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文字

私は国語の授業が苦手であった。

そんな私が、こんな文章を書いている。

矛盾しているではないか!
と思われますよね…。
確かに…そうなんです!

これには、訳がちゃんとあるんです!

私が何故、国語の授業が苦手になったのか。

それは、さかのぼる事小学生に入る前である。

私は、幼稚園や保育園には行かなかった。

家でひたすら家事をしていたのだ。

今考えると、ヤバいです。
でも、当時はそれでもみーんな知らないフリ。
かあちゃんに絡むとろくな事ないんです。

いちを、おさらいとして、
私は母子家庭で母は耳が聞こえない。

母つまり、かあちゃんはとにかく不器用。
家事一般がまったく出来ないのである。

ただでさえ、不器用で耳が聞こえない。
そんな、かあちゃんが仕事でもうまくいかない。
いつも、誰かしらとケンカして、
勝手に仕事を辞めてくるのだ。

酒乱で、近所中に、暴れて、大変なんです!

いつも、近所中に謝罪して回って、
いつも、かあちゃんの介抱してるんです!

困った、かあちゃんなんですよ!

だから、まわりは私の事をどうにかしよう、
と思っても、かあちゃんと絡みたくないのだ。

仕事から、帰ってくる、かあちゃんは、
いつも不機嫌で、とてつもなく厳しいのだ。

イライラして、帰ると部屋が汚いと、
余計に嫌になりイライラしませんか?

かあちゃんは、ヒステリックになります。

だから、私はかあちゃんの為に、
家事を覚え、部屋を掃き掃除、拭き掃除、
最後に掃除機でキレイにして、
台所、お風呂、トイレ掃除をして、
二層式の洗濯機と手洗いで、洗濯して、
かあちゃんの帰りを待っていたのだ。

そんな生活をしていると、
次の年に小学生になるぐらいになった。

かあちゃんは、家事の他に、
ドリルをやる事を、私に命じた。

それは、ただでさえ、かあちゃんは、
耳が聞こえないし、仕事も転々としていた。

だから、家はボロアパートで貧乏だった。

そんな負い目を、
かあちゃんは感じていたのかもしれない。

私が小学生になると、
いじめられてしまう…心配なんだ。
とかあちゃんは言うのだ。

なので、文字の読み書きが出来る事により、
小学生になっても、イジメられない様にと、
私にドリルを与えた。

それまでで、公園で遊んだのは一回だけある。

かあちゃんが珍しく公園に連れてってくれた。

それ以外で外で遊んだ事はない。

だから、私はガリガリのひ弱な子だった。
走り方すら、おかしいのだ。

これはもー虐待に近いかもしれない。
外の世界で遊んでいる子供が羨ましくて、
いいなー!いいなー!とひがんでましたよ!

だが現実は、
毎日、家事とドリルをする日々。
時間配分なんて、出来ない年頃。

家事やドリルをおろそかにすると、
クレイジーなかあちゃんは、
これでもかってぐらい暴力を振るうのだ。
しまいには、包丁を振り回すのだ。

いつも、本気で殺されると思った!

それぐらい、すごい怒鳴り、
髪を引きずり回すのだ!

そりゃ、もぉ、恐怖ですよ…。
それでも、そんなかあちゃんが
不器用なだけだと、大好きでとても幸せでした。

だから、遊ぶ事もなく、
朝、かあちゃんを見送ってから、
休む事なく、家事とドリルをしまくるのだ。

そんな目まぐるしく動いているうちに、
いつの間にか、かあちゃんが帰ってくる。

次から次へとドリルは、レベルアップする。
そして、ドリルは読み書きではなくなり、
漢字のドリルに、変わっていく。
どんどん、漢字の難易度も高く、最終的に、
中学生の漢字を覚えて書ける様になっていた。
強引に、無理矢理、覚えさせられたのだ。

どうですか?

嫌になりませんか?

でも、大好きなかあちゃんの、
大好きな笑顔が、見たいんですよ!

くしゃくしゃと頭を撫でて抱きしめて、
もらいたくて頑張ってたんですよね…。

お前はえらいね!
お前がすごく大好きなんだ!
お前がとても愛しいよ!
あたいの子供に生まれてきてくれて、ありがとう!

