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最近のことをつらつらと

先日受けたインタビューの原稿を読んだら、私はいまの日常に価値を感じてるんだと改めて思った。
育った家庭、過去の同棲、一人暮らし、シェアハウス、今回の同棲。

たぶん私は、赤ちゃんを育てるみたいに私に無償の愛を注いでくれる人が欲しかった。でもそれを求めたところで見つかる可能性なんてとっても低くて、いわゆる婚活をして疲弊するのを恐れて、生涯独身の前提で生きてたのかもしれない。

一人の夜、夕食の準備をしながら「僕にないものばかりで」で始まる曲を聞きたくなって、歌詞からタイトルを調べて部屋に流した。

世界で一番の調味料 なにかご存知なの?
ズバリつまりそれは空腹です
要は愛に一番の調味料はもう分かるでしょう?
その渇ききった心

サイハテアイニ|RADWIMPS

今まで意識してこなかった歌詞が急に入ってきて、腑に落ちた。

誤解を生みそうなので補足すると、実家にもちゃんと愛はあった。
高校受験のストレスと不安でお母さんの肩で泣いたこともあった。
でもその家庭は、私がずっと住みたい空間ではなかった。

千切れそうな夢だとかホツレだらけの思い出とか
ツギハギだらけでできたなぁみっともないかい?
でも一点モノの僕

サイハテアイニ|RADWIMPS

気に入った曲は飽きるまで聞くたちで、大隈塾のイベント後に聞いてたら今度はこちらが入ってきた。
影山さんが「それぞれ違う命の形を持っている」って言ってたのが印象的だったなあ。

私はどうやら会社員をすることが苦手なようで、レールみたいなものに乗りかけたものの結局脱線した。
細く長く手伝っていた友達の会社の仕事も、最近は不思議とそれもまともに手につかなくて、いよいよ私は何もできないと焦っていた。

パートナーが私のための船を用意してくれたけど、そこに乗って転覆した時、やっぱり降りたくなった時、社会不適合の私はどうなるんだろうって怖くなってた。

見方を変えると、もちろん私は一点モノだし、ちょっとメンテナンスが大変な命の形みたいだ。
最近はイベント系の集まりが苦手で断ったりしてこもりがち。
でも昨日の私はなんかいい仕事をしていたと思う。グッジョブ。

  • まず朝、大好きな人たちと一気に会うことが偶発的に起こった。

  • 10代の頃は憧れだった吉祥寺の街を案内していた。喫茶店に雑貨屋さん、本屋さん、世界のポストカード屋さんに紙もの屋さん。全てこれまでの友達が教えてくれたところ。

  • 大好きな家に思いつきで友達を招いた。

  • 何もなさそうな家なのに、手紙を書くための小物は出てくる不思議。

  • 会話をしながら「この本面白いと思う」って色々出てくる不思議な本棚。

  • さっききた友達が家みたいにくつろいでる光景。

  • 終電まで二人しておじいちゃんおばあちゃんへ手紙を書いて、駅に向かう道中で投函した。

いい日だったなあ。
朝のカフェで集った友人たちが大切で大好きで、その雰囲気を写真に残させてもらえたことが嬉しい。カメラ持っててよかった。

自信喪失したり、撮った写真を自画自賛して勝手に回復したりしてる。

晩御飯の写真をFacebookに公開しているとある日「多彩な才能」とコメントがついたり、イベントを主催する友達は「葵さんの会費は僕が払うから来てほしい」って言ってくれたり、家に来た友達は「こりゃ結婚したくなるわ」って第一声に言ってくれて、ああ私も価値提供できるもの持ってるんだなあって気づかせてもらったりもしてる。

なんせ形がいびつなもので、これをどう活かそう。

生き生きと仕事をして、お金を稼いで、分譲住宅と子どもを自分で手に入れて、とか少し前まで妄想していた。
一時期の私は生き生きと働いていたつもりだったけど、「辛そうだったよ」って言われたのはびっくりしたな。最終的に辛くなってやめてるけどさ。

一旦救命ボートに乗って、漂流してみようと思う。
もし困ったら国分寺へ行こう。


友達が作った手紙


<追記>
”消えたい” という感情の新しいタイプを知った。
私は、存在したくなかった堕胎してほしかった、って病むと考えてる。

友達は、「爆発して消えてお星様になりたいよ!!!」って言ってた。
好き。

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