キルフェボンの買い物袋が無料であるべきかどうかについて

今日も今日とてツイッターが燃えている。
いまだにⅩと呼ぶのに抵抗のある時代遅れの人間です。
本日の議題は、少し高めのケーキ屋は多少値上げをしてでも買い物袋を無料にして「ストレスのない購入体験」を提供するべきである、というものだ。

なるほどその意見はよくわかる。
そもそもケーキというものは特別だ。それを買って帰ることすなわち、特別なお祝いを意味する。
更にキルフェボンと言えば、季節のフルーツをふんだんに盛り込んだオシャレなタルトがシーズンごとに新作として話題になり、手に入れるためには必ず行列を覚悟しなければならない。通常のケーキワンカットに比べて価格帯も300~500円ほど高い。
それでも買い求める人が後を絶たないほど、キルフェボンは人気のお店なのだ。

私が製菓店で働いていたころに先輩から心に刻めと言われた伝説のクレームがある。
「あなたにとっては毎日の仕事の1つでも、私(客)にとっては大切なたった一度のケーキなんですよ」というものだ。
キッチンで働いていればどうしても毎日のルーティンになってしまう作業でも、必ず誰かの特別であることを忘れず、1つ1つの仕事に決して手を抜くなという教訓である。

そのくらい、ケーキを買って帰る人間には一人ひとり、特別な思いがある。
期待に胸躍らす客の興をそぐことなく、スマートに持ち帰り用の袋をご用意するべきという意見はものすごく納得がいく感情だ。

それでも、言わせてほしい。

買い物袋は無料であるべきではない、というのが私の意見だ。

ここで重要なのは買い物袋を「売る」「売らない」ということではない。
ぶっちゃけ、店側からしたら買い物袋くらい無料でつけたいのだ。
持ち歩いてくれれば宣伝になるし、我々がBEAMSの紙袋をステータスのように使いまわしていた学生時代のように、それを持つこと自体に意味ができれば儲けものである。
レジで逐一買い物袋の要不要を訪ねるのも手間であるし、レジを打ち終わったあとにやっぱ袋くださいと言われた日にゃあバイトの舌打ちが聞こえてきそうでハラハラする。
レジ袋の売り上げごときでそれら全てが解決するなら、コストと割り切って無料でつけたいのが商売人だ。

だが、我々はもう目をそらすことはできない所まで来ているのである。

そう、ごみと環境の問題についてだ。

は?たかが袋1枚で環境問題なんか解決するわけないだろ?
勿論その通り。だが毎日キルフェボンで買い物をする客が何人いるだろうか。年間にすれば何枚の袋が、運搬の任を終えてその日のうちにゴミになるだろうか。

いや、ビニールじゃなくて紙袋ですから。プラごみじゃないですから。
それもその通り。これは私も10年くらい前までは「プラではなく紙にすれば環境にやさしい」と誤解していた。なぜなら紙は燃やせるから。ダイオキシンが出ないから。
これもとんだ勘違いだった。プラスチックでも紙でも、どんなごみも燃やせば灰が残るのだ。人間だって焼いても完全には消滅しない。
その灰は風に吹かれて魔法のように消えてなくなるわけではない。1枚の紙袋を燃やしたごみなら風に吹かれて消えるかもしれないが、1億人が毎日出すごみから出る灰の量は、想像をはるかに超える。海に捨てるわけにもいかず、どこかに埋めるしかない。だが土地も無限ではないので、21年後には埋める場所がなくなる予定だそうだ。灰がまじった土が、その後多くの緑を育て命を育むとは到底思えない。

