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欲望の三角形

1979(昭和54)年 8月『創造の世界』第31号、小学館

欲望の三角形  作田啓一

 現代の産業社会においては、企業が消費者の側に欲望をつくり出し、需要の水準を保ったり高めたりするようになった。このような需要の創造は、J・K・ガルブレイスが現代の特性として指摘していらい、今では広く知られている。欲望をつくり出す最も有効な方法は、消費者が関心を抱いているだれかが、問題の商品を愛好していると見せかけることである。このだれかは、商品によって、あるいは同じことだが、訴えようとする消費者の性、年齢、その他の属性によって、さまざまに取りかえられる。こうして、俳優や歌手などの、いろいろの有名人が消費者にとってのモデル(範例)として、テレビのCMに登場する。モデルが登場するのはテレビの画面だけではない。保険の勧誘員が、だれそれも契約なさいましたと言う時、このだれそれもまた、モデルとして使われているのである。

 「需要の創造」の事実が示しているように、欲望にかかわるものは、欲望する主体とその対象との二つにとどまらない。それには、主体にとってのモデルという第三の項目がかかわっている。この第三の項目が長いあいだ無視されてきたのは、一つには、人間を孤立した存在としてとらえる原子論的な人間観のためであろう。

 しかし、欲望の対象が物ではなく、人や地位である場合、その対象をめぐる競争相手の存在は、現実においても、また理論においても、常に意識され問題とされてきた。嫉妬(しつと)とか羨望の場合がそうである。だがその場合は、主体が客体に対してすでに欲望を抱いており、その対象との関係に、たまたま優位の他者が介在してくるにとどまる。つまり、この他者は本来は余計な存在であり、この存在がなくても、主体の対象との関係は十分に成立する。その場合には、商品への「需要の創造」に対応するような「欲望の創造」はない。そういう意味で、伝統的な嫉妬や羨望の概念は、主体と対象との関係だけをもって構成される原子論的人間観の上に成り立っていた、と見てもよいだろう。

 しかし、人や地位への欲望もまた、需要が創造されうるように創造されうる。たとえば、対象への愛もまた、モデルであるだれかが、同じ対象を愛しているという事実を知ることによって、めざめたり、強められたりする。モデルがいなかったなら、主体の対象との関係は別のものにとどまっていたであろう。愛の領域でのモデルの積極的な意味を発見したのはR・ジラールであって、その発見は、消費の領域でのガルブレイスの発見に相当する。そしてジラールもまた、産業化が需要の創造に貢献したように、近代化が欲望の創造に貢献したと考えている。

 ジラールは、彼の理論をセルバンテスからプルーストにいたる西欧の小説の歴史から構成した。ドン・キホーテがモデルとする人物は、現実からはるかに遠いところにいる伝説中の存在である。プルーストの小説に出てくるモデルは、閉ざされた社交界の仲間たちである。ドン・キホーテはモデルが遠いので、自分がモデルによって欲望に駆り立てられていることを意識しない。プルーストの小説の中では、人々はだれがモデルであるかをはっきり意識している。そのために、彼らはドン・キホーテが味わわずにすんだ羨望の苦しみに陥る。

 今日の私たちは、消費においても愛においても、そしてまた野心においても、モデルの介入なしには強い欲望を感じなくなりつつある。しかも、かりに強い欲望を感じても、それが真正の欲望ではないと感じる。そのために、私たちは、モデルの介入なしに強さを保っている動物や子供の抱く欲望に、そして時としてはある種の犯罪者の抱く欲望にさえ、羨望をもつようになる。私たちは言う、われわれの欲望は虚偽の欲望であり、彼らの欲望こそ真正の欲望である、と。

 しかし、動物や子供をいくら賛美してもなんにもならない。私たちはもはや動物や子供に戻ることはできないのだから。人間には「もちたい」という欲望と共に、「なりたい」という欲望がある。「なりたい」という欲望がある以上、モデルを設けないわけにはゆかず、モデルを設けると、それは必ず、「もちたい」欲望から生ずる対象との関係に介入してくる。人間は動物のように純粋な欲望を生きることはできない。子供はしばしば純粋であるが、それはモデルを意識しないからである。あるいはまた、モデルをこころから尊敬しているためである。

 ガルブレイスやジラールの発見は、なんでもないように見えるが、じつは大きな発見であった。発見された事実を前にして、私たちはどうふるまえばよいのだろうか。だれのまねもしないようにしよう、などと心がけてもむだである。原子論的人間観が示しているようには、私たちはつくられていないのだから。私たちにできることは、自分が従っているモデルを見つけだし、そのうえでモデルの呪縛からどの程度のがれうるかを検討するくらいのことであろう。しかし、この程度の作業でさえ困難なほど、今日の私たちはモデルの呪縛にとらわれているように思われる。

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