僕の美的感覚について

自分の感覚について書きます。
何をカッコいいと思うのか、何を美しいと思うのか。というのを明文化させておくのはカッコいいもの、美しいものを作る上で必須だと思うからです。
ただ、言語が行動を産むとはよく言ったもので、僕が今から吐き出す言葉が僕の行動や思考、クリエイティビティを縛ってしまう可能性もあります。
しかしあくまでも行動→言語の流れを崩したくないので、「なんか違うな?」と思ったらこの文章を書き換えるようにします。
その他にも最低限自分の方向性、思考の筋道を示しているものがあると頭がおかしくなって全部どうでも良くなった時にもう一回人格を取り戻せるのでこの文章を書くというのもあります。ふとした時、自分がなんで動いてるのかよく分かんなくなる時があるんですよね。解離とは別に、単純に、生きてる理由が分かんなくなる。

美的感覚

綺麗事ではないものが綺麗に表現されている様子を見るとテンション上がる
 そもそもひねくれてるので綺麗事が好きではない
天使が好きかもしれない。そもそもキリスト教的モチーフが好きかも
筋肉的・男性的なものに対してはあんまり魅力を感じない
グロテスクなものが主題に添えられてると萎える(露悪的)
女性的カッコよさみたいなのはめちゃめちゃ憧れる
作者が読者に期待している心的反応が”快楽”だと萎える
精神医学的な”狂気”に触れた時が一番美しいと思う
 それは解離かもしれないし分裂症かもしれない

カッコいいもの

とにかく筋道通してるやつが好き
 あと自分の好きなことに妥協しないやつ
信念ある人好き
前提の破壊、ゲームルールのハックみたいな勝ち方好き
とにかく義理堅い人好き
アーティスティックで信念ある人間好き
逃げない人間、目下の人に当たらない人間、ちゃんと責任取る人間好き
気前の良い人好き、ゴタゴタ言わない人好き
何も言わずに手を動かしてる人好き
言わなきゃいけないこと言ってくれる人好き
綺麗事言わずに目の前の問題解決しようとしてる人好き

僕の人生を壊してくれそうなちょっと病んでる感じの姫カットのかわいい女の子好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?