No47 仕事の責任と対価

ニュースを見ていると、訴訟について書かれている記事をよく目にする。保育園に、放課後等デイサービス・・・と。
コメント欄まで読むと、内容には関係なく「仕事としてお金をもらってるんだから」とか「稼げるからその仕事が増えてるわけだし」というものがある。仕事としてお金をもらっているから、全方位に注意を向けて1つのミスも無いようにというのはとてもハードルの高い話だと思う。
保育園や放課後デイで1人のスタッフが何人を把握しているかを知っている人はそう思うだろう。そして稼げるからその仕事に関しては、そもそも稼いでいる人への嫌悪感を感じる。誰だってより稼げる仕事を選びたいと思ってるはずだし、ハローワークに行って賃金を見ずに応募する人は殆どいないと思う。稼ぐことへの憧れはみんなある。だけど、何かしらニュースになれば、内容とは無関係に稼いでいることを叩いたりする。当事者が貧しい生活をしていたら許されるはずもないのに。
稼ぐことにはいつだって責任が付き纏う。それを引き受ける対価としての給与だと考えるならば、保育や福祉の給与は安すぎると思う。
今後訴訟が増えることを想定するならば余計に。
そして訴訟が増える度に、善意や社会貢献の気持ちからこの仕事を選択していた人は去っていくと思う。
「自分にできる範囲で人の役に立ちたい」そう言って福祉の仕事にやってくる人は多い。そしてそういう人たちに支えられてきた。
でも、今後は「自分でできる範囲」を超えてしまう事態を恐れ、敬遠されてしまう気がしてならない。
どんな仕事も責任が付き纏うとは言え、人と関わる仕事、命に係わる仕事はどうしてもリスクが高くなる。それならば他の仕事だってあるのだから、そっちが良いと思うのではないか。
この先、無くなる仕事、職種なんてものを時々ニュースで見かけるが、私はそれよりも先に、誰かの善意に支えられている仕事の方が無くなるのではないかと危機感を持っている。

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