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サイコパス恐怖症(2話目)

私は講義の数や種類に応じて、その日に話していい人数を計算しながら通学をしていた。多い日は6人必要最低限の会話をした。元々共感能力が欠如している私ですから友達は2人、毎日会うわけでもなく、SNSの友達追加もしておらず、講義が一緒であれば話程度。大学生活はサイコパス性がある人間には華やかであるはずがなく、気晴らし程度に入ったサークルではコミュ障と表面上では弄っては頂けるものの、強固なパーソナルスペースをお互いに作っていて、この先私のサイコパス性が少しでも出たなら、退部を求められるであろうことは分かっていた。何故分かっていたにもかかわらず辞めなかったのか、南瓜を持った魔女が現れる可能性を散りばめておきたかったのだろうか。

私に辛うじて興味を持って頂いた先輩がいた。私の何処に良さがあったのか、未だに検討さえつかないが、居場所が出来たと不安以上に安堵が勝った。私のサイコパス性が出ないようにと、甘くなったフィルタに気付くこともなく、考察後であるかのような顔で立ち振る舞う。私はこの先輩に依存することによって、自分は洗脳されることが出来る、人に依存することが出来る人間なんだと、思うことによって自分のサイコパス性を考えなくていいという、至福とも思える時間は、ヘビースモーカーや薬物依存者を正当化してしまう状態にさえなりかねなかった。だが、そのように思えるのはたかだか飲み会の時間2時間程度で、次に会う時にはサイコパスであることがバレるのではないかと怯えながら、何人と話すかを考えながら通学をする。

ここまで来て自分が書いたものを読み返すと、100人読んだら1人くらいはゲロを吐いているのでは?と思うような大学生活だなあと感じずには居られない。

今更ながら、この作品はフィクションである



秋になるとTwitter上で私が一番だと言わんばかりに、多くの方々が金木犀の香りが心地いいと呟いている。私は金木犀の香りが分からない。鼻炎による弊害なのか、ここでも秋を共に感じることが出来ない。

「昨日は読書をしようと思ったが、金木犀の香りが四季を楽しめと言っているようで、思い耽ってしまった。」
「それは風流だ。」

などと会話をしてみたいものだった。

この会話を書くのに時間はあまり要さなかった。頭の中で、時には口に出しながら起こりえない会話のシュミレーションを、何度も近似した内容で繰り返し行い、上記のような会話パターンについて考えたことがあったからだ。

私はこの会話シュミレーションに立体的な現実味のなさから、「もう1人の僕」が現れないかとより現実味のない方へと飛躍してしまうことが多い。しかし、この現実味のなさにのみ自分の居場所を見出しているような感覚を覚える。唯一誰にも迷惑をかけることなく、自分の思うままに話をすることが出来る一種のVR空間を、ニューロンによって構築しているのだと空想を続ける。

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