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おれは庵野監督とオタク度くらべをしたいのではない(『シン・仮面ライダー』感想)

 この記事には映画『シン・仮面ライダー』に関するネタバレがあります。そしてこの映画を(オタク思考が邪魔して)楽しめなかったという論調ですのでこれらが嫌いな人はブラウザを閉じてください。

はじめに

 どうも、しおにくです。仮面ライダーの面倒くさいタイプのオタクです。かつて自分の結婚式では仮面ライダー1号のお面と変身ベルト(コンセレ2006年版)を装着しており、知人にあとから「庵野監督と同じじゃん…!」と言われて『監督不行届』の該当のコマを教えてもらいました。

 直近のライダー作品レビューは下記の通りです。

 どうです、面倒くさいでしょう?

 今回の『シン・仮面ライダー』ですが、ネタバレや他人の感想を踏まないように公開初日の初回で観てきました。

 毎回書いてますが、とにかく最近は「自分の感想」を持つのにも苦労する。うっかりSNSを開いてしまい無意識に「この映画はこう観るのだ」と刷り込まれてしまうようなことは、何としてでも避けなければなりません。

 この記事を読み進めている人でまだ劇場へ足を運んでいないという人は、他人でしかないぼくの感想に侵食される前にブラウザを閉じることをオススメします。

監督の作風が通底された作品

 映画を観ながら、ウズウズとした衝動が湧き起こりました。まわりの迷惑も省みずにスマホを取り出してしまいたい。SNSで『シン仮面ライダー、キューティーハニーと同じ手つきじゃん…!』と書き込みたくてしょうがない。まぁ、そんなことはしなかったわけですが……。

 概ねこの既視感は、監督の実写映画における作風でもあるので、庵野秀明監督のファンであれば「実家の味」だと思います。

 ただ、良くも悪くも忘れていたと思うのですよ。『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』という巨大怪獣特撮を経たことで。もうちょっというと樋口監督とのコンビにより、これらのほうを庵野監督作品の味だと誤解してしまっていたというか。

『シン・仮面ライダー』は、冒頭から「庵野監督の実写作品って言えばこんな感じだったな!」というのを叩きつけてきます。

 けれど、映画制作という点ではケレン味のあるシーンが息をも継がせぬペースで出てくるので映像エンタメとして優れています。

 冒頭の重厚なトレーラーとのカーチェイス。画がすごくて、目まぐるしくて何が起こって爆発したのかが分からない気もしますが相当なアクション指向です。

 バイクやトレーラーが重機の積まれたところに突っ込んだ!? 宙を舞った!? なんで叩きつけられた女の子(ルリ子)が無事なの? 饒舌なクモ・オーグがダラダラ喋っている間の動きはないのは様式美だし、仮面ライダーは崖の上に立っていてその後に華麗に飛び降り、画面のスピードは再加速。ライダーは戦闘員を虐殺していく……。

 もちろん、ストーリーの中でオーグやルリ子はどんな存在なのかは明らかになっていきますし、本郷猛が自身の起こした殺戮をどんな思いで受け止めてロードムービーたる道中で消化(昇華)していくのかも描かれていくので、冒頭の導入としてはバッチリです。

 それに、どこを見ても「仮面ライダー」の再構築なので、テレビ版で2年に渡って散りばめられていた要素は丁寧に拾い上げられ分解され、一本の映画の中に埋め込まれています。

 仮面ライダーの原作者石ノ森章太郎の萬画作品『ロボット刑事K』『イナズマン』と思しきキャラクターも登場し、東映ヤクザ映画を彷彿とさせるハチオーグたちとのバトルを含め、このあたりは我々が愛した「春映画(平成仮面ライダーをはじめとした東映によるヒーロークロスオーバー形式の映画が春に公開されていた時期がかつてあったのです)」を想起させます。

 強敵のショッカーライダー達はコピー品のメカらしさを強調するためCGで描かれて整然と並べられ、CGぽさをうまく覆い隠すように暗いトンネルでバイクチェイスや銃器攻撃を主軸として激しく重く戦闘が描かれます。

 1号が脚を折って(絵面としてもほんとうに逆方向へ足が曲がって痛々しい)動けないところへ2号が登場するのは、テレビ版で本郷猛役の藤岡弘が撮影中の事故で脚を怪我して急遽佐々木剛が配役され2号ライダーが登場したことを映画的に表現したのだと思います。

……と少し並べてみましたが、これらはわかりやすい部分をチョイスしただけでしかなく、枚挙にいとまがないとはこのことで、あれもこれも書き出したら何万字あっても足りなくなります。

