夏生

夏生まれ。文章を書くことが好きです。ここには、もったいなくて捨てられない小説の切れ端を…

夏生

夏生まれ。文章を書くことが好きです。ここには、もったいなくて捨てられない小説の切れ端を載せています。

最近の記事

踏み締めた青い花びら、濡れた頬、爪先と、傘の透明な影

 菊は舞い、椿は落ちると言う。散った紫陽花はなんと形容するんだろうと、地面の花びらを見て思う。少し色が抜けたきれいな青色で、僕はそれらを踏まないように、注意深く歩いていた。  耳元からはおとなしすぎない、ちょうど良いリズムのジャジーな音楽が流れていたし、差した傘に当たる水滴は心が弾む時のように軽やかな音を立てている。パーカーを羽織ってちょうどよい寒すぎない快適な気温、僕は昔からパーカーが好きだった。そのかんぺきな調和を乱すように、スマホのバイブが数分おきに着信を知らせていた。

    • 青くあれ

       夏の気配は殺人的に感情を揺るがす。急かされるような、まだ準備なんてできていないのに、無理やりに夏が入り込んでくる感じは、焦燥もあってあまり気持ちのいいものではなかった。私はその気持ちを振り払うように走る。  おばあちゃんが亡くなったのは唐突だった。一言でよかったのだ。明日死ぬよ、と言ってくれたらこんなに悲しまずに済んだのに、と思う。お葬式は淡々と進んだ。人が死ぬ、という不思議。昨日までいた人がある日からは存在しなくなって、おばあちゃんを知る人もだんだんにしにゆき、その人の

      • 宇宙戦争

        海岸に宇宙人が打ち上がった、という出来事は今年に入って3回目だった。宇宙人はみんな大やけどを負っていて、皮膚の一部が焦げてしまっているという無残な姿で打ちあがっていて、UFOが爆発したとか大気圏突入に失敗したとかいう考察が飛び交っていた。大地震が来るとかノストラダムスの大予言は今年を指していたとか、マヤの暦の終焉は実は今年にずれているとか、そんな噂がそれでもどこか真実を装って流れる中、真実を知っているのは私だけのようだった。宇宙人たちが、夜な夜な集まる海辺を、私は夢の中だけで

        • 消し方

          今朝の夢が消えない。どんな夢だったか覚えていないれど、埃っぽい夢だったのは覚えている。ずっと前に見た夢だった。灰色に色あせてなお私のどこかでくすぶっている景色や感情が、早く気づいてと泣いているようで、それは今朝が雨模様だったことも関係しているのだろうか。真夏なのに寒い朝だった。夢は夢だったと思った瞬間、夢ではなくなる。それは夢だったのか、夢だと思い込んでいたものなのか。夢を見たという思い込み見だったのかもしれないし、夢を見たという思い込み、だと思い込んでいるのかもしれない。

        踏み締めた青い花びら、濡れた頬、爪先と、傘の透明な影

          在る苦

          とにかく、歩いた。じっとしていることがつらくて、考えたくなくても頭に浮かんでくることばがうっとおしくて、それらを振り落とすように乱暴に歩いていた。イヤフォンから流れてくる普段はあまり聴かないアメリカの西海岸ロックが耳を刺す。前髪の隙間からさす光の色で夕暮れの気配を感じたが、とにかく下を向き、歩道のブロックを3個飛ばしで歩くことに集中する。履きなれた黒いコンバースの紐がほどけてしまっていたけれど、それを直すために立ち止まったとたん、思考の隅に潜んでいるとげとげしい、何に向かって

          在る苦

          おさなさへ

          ひとりの少年が赤いキャップを脱ぎ、白いシルクハットをかぶるまでのあいだ、私は夢を見ていました。かれは嘘が下手くそで、「きみには白いドレスがいいね」とわらったので、私は黒いドレスをまといました。それを見たかれが、よく澄んだテノールで夜の虚構に歌を溶かすと、わたしのドレスは漆黒にきえました。二人で葡萄酒を一口飲んで、踊るまねをしました。 ひとりの少年が白いシルクハットを投げ捨て、壁にもたれているあいだ、私はゆめを見ていました。かれは死んだように目をしずかに閉じていましたが、

          おさなさへ

          木曜日のはなし

          残業をした木曜日の夜はずいぶん寒くて、すぐに自宅に帰りたかったのだけど、女に呼び出されていたので会社から2キロ先のファミレスまで歩かなければならなかった。なにも考える余裕がないほどにだるい足取りで歩いていたのだが、やわらかく頬をつつむ空気の他人のようなつめたさと、時折ふく風が孕んだ鋭さ、それにからかわれたような木々の葉がさざめく音をはっきりと感じた。ふいに思いつき、わざとらしく息を吐いた。ふわっと漂った白い二酸化炭素のかたまりを見ながら、夜なんかはもうすっかり冬だな、と思った

          木曜日のはなし