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日常生活のなかの旅

日常生活のなかに変化を求めれば、人生の旅人になれるのでは、とそんなようなことを考えた。

数年前にリフォームのため東京の真ん中の飯田橋に仮住まいしことがある。同じことを繰り返す日常から解放され、次々と新しいものに出会った。

近くにスーパーがない。まずスーパー探しから始めた。当初は後楽園前のドン・キホーテで用を済ましたことも。遠く小石川にあるスーパーのダイエーに行ったこともあった。そして、なんとか神楽坂の上にあるのを見つけた。まさかこんな近くにあるとは、思ってもいなかった。

せっかく都心に住んだのだからと旅人のような気持ちで近くを散歩した。後楽園から本郷に、そう本郷は以前ずいぶんと歩いた。そこは妻の曽祖父が明治初年に磊磊堂という書店を開いた場所だ。
安藤坂から小石川伝通院へ、さらに播磨坂の先にある宗慶寺まで足を伸ばした。曽祖父の友人の野口勝一の墓があった寺だ。さらにその先の久堅町まで歩いた。そこは石川啄木の終焉の地。

石川啄木終焉の久堅町にある晩年の短歌草稿

神楽坂はよく歩いた。神楽坂にこんなにたくさんの路地があるとは。板塀の家並みが続いている。近くに材木店もあった。白銀公園という児童公園もあった。親子が遊んでいる。都心にも普通の家庭があり、普通の親子がいる。予想外に普通の街なのだと気づかされた。まさに未知との遭遇の連続だ。

旅とは日常からの解放だ。日常でありながら、日常ではない生活が続いた。こんな旅のような生活を今懐かしく思い出している。 

神楽坂の路地


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