と言われたら、もっと褒めて欲しいと、
もっと、かあちゃんの笑顔が見たいって思って、
そんな日々でも、すごい幸せになってしまうんです。


だけど…国語は懲り懲りなんです。

確かに、小学生になって、国語の授業は、
私には、すでに簡単すぎて、楽勝だった。

だが、そのぶん、ぜんぜん面白くない。

授業が、苦痛でしかないのだ。
文字を見るだげて、嫌気がさしてくるのだ。

すると、他の授業の方が新鮮で楽しいと、
どんどんのめり込んでいくのだ。

その比率は天と地ほど。

そのうち、ひねくれ者の私は、
つまんない国語の授業になると、
ふざけたり、明らかに暇そうにしたりと、
先生に、叱られる事が増えてきた。

むぅー!となってきて、
余計、国語なんて大っ嫌いだ!となるのだ。

それが国語が苦手に至る経緯である。

でも…それは、
かあちゃんの為の読み書きと漢字であった。

かあちゃんの耳の代わりとなるモノ。

かあちゃんは、耳が聞こえない。

時に、筆談が必要となるのだ。

その為には、私は言葉の読み書きから、
漢字やその意味を知らなければいけないのだ。

聞こえない、かあちゃんの代わりに、
文字を書いて、伝えなければいけない。

例えば、病院に行って、専門用語を、
言われたり、症状をもっと詳しくと、
なると、筆談をした方が、医者にも、
かあちゃんにも、役に立つのだ。

役所等の手続きにも、必要となる。

あーなるほど…その為のドリルだったのだ。

今、この文章を書いていいるうちに、
その事に今さら気づいた!

おっそ!もっと、早く気付けよ!

それでも、国語と聞くと、
あの、ヒステリックに暴力を振るう、
かあちゃんが私を襲いかかってくるのだ。

だから、私は、国語が苦手なのだ。

かあちゃんのクレイジーには、
私は未だについていけないのだ。

でも、それ以上に愛情たっぷり、
私を大切に大事にしてくれてたので、
ただの不器用なかあちゃんという解釈です。

日本って、文字ひとつで、色んな意味がある。
ガタガタ、ひらがな、漢字等、多種多様。
その意味を、知らないといけない。

私は、かあちゃんとの手話以外での、
通訳として、必要な筆談に使う為の文字。

文字で、かあちゃんの言いたい事や、
相手の言いたい事を、簡潔に書いて、
わかりやすく伝える役目の文字なのだ。

それ以外にも、耳の聞こえない、
かあちゃんには、文字は生きる為に、
大きな役割を担っているのである。

文章を見れば、その人の性格や、
男性か女性かもわかってしまうのだ。

なんの情報も言わないで、
かあちゃんにある原稿を渡して、
読んでもらった事がある。

かあちゃんの推理力には、脱帽した。

私でさえ、ん?とわからない部分まで、
かあちゃんは、文字や言い回し等で、
全てを悟り、解決してしまうのだ。

いやー、かあちゃんはすごい!

それだげ、文字は、かあちゃんには、
なくてはならない存在なんだな。

かあちゃんの頭の中では、
出てくる言葉から文字へと変換されて、
そこから、なんらかの情報を得るのだ。

あれ?私と逆?
私は、手話から、言葉が変換されるのである。

ふむ、ふむ、これは…大発見である!

はっ!
つまり、私は、
自然に、かあちゃんのおかげで、
言葉を文字に書く習慣が、身に付き、
その文字を書く習慣から、今の私があり、
このnoteに文章を書く事に繋がっているのだ。

なるほど!今さら!謎が解けました!

国語が苦手だから、文章も苦手だと、
思っていたのだが、それは違ったのだ!

かあちゃんの戦略で、
読み書きから始まり、文字を覚えて、
意味を知り、言葉が出てくる。

それが筆談に繋がっていましたよ。

かあちゃん…やるな!

今さらすぎる!

そんなんで、こんな月日を経て、
私は、このnoteで手話を使い、
言葉を導き、文字へと繋がっていたのだ。

うむ…かあちゃんに感謝だな。

やっぱり、かあちゃんには敵わない。

でも、それが今、noteの中で生きてます。

不思議だな…。

かあちゃんよ、そこまで、見通してたのか?



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