今から「ロマンティックな狂気は存在するか[狂気伝説の解体学]」を読もうと思う

神田古本祭りに行ってきました。「微生物の辞典」(定価2万7500円)がなぜか1000円で売られていたりと、相変わらず狂った値段設定をしていました。他にもどうしても読みたかったユングの「オカルトの心理学」があったり、「英語 ジョークの教科書」の続編である「英語 ジョーク見本帳」があったり、「サピエンス異変」がなぜか200円で売っていたりとトチ狂ってて素晴らしいイベントでした。あと新品の哲学書が100円で売っててビビり散らかした。合計で8冊も買ってしまいました。それでも合計3000円ぐらいなのだからやはり古本は凄い。調子に乗って買いまくったせいで帰り道、マジで腰が痛かったです。(重量のほとんどは「微生物の辞典」。辞書の名に恥じぬ異常な重さ。)あと差別の歴史?みたいなタイトルのめちゃめちゃおもろそうな本が新品1000円で投げ売りされてたんですが、所持金不足でそれを逃してしまったのが心残り…
あの本絶対おもろかった…

それにしてもいいイベントだった。運営の方々に感謝。秋葉原もそうだが、神保町周りの空気感はずっと大好物だ。楽器・アニオタ・文芸・悪趣味系サブカル・グルメといった様々なカルチャーが共存している空間というのはなかなかない。つかず離れず、お互いに絶妙な距離を保っているあの空気感が好きだ。ああいうのを多様性と言うんだろう。あとカレーが美味しいので最高だ。未だ「エチオピア」さんに入ったことがないので近いうちに挑戦したい。

神保町周辺が大好きだという話は置いておいて、買った本、8冊のうちの一冊について書く。
「ロマンティックな狂気は存在するか[狂気伝説の解体学]」という本だ。
1993年出版の本である。そのため統合失調症が精神分裂病と記述されている。昔の臨床心理学の本あるある。作者は精神科医の春日武彦。また本棚に精神科医の本が増えた…
さてこの本ではタイトル通り、精神疾患の一部症状がなぜ神秘的で本質的なものとして扱われ、人々の興味を集め続けるのか?また、クリエイターがこれらの病気を「狂気」として創作の題材にする時、彼らの持つイメージはどこまで正しいのか?といった問題について精神科医の視点から論じている。

L(デスノート、アスペルガー症候群)
綾波レイ(新世紀エヴァンゲリオン、離人症)
ランチ(ドラゴンボール、解離性同一性障害)

これらのキャラに代表されるように古くより統合失調症・解離性障害などといった精神疾患は創作の題材とされてきた。しかし、精神疾患が創作物のネタとなっている構造そのものの是非やクリエイターの持つイメージについての批評についてはほとんどされてこなかったのだ。(少なくとも当時では)

本書では、この問題に立ち向かうべく、「狂気とは?」という素朴な疑問から始まり、どうやってロマンチックな狂気という「思い込み」が発生したのか?といった問題について次々と論じていく。
多分。2章までしか読んでないからなんとも言えへんけど。

あとこれは今回の話にほとんど関係ないのだが、この作者、めちゃめちゃに口が悪い。当時インターネットが発達していれば確実に炎上していたと思われる。普段斎藤環先生を読んでいるのもあり、自分の患者についても批判的な態度を取る彼の姿勢は非常に新鮮に感じた。
だいたい半分ぐらいの文章で患者への文句が記入されているので驚きを持って読み進めることができる。令和にこんな口の悪い物書きはいない。いるとしたら「SPA!」か「実話BUNKAタブー」の記者ぐらいである。(そろそろ本当に全く関係がないが、最近、本屋でウロウロしてたら「BUNKA」を発見して驚愕した。あの雑誌まだ生き長らえてるのか。元々の想定読者層であった20〜30代からは見向きもされず、50〜60代のくたびれたオッサンにしか刺さっていない凄い雑誌である。)

さっきもちょこっと書いたが、僕はこの本を少ししか読んでいない(2章/7章)
。そのため、全て読み終わってこの作者の思想に浸かる前の自分のナチュナルな感性を記録しておきたい。読前文とでも言おうか。そういうのをやりたいのだ。

といったわけで僕がなぜ、「精神疾患」「狂気」に美しさを感じ、研究の題材としたりゲームのコンセプトにしてりしているのか?その理由をここに記録したい。

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