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未来は決まっているか

この世の中は、言わば、慣性と加速力で動いている。何もしなければ、今のままのことが繰り返される。そこに力が加わると方向が変わったり、進み方が速くなったり、遅くなったりする。この変化を与えるのは災害など自然の力のこともあれば、人間の働きかけによることもある。

人間の歴史を見ると慣性で動いていく時代もあれば、人間の意思が時代を変えたこともある。歴史は予め決まった道を動いてきたわけではなく、人間のビジョンが時代の方向に影響を与えてきた。特に影響力のある人のビジョンが社会を動かした例は多い。政治家、経済学者、社会思想家のビジョンがあり、それを実現しようと社会がひとつの方向に動いた事例は、近代の思想家と革命の関係を見れば明らかである。

一度、方向性が与えられると社会は、同じ方向に動いていき、逆戻りはできない。貨幣経済、資本主義、科学技術などは、一度方向性を与えられると中々修正は難しく、巨大化の道をたどってきた。歴史は不可逆的である。人間は便利で豊かな生活をしてしまうと元には戻れない。資本主義社会では、GDPは増加しなければならない。次々と新しい技術が発明されて、発明による革新(イノベーション)が社会の進歩の力と考えられている。現代は、ビジョンがなく慣性だけで動いているように思われる。

今の慣性のままでよいのかと考えたときに、加速力が生まれる。ビジョンこそが加速力であり、社会の方向性を変え、あるいはスピードを遅らせたりする(逆加速)。最近の例で言えば、気候変動議論や持続可能社会の提唱だが、これは、産業社会を原因とする環境悪化に気づいた人間の叡智と考えられる。慣性は近未来を決定づけ、加速力は未来を創造する。

未来は、決まっているのかと言えば、半分は決まっている。現在を維持する力や不可逆的な巨大化の力からは、未来の予想がつく。一方、未来は決まっているのかと言えば、半分は決まっていない。現在を維持する慣性の動きに異を唱えることができるのは、人間である。人間の提唱するビジョンが社会の慣性に力を加え、社会を変化させる。即ち未来は、人間によって創造されるのである。



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