mustよりwant

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大学時代、授業で国際政治学を受講した時に、先生が国の強さを図る基準をお話しされていたのが印象的だった。

先生曰く頭文字をとって「しろげぎし」と覚えろと。
「し」は資本の意味。
「ろ」は労働力の意味
「げ」は原材料の意味
「ぎ」は技術の意味
「し」は市場の意味、であると。

専門家や学者でない一般人や学生がこのフレームあてはめて国際政治の現実をすべて把握するのは無理があると思うが、これを意識するだけでイメージで国を語る人よりもきちんと世界の国々の力をみることができると授業を受けながら感じた事を思い出す。

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これを例えば今の中国にあてはめる。

A

まず、資本はGDP世界2位まで経済成長し、 実質的に国と一体とも言える中華企業や金持ちの中国人が世界中の土地や資産を買収していることから資本は良好といえる。

B

次に、労働力については、商道徳的には問題はあるものの、教育にお金をかけられる中間層が増えていること、現にグローバル企業に努める人が増えていること、から全体として労働の質は上がっているが、一人っ子政策の影響もあり、歪な労働人口構成となっていることから労働の量に問題があり、かならずしも良好とは言えない。

C

さらに、原材料としてはレアメタルに象徴される先端産業に必要な鉱物が充実していること、あとは日本を無視して勝手に海底資源を取り続けたり、アフリカ諸国に金を貸す見返りに資源を手に入れるといった強引な資源外交を行なっていることから、原材料ありといえる。

D

また、技術としては、なんと言ってもAI分野においてアメリカと並んで世界的に優位性を確立しつつある現状がある。
しかも、この国には実質的に人権がないので、国民の安全や権利を無視して国を挙げて徹底的にテクノロジーの進化に邁進する環境があるのもある意味強み。
よって技術は良好といえる。

E

最後に、市場についてはインドに次ぐ10億をこえる人口を有するので市場規模が大きい。
しかも、政治は社会主義だが、経済はこれも人権無視からくる結果だが、日本やヨーロッパとは比べものにならない程に競争主義的なので安全性に基づく規制も弱い。
よって市場も良好といえる。

僕個人としては人権無視の中国は嫌いだが、上記の基準に照らすと中国に国力のある強い国だと認めざるを得ない。

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こんなふうに「しろげぎし」を使えばそれなりに国力について有効な分析が可能になるけど、それは国に限らず、業界や企業を分析する際にも使えると思う。

例えば民間警備業。

A

まず資本は民間警備の多くは人的警備。セコムやアルソックのように大規模に機械警備を行なっている会社以外は利幅に限界がある。
よって資本は良好とは言えない。

B

次に労働力。
今、少子高齢化により、警備のなり手が不足している。
また、警備はサービス業で腕の見せ所である初動対応が普段見せることができないという業務の性質もあり、隊員に質の向上に励んでもらうことが困難で、どうしても目の前の雑務に忙殺される事情がある。
よって労働力も良好とは言えない。

C

原材料については機械警備や安全グッズ販売をしている一部会社以外は基本、仕入れが無いし、その一部会社の仕入れにしてもとくに困難な事情がないものと思われる。
よって原材料は良好といえる。

D

さらに技術に関しては、AI,5Gといったテクノロジーと監視カメラとの関係が挙げられる。
そのへんは資本力のあるセコムやアルソックはその流れにコミットできるが、その他9000をこえる中傷零細は人的警備がメインのアナログ産業。
よって現時点ではトータルでみると良好とは言えない。

E

最後に市場に関しては、今後この国でも外国人の出入りが激しくなり、当然その中には道徳性に問題のある方々も多く入ってくる。
また、凶悪犯罪も今後増えることを考えると、施設警備やボディーガードの需要は上がると考えられる。
よって市場は良好といえる。

このように民間警備をみると、市場自体は将来性はあるが、そのあり方が大きく変わる可能性が高く、人からテクノロジーへ大きく舵が切られる可能性が高い。

とすると、セコム・アルソックとその他の会社との格差が激しくなり、今の多くの民間警備会社は警備だけでは食っていけなくなる可能性も否定できない。

やはり、今の付帯業務を事業化するなどして新たな部門を花形や金のなる木に育てる必要があると思う。

3

このように大学時代に習った一見関係ないフレームが経営する際の分析に役立ったりするのは興味深い。

でもこれをやればうまくいく的なハウツーやビジネススキル本に飛びつきがちな社会人にとって、それとは一見関係ない教養や自分の属する業界以外の世界の知識や理屈が案外仕事や人生に役に立つことはあるのではないか。

そしてそういった教養や異業種の知識・理屈の習得に必要なのは、「ねばならない」というmustより「したい」というwant、つまりは知的好奇心ではないかと思う。

そういった観点をこれからも大切にしていきたいと思う。


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