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曳舟川回顧

墨田区の水戸街道と京成電車の間に曳舟川通りという道路がある。この曳舟川には、いくつかの思い出がある。

東武線の曳舟駅を降りたところにある高校に通っていた。その地理の教師が、曳舟の地名の由来について、かつて人が舟を曳いた川だったことから曳舟川と呼ばれていて、今は埋められて、曳舟川通りがその跡であると教えてくれた。

昨年、友人が亀有のショップで携帯電話を契約するというので、そこで会い、帰りは、曳舟川親水公園を歩いてお花茶屋まで歩いた。葛飾区の曳舟川の跡は、亀有から四ツ木までの間が親水公園として保存されている。曳舟川は、埼玉県から流れる葛西用水が葛飾区・墨田区で亀有上水・本所上水と名前を変えて流れ、それを曳舟に利用して曳舟川と呼ばれた。上水というのだから元々は飲用に使われていたのだろう。

広重の『名所江戸百景』「四ツ木通 用水 引ふ祢」に曳舟川を人が綱を引いて上下する舟が描かれている。綱を引くために川の片側には樹木はない。遠方に筑波山が望まれる。舟には旅人らしき人が乗っている。先の方に船着き場があるので、乗客はそこで降りたのだろう。さらにその先には橋があり、曳舟は不可能である。曳舟は荷物運搬と思っていたので、広重の絵に旅人が乗る舟の絵は意外であった。元々は運搬に使っていたのを交通機関としての面白さから観光用に使われたのだろう。

最近、子ども夫婦が曳舟川通りの近くの東向島に引っ越した。またまた曳舟川が身近なものになった。ただ、今は埋められているので、見ても単なる道路である。

葛飾区の曳舟川親水公園
国立国会図書館所蔵『名所江戸百景』の
 「四ツ木通 用水 引ふ祢」


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