【トラカレ2019冬】お姉ちゃんスイッチ

 ぺらり。

「む、きょうは6日……」

 紙をめくる音​──ノートの紙よりは分厚く硬い、日めくりカレンダーのいち構成員である四角の紙を、その上辺に通ったリングに沿ってめくる音。正確には、からりとか、ぺかりとかいった音に聞こえた。

「……ふー」

 口を閉じて、鼻から空気を抜き通すようにしてそう発声する。Hmm、などとして表記されたい。

 私がそのように息をついたのは、本日が休みの日だからである。
理由が少し跳躍しすぎた。詳しく理由を説明するとなると、究極的には私自身にしか理解しきれないものになると思うけれど、おもしろそうなのでそこをあえて試みることにする。

 私がそのように息をついたのは、次のような理由による。
 元々、私の生涯のなかよしグループで日めくりカレンダーを作ろうという話があった。各自がローテーション的に一日ずつを受け持って、その日どんな日というのを適当に考えて、できたカレンダーと共に過ごす人の毎日を豊かにしようという企画。
 その企画で私は6日目(を含む6の倍数の日)を担当して、「本日、非攻略対象につき1日休み」として安息日を設けることにした。月初めから5日目まで、他のみんなが張り切っておのおの自分らしさをしっかり押し出す日々になったと思ったため、私も自然体でいくことにした。非攻略対象について言及するなら、私が非攻略対象だということで、それ以外の主張はない。
 当時はほとんど適当にあてはめた非攻略対象休みだったけれども、そんな思いつきでも一度形にしてしまうと、6日という表示を見るたびになんとなく意識されてしまうようになった。
 とはいえ毎月6日がヒコタイ休みなどというのは当然世間一般には知られていないわけだし、なんなら私はもう非攻略対象ではない。
しかし今日12月6日という日の、私という存在は、お休みなのだなぁ、というような含みが、あの私のHmmにあったというわけである。

「さて」
 土曜日というたまの休日だけれど、べつだんするべきことがない。なにかの課題に追われてもいないし、近々試験があるでもないし、針と糸を手にするにしても、ゆうべちょうどひとつのぬいぐるみが完成した達成感のため、いまいち興がのらない。姉も、私が起きたときには仕事に出ていた。

「ふむむー」
 Hmmを意識しながらまた声を鼻から抜いて、スマートフォンの画面を眺めていると、

< 我らがちはるちゃんよ

「ん」

< おヒマならうちの部屋にきませんか
< 今なら素敵な映像鑑賞においしいお茶などがついてくる

 いまいち要領を得ない不思議風味のお誘いWAVEが恋ヶ崎みやびからやってきた。いまいち要領を得ないながら、私はほんとうに暇だったので、

わかった、行きます >

 と二つ返事した。素敵な映像というのはなんだろうとか、わりと朝はやくに起きているのねとかぼんやりと考えながら——嘘、とてもさぶいという一心に支配されながら、そこそこに服装を調えて外に繰り出した。


『えー……お姉ちゃんスイッチ、あ』
『綾ちゃんありがとー!!』
『わ、ちょおねっ……!』
『避けないでよー! この距離でー!』

「……ふふ」
「お、笑うたね?」
「可笑し……微笑ましいので」
「そやろそやろ」

 みやびは座布団の敷かれたわずかなスペースに器用に収まって座りながら、私とともにその映像を見てにこにことしていた。

「それでこの映像は一体?」

「これは『お姉ちゃんスイッチ』という由緒正しい装置を実験的に渡したところ、大いにおたのしみになった國政姉妹を、にゃボットが本能的に観察し記録したデータぞね」

「なるほど。……お姉ちゃんスイッチというのは?」
 私がそう訊くと、みやびは少し驚いた様子で言った。

「なぬ、千羽鶴ちゃんはこの発明品を知らんがか」
「知らない。どんなもの?」
「よし、ほんなら教えよう​──」

 と言うと、みやびは「よっ」とうまく床に手をつき、私の膝上をまたぐように体を伸ばして、私の隣にあったティッシュの箱を取った。

「ふぅ、と」

 その後、またもとの位置にもとのように座りなおして、語り始めた。

「​──お姉ちゃんスイッチは、そのスイッチの所有者である妹なるものが使うことによって、所有者の姉なるものに該当の行動を命令する装置ちや」

「……」

「具体的には、こういう空き箱に任意のひらがなのボタンを設定しておき、さっきエリカさんがやっちょったように『お姉ちゃんスイッチ、任意のひらがな』と唱えながらボタンを押すことによって、その声が届く範囲におる姉に該当の動きをさせることができるぞね」

 ティッシュの箱の表面に指で丸をかいたり、そこを押したりしながら、コイガサコ博士はわかりやすく説明した。

「……本当に?」

「効果は見てもろうた通りちや。あのエリカさんお墨付きの発明ぞね」

「該当の動きというのは」

「そのひらがなから始まるような動き……やけんど、」

 ごく真剣というわけでもなければ、冗談まじりという風でもない、いたって平易な調子でつらつらと答えていたけれど、

「どんなことをするかは姉次第。しかも、なにかしてくれるかどうかさえも、姉妹の仲次第ぞね」

 ここでやっと少し冗談っぽい声色を露骨にした。

「つまり、姉妹の絆が測れてしまうかもしれない道具ということなの……!?」

「さすがご明察、あの映像の通り國政姉妹はなかよしそのものぞね」

「むむ、俄然おもしろくなってきた。うちのお姉ちゃんは……エリカさんほど情熱的ではないかもしれないけど、あれ? このシステム姉の性格に依存するところが大きいというか、さっきの映像は姉から妹に強要して」

