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着物と私のズンドコ節

引っ越しの多い暮らしをしている。
荷物を減らすのが生活の至上命令で、かさばるものは極力増やさないようにしている。

その中でも、着物は処分できない。
無印良品の押し入れ用引き出し8個分の着物と帯、クローゼット用引き出し5個分の小物。
押入れの上段半分+αくらいの量だけれど、手放さずにきた。

noteでよく読んでいる自問自答ファッション通信さんの記事で、こんな話題があった。
「ブランドバッグは演歌である」


ハイブランドとかラグジュアリーブランドとかには興味がなく、ブランドバッグの一つも知らないけれど、この演歌の感覚は何となく分かるな、と思いながら読んでいた。
久しぶりに着物の引き出しを開けて、自分にとっては着物がそれなんじゃないかと気づいた。
ブランドバッグよりは一桁二桁少ないけれど、布面積は数倍ある。

祖母と祖父を見送りました、それでは買います
「くるりのデニム着物GIZAブラック」

めちゃくちゃに忙しい仕事の立ち上げをやりきりました、それでは買います
「ウール着物をマイサイズで誂え」

夫の入院生活がやっと終わりました、それでは買います
「染織こだまの綿麻着物の誂え」

…なんか書いててつらくなってきたし、ただの衝動買いのようにも見えるけれど、
自分にとっては演歌であり、レクイエムだったのだと思う。
「天城越え」じゃなくて「きよしのズンドコ節」かもしれないけれど、
「レクイエム」も僕を葬る 僕が僕に奏でる やつかもしれないけれど(ヒプマイの曲です)。
そして、それを着て活動するのが癒やしであり自分の支柱になっている。
上の2つはかなり着倒して、とっくに減価償却しているけれど、最後の染織こだまさんの綿麻着物はまだしつけもとらずにしまってある。
引き出しを開けて、夏物の帯をいくつか乗せてみる。
透け感があるので今シーズンは着られないけれど、来年は袖を通してもいいかもしれない。
夫の七回忌の年だ。

次に演歌を歌うのはいつになるかはわからないし、どんな形で歌うのかもわからない。
できれば平穏無事に生きたいのだけれど、そうも言っていられない。
bimiの「軽トラで轢く」などを歌いながら、日常は続く。

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