青くあれ

 夏の気配は殺人的に感情を揺るがす。急かされるような、まだ準備なんてできていないのに、無理やりに夏が入り込んでくる感じは、焦燥もあってあまり気持ちのいいものではなかった。私はその気持ちを振り払うように走る。

 おばあちゃんが亡くなったのは唐突だった。一言でよかったのだ。明日死ぬよ、と言ってくれたらこんなに悲しまずに済んだのに、と思う。お葬式は淡々と進んだ。人が死ぬ、という不思議。昨日までいた人がある日からは存在しなくなって、おばあちゃんを知る人もだんだんにしにゆき、その人の遺伝子だけが脈々と受け継がれていく様は気持ち悪いとさえ思う。どうせなら私の中のおばあちゃんの記憶や細胞も死んでしまえばいいのだ。

 お葬式を抜け出し、小さいころよく来た神社まで私は走る。夏が追いかけて来る。夏を振り払うように、喪服のまま、だらしなく汗を流しながら。石段を登りきると、おばあちゃんの家が見える。ちょうど霊柩車を見送るところだった。

 蝉は七日間しか生きられないという。私は蝉ではないので、おそらく気が遠くなるほど生きるのだろう。人間だとしたら、である。私が人間だなんて確証はどこにあるのだろう、とたまに思うことがある。両親が人間なら、私も人間なのだろうか。もしかしたら人間に託された妖怪かもしれないし、人間として育った記憶を埋め込まれた宇宙人なのかもしれない。それはきっと、私が死ぬ時にわかるのだろう。

 蝉がけたたましく鳴き、生を主張している。その情熱がうっとおしかった。私は死にたいわけではない。死にたいわけではないけれど、生きていたいわけでもない。

 夏に追いかけれらている、と言ったけれど、それは実は逆なのかもしれない。夏を私が追いかけているのかもしれなかった。夏に追いつこうと必死に走っているのかもしれない。どこまで走れば私は夏になるのだろう。神社の石段の一番上に座った。ここはこの町の全体を見渡すことのできる場所だった。田んぼの稲がうっすらと金色に染まり始めている、木々は青々としているし、風は正しい速度で汗をさらって、爽やかに抜けていく。

「帰らないの」

「帰りたくないの」

そこには私と同じ、黒い服を身にまとった少女がいた。よくよく見るとそれは喪服ではなく、黒のサマードレスだった。この辺では見たことのない少女だった。その子は笑い方が下手で、引きつった笑顔を貼りつけながらこちらをじっと見ていた。

「この辺の子?」

「ううん、隣町」

その一言で、思い当たったことがあった。

 石段の最上階で、私と少女はしばらく、無言の時間を過ごした。お参りに来る人も少ないこの神社はしんみりと静まり返っていて、たまに風が木々と遊ぶ声が聞こえるくらいだった。遠くで踏切の鳴る音がする。かんかんとそれは耳にいつまでも残った。空が青い。それは嘘のように目の前に広がる。

 幼い頃の私は、黒いサマードレスがお気に入りだった。それは祖母に買ってもらたもので、祖母のうちに遊びに来るとほとんど毎日着ていたものだ。それを見て私は確信する。この子は幼い頃の私だ。笑い方が下手で、愛想笑いが上手くて、親戚にはあまり良く思われていなかったのはなんとなく知っていた。

 季節の変わり目に死ぬ人が多いのだという。祖母も例外なく、春と夏の境目に行ってしまった。それは仕方のないことなのはわかるけれど、納得するにはきっと、あと何十年も必要なんだろうと予感していた。

 祖母との思い出は、思い出すのが容易いほど少ない。戦争の話をきき、嗜んでいた俳句の話をきき、祖父との馴れ初めをまるで昔話を聞くように、何度も何度も繰り返し、聞いた。祖母の俳句は達筆すぎて、未だにどんなことが書いてあるのかわからないでいる。

幼い頃の私は、驚くほど無愛想で、話をしても無言のまま指をいじっているばかりだった。どうしてここにいるのか、なんのためにここにいるのか、聞いてもうつむいたまま何も答えてくれない。

「夏に追いかけられているの」

と、やっと一言、幼い私がそう言った。

「私は昔から夏に追われていたんだね」

そう、いうしかなかった。

 陽も落ちた頃に家に帰ると、親戚中酔っ払ってしまっていて、その辺中がぐだぐだとしていた。おお、帰ったか、とだらしなく話す父を無視し、祖母の隣へ向かった。顔に伏せられた白い布をめくると、生前と同じように整えられた祖母の顔を見ることができた。こんなに綺麗なのに、死んでいる、というのがやはり納得できなくて、私はここで、初めて泣いた。

「おばあちゃん、今日私にあったよ」

祖母は何も言わなかった。

 夏が苦手なのはどうしてか、理由がわからないままだった。暑いから、蝉が怖いほどけたたましく鳴くから、夏休みが暇だから。どれも違う。夕日が沈む時、私はどうしようもなく悲しくなる。今日が終わってしまうのに、何もできていないこと。今日が終わったら明日が来ること。未だに、何にも夢中になれないこと。その憂鬱を、夏の空は大げさに脚色する。そんな気がしてならないのだ。