 それくらい、萬画版、テレビ版において著されたことも、その周辺事情として語られていることも、ありとあらゆる形で映像に詰め込まれているんですね。『シン・ウルトラマン』で「ゾーフィ」の名が当時の子供向けキャラクター解説の誤字から拾われたのと同様の感覚かと思います。

 反面、オタクにとっては「ここはアレだ」「この流れ…アレか!」と忙しく、エモさに浸っている間もありません。

 ニュージェネウルトラマンの「ウルトラギャラクシーファイト」ってあるじゃないですか。変身後のウルトラマンが書き割り情報量の少ない宇宙を舞台にアクションする作品があるんですけど、あれって過去要素の喚起に緩急があって、矢継ぎ早にいろんなウルトラマンが駆けつけてくるけど、ジャスト世代かどうかで感情の昂りにも濃淡があるので疲れないというか心地いいんですよ。あれがもし、全部書き割りが原作再現されて防衛隊のマシンが飛び交って足元で人間ドラマやられたら情報量増えすぎでエモいどころじゃなく疲れるはずなんです。(オタクが早口で何か言ってる)

 それを仮面ライダーっていう単体作品をベースに映画一本に詰め込んじゃったら、良くも悪くもこうなるの当然だな、という。

 専用のバイク「サイクロン号」が自動運転機能を持っているという設定に対し、例えば「ヒーローのピンチに荒野を相棒バイクが砂煙を上げて駆けつけてくる」なんて派手なシーンなんかにせずに、歩いている本郷とルリ子の後ろをヨロヨロと付いてくるシーンを描く…こんなの見せられたら、観てるオタク、頷きすぎて首がもげて死にますよ……。バイクの扱いがとにかく良い。「ライダー」ですから当然ですね。

 ラストバトルで池松壮亮と森山未來が取っ組み合いの揉み合いを手持ちカメラの長回しで撮ってるところがありますが、こだわり抜いてそう撮らざるを得なかったのはわかる、わかるよ! わかるのではあるが、手ブレ凄い……。それで良かったのか!?

 徹頭徹尾そんな感じなので、なんというか、庵野監督という仮面ライダーオタクの総大将が、技の1号と力の2号よろしくオタク知識という技とまっとうな映画制作&作品再構築の力をもってクソ真面目にぶつけてくるので、オタクとして打ち返すのに疲れるんです。

 映画は大衆娯楽ですからそんなに気負って観るものではないのですが、冒頭に書いた通り、ぼくは面倒くさいライダーオタクなんで、召し上がれと出された料理を「ご馳走様でした」までの間、無言でもぐもぐやるなんてわけにはいかないんです。

 パッと目に入る画のために、構図も大道具もキマッてる。切り取って冷静な目で見ると相当おかしな絵面もあるが、大真面目にこれをやったからこその出力だ。

 そういうとき、もてなしを汲み取れないオタクでいてはならない。

 なので、この映画は面白くない。こんなことさせられて、「面白がれ、ただ単に美味いとだけ言え」というのは無理だ。

 食器の並べ方から始まってるどころじゃない。店に入る前からだ。ロードショウ封切り前の広告から、庵野秀明展でのプロップ展示から、コンビニに並ぶ復刻版ライダーチップスから、ぶつけられ続けてきたんだッ!

 近年のライダーオタクらしく「一義的には面白いが、二義的には要素の咀嚼に顎が疲れる」とでも言えば良いのだろうが、それも癪なんですよ。

俳優が良い、という正義

 オタクとしての心持ちはここまでにして、役者が良かったということを書きたいと思います。

 まず、誰もが納得するであろう仮面ライダー第2号。柄本佑演じる一文字隼人がとても良い。キャラクターとしての明るさ、爽やかさのみならずテレビ版で「仮面ライダー2号のみが映っていた時期」を人物へと凝縮している。ラストの「ダブルライダーの新解釈」も含めて、この映画は本郷猛の話ではあったけれども「仮面ライダーの話」を担っていたのは一文字隼人だなぁ、と思わせてくれる。昭和のヒーローっぽさ、小林旭の映画っぽさがありつつ、かたやふわっとした、好きになろうと努力する余地のあるグラデーションが今風です。

 それに対する1号の池松壮亮も、しょっちゅうヘルメットを外すのが印象的。変身解除ではなく、意図的に外すのがポイントですね。仮面を被っている間は自分を隠している、隠したい自分を隠すために被っている。これが演技とともに内心の描写、葛藤が伝わってきて良い。暴力を振るう直前に変身の言い訳として着装するんじゃないんですよ、脱ぎたくてしょうがない。そういうもの。

