○○するほど愚かではない

「のー、べたー、ざん、とぅー、不定詞」
「なになにするほど愚かではない」

シャープペンシルの滑る音。つむじが頭の後ろに見えなくなり、明度の高い眼がこちらを向く。
「私なら、そんな翻訳はしない」
「よくわかってるね」
彼女は満足げに薄く微笑み、再び顔を下に向ける。シャープペンシルの滑る音。

2017年の冬のある日、高校2年生の千羽鶴は、ひときわ熱心に冬休みの課題に取り組んでいた。曰く
「うづ吉にぎゃふんと言わせたいの」と。
確かな目標があるのはよいことだと思う。たとえそれが目の敵という形にせよ、身の丈に合わないハードルにせよ。
目標があれば向かっていけるとは、いかにも月並みで手垢にまみれた言説だと思う。しかし、強大な目の敵に、ペンを持ってひたむきに立ち向かう千羽鶴を見ては、そんな格言でもひっさげて応援せずにはいられなかった。

「頑張って」
と自分がぽつりと言うと、彼女は少しむっとして応えはじめたが、二言目には表情を緩めていた。
「頑張っている──私は言われなくてもわかっている」
「よくわかってるね」
彼女はまた満足げに、誇らしげに微笑んで見せ、再び問題集に向かった。

λ

「みてみて」
と焦れた様子で、千羽鶴が1枚の紙を見せに来た。冬休み明けの試験が返却されたらしい。英語だ。
よい点数だ、と思っていると、
「納得いかないところはない?」
と、いつもより一層落ちついたような、それでいて興奮気味なような口調で千羽鶴が尋ねてきた。
納得いかないところ? 整った筆跡が居揃う解答用紙を私はしばらく眺めた。

「あ──」
ある英文和訳の設問に、平易で慕わしい日本語訳と、赤い△マイナス1点が記されていた。見つけた、きっとこれだ。
ばっと顔を上げると、透き通る灰色の瞳と、嘲るように口角の上がった口があった。
「私には、そんなことで落ち込まないくらいの分別がある」
千羽鶴はその設問に書いたことを復唱した。

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