「よし、うちも逢瀬姉妹の仲睦まじさは確認しておきたいところやき、ぜひとも妹から姉に強要する実例をどうか……」

 食いついた被験者を放さないとばかりにまくしたてる。

 あのお姉ちゃんにドッキリのようにいきなりスイッチを行使して、空気を読んで何かしてくれるかは未知数であるけれど、正直これはやはり性格の問題だと思うので、お姉ちゃんが対応できなかったとて我々が姉妹円満でないことにはならない。と思う。
 何も反応がなく戸惑っていそうだったら即座に「なんでもない」とうまく私がなかったことにすればいいだけ。私の意図がわからなかったお姉ちゃんに、わけもわからず責任感や罪悪感を感じさせるわけにはいかない。なんといっても、お姉ちゃんはこんなスイッチを知っているはずがないのだから。

「ええ、試しに使ってみたいと思うけど……」
「見せてくれん?」
「くれません、ちなみにスイッチはあるの?」

 く~、と悔しそうに顔と眼をそらしながら、にやけた歯の間から空気を押し出してみせたあと、また目をあわせて答えた。

「ないけんど、作れるよ簡単に。なごちゃんに教えたかったんやけんどなあ、うちの知る姉妹ちゆうもんを……あーっと、空き箱にボタンを五つ……」

 言いつつ、近くからボールペンやら手ごろな小ささの段ボール箱やらを取り寄せて、コイガサコ博士の工作が始まった。

「ひらがな何行がえい? あいうえおとか」
「え? うーん……タ行にする。『ち』で何か嬉しいことになるかもしれないし」

 そうかもしれんねぇ、と相槌をうちながら、手の中ではもうどこからともなく出てきた曲がるストローが段ボール箱に溶接されるところだった。


 そうはいっても、当のお姉ちゃんが帰ってきていないのではどうにもならない。午後三時、私はパソコンやノートを机に広げるなどして、それなりに休日を充足させていた。

「いつ帰ってくるって言ってたかな、いつも通りぐらいかな……」

 伸びをしてから、目を休めがてら布団にダイブしに行くことにした。道すがら、机に安置してあるみやび謹製例の装置を手に取った。

「冷静になったらあまり興がのらなくなってきたかも、う~ん……」

 ごろごろと転がりながら、肘を伸ばした先に両手で持っているものを眺める。片手を離して、いちばん左のボタンに指を向けた。

「お姉ちゃんスイッチ、た」

「ただいま~」

 がちゃりという音とともに、なんとそんな声が聞こえた。

「ふー、わりと早く帰れちゃったよ~……」

「お姉ちゃん……!? おかえり?」

 あまりの偶然に驚きを繕えないまま、姉を出迎えた。直後、手に握ったままだった段ボール箱の感触に気づき、さっとなんとなく自分の背後に隠した​──が、

「あれ? なに持ってるの?」

 間に合っていなかったらしく、興味を惹いてしまった。少し混乱して、

「いや、お姉ちゃんスイッチ『た』って言ったら……」

 と、とても実直にありのままを話そうとしてしまった。私は別にそれでもいいのだけれど、わからない人間に話して通じるような説明では​──

「え? おねーちゃんスイッチ!? おねーちゃんスイッチ、う~ん、『た』かぁ……あ、」

 おや?

「タイヤキ食べる?」
 薄茶色の包みを差し出されてしまった。姉は笑顔だった。


「そう、有名なのね……」

「たぶんね。よかったぁ、びっくりしたよ……また急に来たなぁと思って」
 そう言ってお姉ちゃんはぺろりとあんこのたい焼きのしっぽを食べ切り、カスタードが入っているらしい方を手に取った。

 お姉ちゃんは私が思っていたよりずっと強靭な適応力を育んでいた。もうすでに長くネイエで下積まれたキャリアと、おそらくはそれに加えて、妹の私と、二尾フライのあんちくしょうによる常日頃からのかわいがりのためだろう。成長が喜ばしいやら、苦心が労わしいやら、いずれにせよ感慨深く思いながら、熱いたい焼きを相伴した。
 そう考えると、なんだか久しぶりに自分のお姉ちゃんを、それとして意識的に見た気がした。それなりに長い間当然のように姉妹をしてきたので、どこか薄れていた意識。

 いい休日になった。いい休日になるきっかけを作ったと言えるみやびさんに感謝しないといけないかもと思いながら、たい焼きを食べ、とっくに平らげてしまった姉と弾むほどでもない会話を存分に弾ませていった。


「ふう、着替えようかな」

 私もスローフードを終え、歓談もひと段落したところで、お姉ちゃんが立ち上がり、寝室のほうへ歩いていく。

 ​──ボタンも使いきっていないことだし、あれだけの適応力を備えているのもわかったことだし、せっかくだから​──

 そう思ってよく言えば好奇心で、悪く言えば魔が差して、そっとスイッチを手に取り、二番目のボタンに指を伸ばして、唱える。

「お姉ちゃんスイッチ、ち」

 振り返った姉の顔はまさに待ってましたという風で、直後に私は「いい休日」という12月6日の評価が尚早だったことを知る。

 この瞬間にその「よさ」は更新され、なんなら、これからまだまだとても素敵な休日になりそうな気がしたからである。

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