りは割愛して...。

ムービングは動くので、今は真ん中で白の矩形でついて、次は奥で赤の丸でついて...みたいなことが可能になります。この時にスポットが一旦消えたあと、次の明かりを出す位置に向きが動くのですが、これを「スタンバイ」といい、スリルミーではこのムービングがスタンバイしている時の「キュイン...!」って音がめっちゃします(笑)。「超人たち」の前の無音の時とかすごい聞こえる(笑)。

あとたまたま発見したのが、この動画の最初とか、諸々スタンバイが間に合ってなくて笑ってしまいました(笑)。色が回っているのはC/C(カラーチェンジャー)やスクローラーと呼ばれるもので、ムービングとはまた違うのですが、彼の机にいくはずの明かりが左の壁からベローンって動いて位置に着くのが、ムービングのスタンバイが間に合っていない部分です(笑)。

あと、最後の「さぁ、いいか〜僕たち〜2人、共犯者〜♩」からの階段に向かっての明かり変化とか、もう、あのカットインも本当に痺れるのですが、この無音のとき「カチっ」って音が聞こえるんですよね。
それはわたしが入った日だけなのかもしれませんが、照明の明かりを進行させるボタンを「GOボタン」というのですが、それを押す音なんですよね。あそこで変化しているのは照明だけなので、あれは多分照明さんが奥の上の方でGOボタンを押している音です。

スリルミーは本当に静かな舞台なので、そのようなスタッフが仕事をしている音とか、耳をすませば聞こえるんですよね(笑)。下北沢の小さな劇場の後ろの席だと、そのGOボタンを押す音とかずっと聞こえたりするのですが、そうやって小さな音が響いてしまうのもスリルミーのいい魅力だなぁ...って思ったりします。(もちろん静かな舞台は静かであるべきだし、音はならないに越したことはないのかもしれませんが...。わたしは魅力に思えてしまいます。)
初見の人はこんなことに気をとられる暇はないと思いますし、気をとられる必要性もないと思うのですが、なんども繰り返して見ておられる方は、このようなことにも注目したら面白いんじゃないかなぁ〜って思ったのでここまで書きました!!

はぁ。

気づいたら、2万文字弱になっていました。卒業論文並みですね。自分で文字数見て怖くなりました(笑)。
本当に長くなりましたが、ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました。ここまで読んでくださるなんて、心優しい人なんだなぁ〜って思います。また、どこかの劇場の客席であなたとお会いできたら嬉しいです。
また、間違っている内容がありましたら訂正したいので、コメントなどいただけると幸いです。

これからも舞台がコロナに負けずに盛り上がっていけますように。

ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?