大丈夫、私は買い物袋を何度か使いまわすから1回きりでごみにはしないよ!さらになんと、資源ごみにも出しちゃいます!
なんと素晴らしい心がけ!ありがとう。あなたは人よりも少し環境問題に関心のある1歩先をゆく人類だ。
だがしかし、残念ながらリサイクルする過程で必ず無駄なエネルギーが出る。資源ごみを再びトイレットペーパーにするまでにかかる工場のリソース、電力やガソリンなどはやはり環境を破壊する一助となってしまう。
資源ごみに出すという意識は素晴らしい。もしも今まで何も考えずにゴミ箱に捨てていた人がこれを読んでいるならば、まずそこから始めてほしいと願う。だが、もしすでにそれを始めている人がこれを見ているなら、あと1歩踏み込んでものごとに思いをはせてみてほしいのだ。

結局、リサイクルは完璧な答えではない。
結論は究極として、1億人が1つでも多く、ごみを産み出さない努力をするしかない。

正直キルフェボンがそこまで持続可能な商売と社会を考えて買い物袋の無料提供をやめたのかどうかは定かではない。
素人にできる範囲で調べてみたが、どこにも環境問題への取り組みや企業理念などは載っていなかった。
(でも農家さんの地位向上には貢献されているようで、とても好感が持てた)

昨今、世界を引っ張る海外のハイブランドや大企業は、環境破壊をしていないという証明ができない会社とは商売をしないという。
ハイブラは紙袋無料でつけてくれるじゃん、と思った人は、ケーキワンカットとハイブランドのバッグ1つでいくら違うか想像してみてほしい。
50万円で1枚無料と、1000円で1枚無料では出るごみの量が雲泥の差だ。

日本はとりわけ環境問題への意識が低い。
ここでヨーロッパは~などと御託を並べるほど海外の事情に詳しくないので控えるが、「100円均一」というプラごみ界の魔王を生み出したのが日本であることを思えば、お世辞にも環境問題に真摯に取り組んでいる国民性とは言えない。

買い物袋のごみが1億人分山のように積み上げられ、それが埋め立てられる土地も近いうちになくなる。そうしてじわじわと野菜を育てる土地がなくなり牛を飼う土地もなくなる。ごみの上にはマンションも建てられない。
ビニール袋が海に流れればクジラが死に、イルカが死に、生態系がじわじわと崩れた数年後、サンマやマグロがこのままずっと庶民にも食べられる価格で食卓に上り続けるだろうか。
ごみを燃やすエネルギー、リサイクルに使うエネルギーで地球温暖化はどんどん加速する。
今年の夏は異常な暑さだった。これが来年は元に戻る、わけがない。毎年最高気温を更新するに決まってる。来年熱中症で死ぬのは、あなたの親や子供かもしれない。それが、買い物袋ひとつで今すぐ解決するとは到底思えないが、1億人が1日1枚の袋を使わない選択をすれば、少しは意味がありそうではないか。

話が壮大になってしまったように感じるかもしれないが、この話題の根底にあるのはそういう問題なのだと私は思う。
全ての人に、ケーキを丸腰で持ち帰れと言っているわけではない。
買い物袋の購入に5円払うとき、ほんの少しこのことを思い出してみてほしい。
もしエコバックで持ち帰れそうならそれを使い、もし家が近いのなら箱のままでもイケるかもと少しだけ考えてみてほしいのだ。その結果、やっぱり必要だと判断すれば袋を買えばいい。それを責めたいわけではない。時々エコバックを忘れて買い物袋を買うことくらい、私だってある。

なんの根拠もない予想だが、近い将来、日本はプラスチック製品の生産制限をされるのではないかなぁとぼんやり思っている。
日本が自主的にするのではなく、世界から非難されてやっと始まるのだろうな。その時になって、レジ袋が有料になった時のようなブーイングがまた巻き起こるだろう。だけど30年後の世界から振り返ってみれば、節目節目で環境問題に目を向ける機会がこんなにあったのにと後悔する日がいつか来るのだろう。

その時、あなたはいくつだろうか。

「どうしてこんな環境にしたんですか」と、異常気象に苦しむ子供たちから問われて、あなたはなんと返答しますか。

「買い物袋がどうしても欲しくて」?

私は、私にできることは全てやった、と胸を張って言いたいです。


キルフェボンのタルトってうまいよね。

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