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時代に合わないオブラート表現

前回私がHSPと仮定して
いろいろお話をさせて頂きましたが

「繊細」とともに
「大雑把」だったり「ガサツ」とも
言われたりします。

それだったらHSPじゃないか
と言いたくなると思いますが
まぁ待ってください。

同じように私がHSPと仮定するならば
HSPの人っていうのは
そうでない人と比べて
「えっ?そんなことでも?」
と思うようなことでも
消耗してしまうのです。

これからその一例を伝えます。

日本に生きている限り避けられない
挨拶や枕詞

堀江貴文さんの言葉も仰ってましたが
「前置きはいいから早く本題を言え」
と思ってしまう気持ちが私にはあります。

まどろっこしいクッション言葉は
逆にストレスになったりします。

早く帰ってほしい人に対して
「お茶漬けをどうぞ」
みたいなのを
「奥ゆかしい」
「配慮がある」と
私はプラスに捉えられないのです。

「早く帰ってほしい」と
言えばいいじゃん、と。

それは相手のことを慮るあまり
モジモジとしか想いを伝えられない自分を
想起させるからかもしれません。

そしてそんなオブラートに包みがちな
日本人の表現で気になるのが
変わってるよね
という言葉です。

いい意味で」とか
悪気はないんだけど」とかも
そうですね。

私はこの言葉たちに
直接的な悪口ではないから
 私は悪者にならずに済む。  
 だけど悪い意味は込めている。

という自己防衛のエゴが
見えてしまうのです。

そもそも協調性を求められがちな
日本社会において
「変わってる」は
悪口以外にどんなシーンで
使われることがあるのでしょうか。

私は日本人に
もっと寛容であってもいいし
もっと多様性があってもいいと思うので
個性があってもいいと思うのです。

そんなマインドを持った人ならともかく
「変わってる」と口にする人たちに限って
少なくともそういう考えはありません。

チャットが普及する中で
メールの煩わしい挨拶文なんかは
最近簡略化されています。

もっと時代の流れが緩やかならば
そういう挨拶文や枕詞などは
意味があったかもしれません。

時代の流れるスピードが速い中で
さまざまな情報の中で
本質を捉えてチャンスを掴むためには
淘汰されていくべき
表現なのじゃないかと思います。

もしくはそういった文章の
季節的表現や奥ゆかしさや
趣き深さを堪能したいのならば

とことんまでに
タスクを削って
からにしていかねば
同じ時代には戻れないのかと
感じています。

私は冒頭でHSPの話から
入っていきましたが
元々はそういった敏感な人こそが
そういった表現を用いて
きたのでしょうが

時代の流れがここまで
早くなると想定できていなかったがために
その奥ゆかしさに
苦しめられるように
なっているように感じます。

結論、

奥ゆかしい表現とは
スピードと生産性重視の世の中とは
相性がよくないなと思っております。

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