 オタクなら常識になっているやつですが、萬画版における「改造手術での醜い傷を隠すために仮面を被っている」設定を現代的アプローチにしてあるのが見事です。

 近年の平成仮面ライダー(←令和にも平成が延長しているというダメな考え)はダメージ描写としてベルトを外して変身解除を頻繁にしてしまうのだけれども、シン・仮面ライダーにはそんなことは起こらず、きちんと「仮面」の話をしている。まあ、仮面が最後外れて転がったときは「ベルトか!?」って思いましたが。

 クモ、コウモリ、カメレオンカマキリ、チョウそれぞれのオーグを固める俳優陣も素晴らしい。カメレオンカマキリが昆虫だけでなく爬虫類を掛け合わせていたのテレビ版で合成怪人を送り込んできた新組織のゲルショッカーを思い起こさせるので彼のバックにはおそらくショッカーの後継となる者がいるんでしょうな。そういうバックボーンを感じさせる理由がそれぞれのオーグの俳優演技から見え隠れする。

 西野七瀬のハチオーグについて、ルリ子へのいわゆる「極大感情」を持つ者をありがちなマンガ的誇張を抑えつつ演じていたのが良かった。アイドル時代からの「儚さ、それ故の強さ」という西野七瀬の印象に違わぬ存在感があった。

 公安の2名(ラストで名前がわかるがこれらは偽名でしょうね)とサソリオーグは……。これを悪ふざけととるべきか「特撮俳優客演文化」あるいは客演という風習が起こる前、昭和の「役に合う役者さんが別の特撮に出てた人だった」のオマージュととるべきかはちょっとわからない。ウルトラマンの科特隊ムラマツと仮面ライダーの立花藤兵衛の役者がどちらも小林昭二ということに掛けてあるのかなと思いつつ。普通に楽しく受け取るべきシーンではあると思う。

 そんなふうに、俳優が手堅いのでどのシーンも安心して観ることができる。これは商業映画にとって正義だなぁ、と。

2回目を観るとしたら…?

 総じて「スクリーン映像からは窺い知れぬ設定と、原作要素からの一捻り加えた盛り込みと、それをベースに厚みを増したキャラクター劇」と言うことができると思う。

 しかし、窺い知れぬと書いたが、知れる部分の設定であっても映像ではなくキャラクターのセリフとして説明され、これは「エヴァンゲリオン」シリーズでも「シン・ウルトラマン」でもそうだったのだが、一聴しただけではわからない劇中専門用語が多いので、オタクの考察合戦の法螺貝になりこそすれ、観劇中の理解の助けにはならない。

 肝心の筋書きも、単体の映画として満足できるかというとシンプルすぎる。オムニバス的に見える『シン・ウルトラマン』であっても、登場怪獣・星人ごとに語られる内容というものはあった上で、それらがバラバラの偶然ではなく繋がっていたことが後にわかる仕掛けはあったわけです。

 ところが本作はオーグ(怪人)ごとに語られる内容が薄くてハッキリしない。ショッカーが人間にとってどう脅威なのかがわからない。

 ショッカーが組織らしい組織ではないというのは、クラウドぽくて現代的ではありますよ。反面、特段の思想的繋がりのもとに集ったのではなく、個々の能力への恐怖を使って人間へ嫌がらせをしている烏合の衆に見えてしまいます。でも、結局ショッカーって何? という。チョウオーグがボスだったように見えるけれども、本当のボスはI→J→Kと進化してきたAIに集約させてもよかったんではという気もしますが、そうでもないので……。

 このバラバラ感のため、例えばハチオーグのくだりを丸ごとカットしたとしても、KKオーグがいなくても、シーンの代用さえ効けば物語としては成り立ってしまう。それが気になりました。

 2回目を観るかどうかとても迷っていて、要素の再確認を細かくするのはとても疲れるし、かといってオタク心を封印して観るにはおそらく薄味だろうし、どうしたら良いのだろうか、というところです。

 1回目で面白く感じられなかったのを、無理してお金払って面白がり方を探りに行くのも変な話ですが……。

 というわけで、『シン・仮面ライダー」について、見終わった後、なんでもろ手を挙げてブラボー!って感じではなかったのかな、という気持ちを吐き出してみました。

 仮面ライダーそんなに知らない人でも楽しめるのかな……? という疑問はありますが、それはもうぼくが仮面ライダーをあんまり知らない状態になるには老いてボケるくらいしかないので想像がつきません。

 ちりばめられた要素を拾い上げて考察したりエモさを感じる余力のあるオタクにはお勧めできると思いますが、そういう人は勧められなくてもなんならこの週末までに全員観に行っているまでありますね。

 以上です。

追記

 この記事をアップした後で、まだもやもやしていたのでTwitterでつぶやいてみたところ、不満点みたいなのが言語化できたので、下記に貼ります。


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