涙とともにパンを食べたことのある者でなければ、人生の本当の味はわからない。

最近、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」を読んでいる。難しい。どうやらこの本をゲーテは25才で書き上げたようだ。のちに「ファウスト」を人生を懸けて書き上げたらしいが、書くことに人生を捧げた人、作家にしろ小説家にしろ本当に彼らには頭が下がる。

さてタイトルの言葉はそんなゲーテが言った言葉らしいがこの言葉は名言として現代まで残って伝わっている。

この言葉は解釈が難しい。そのままの意味で捉えるのであるならば、泣くほどの思いでご飯を食べた時、人は本当の人生の味を知るということになる。

僕の考えを書こう。

元来、人間は三大欲求に忠実に生きてきた。性欲、睡眠欲、食欲である。性欲はともかく残り二つはしなければ生死に関わってくる。ちなみに自分は睡眠欲>性欲>食欲の順番である。

そうだ。食べなければ死ぬのだ。人間は。
現実とは辛いものだ。逃げてしまいたい苦しさや悩み、死にたい思いを持っている者が無数にいる。私もその中の一人かもしれない。
それでも簡単には死ねないし、そんな中、何もしなくてもお腹は空く。食べることに快楽を見いだし、食に逃げるという選択肢をとっている人はこの言葉を理解するのは難しいのかもしれない。

苦しみの中で食事をする。精神は苦しいのに身体はエネルギーを求めている。食べるとは身体の回復、すなわち元気になるということだ。生きるのが辛いのに、食事をすると美味しくて生きる活力が沸いてくる。苦しいのに、力が湧いて元気が出てくる。そしてなぜか涙が出てくる。この涙を大切にして欲しい。
このときそしてもしこれからこのような場面が来たらこの記事のタイトルのゲーテの名言を何度も反芻すれば人生の本当の味がわかるかもしれない。

そしてこんなこと本当ならしない方がいいのだ。食事とは本来楽しむべきもののはずである。一緒に食べるものがいて会話をしてコミュニケーションを取りながら生きていく。そうであればいいのだが、孤独に1人で泣きながら食事をするものもいる。後者に対するやさしさなのかもしれないゲーテのこの言葉は。

そうだ。絶対に幸福になれる。泣きながらパンを食べたものは人生の辛さを知っている。その辛さの分だけ人生の本当の味を知った分だけ人は豊かになれる。僕はこう解釈した。

人生の味を知る人が増えればいいのかそれともこんなこと考えなくていいくらい食事を楽しめる人が増えればよいのか、僕にはわからない。

言いたいことの伝えたいことの3割も伝えられなかったのだが、まとめとして綴っておく。

泣きながら食事をする経験をした者は大丈夫。貴方は必ず幸せになれる。その涙が、思いの強さが貴方を必ず救う時がくる。人生の味なんて本当は知らなくていいはずだけど、それでも僕は人生の味を噛み締めたい。

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